第3冊「瞑想常軌」③

「あなた、誰?」


 取り敢えず話しかけてみた。会話が成立するかはさておき、日本語が通用しない訳ではなさそうだと思ったからだ。すると返事が返ってきた。どこか安心する私がいた。なんでだ。


「あたしか? あたしは、かいこざかむしひめ。友達からはナウシカって呼ばれている」


 珍しい名前ね、と言いかけて止めた。今の時代、何が誹謗中傷になるか分からない。相手が傷付いたと言ってしまえば、全てを他責にできてしまうのだ。あだ名の方はスルーするとして、ぐぐっと堪えて、


「そう。虫姫ちゃんね。私は手水舎ちょうずやはるかよ」


 と、名乗った。


「ちゃんはいらねーよ。そのまま呼んでくれや」


「そう、じゃ、虫姫」


「おう、遥」


 大人的余裕を主張つもりで言ったが、虫姫は特に気にする様子はなかった。お前も下の名前で呼ぶのかよ。何だこのクソガキ――警察に通報してやろうか。そんな感情を更に堪えて、私は続けた。


「急に話しかけてきて、どうしたの?」


「だから言ったろ。お姉さん――遥が、その本を何回読んだか訊いてるんだよ」


 どうやら退く気配は微塵もないらしい。あー、めんどくせ。しかしこのまま突っ立っていても、通行の邪魔になるだけである。ここは心を鬼にして、言うべきことを言わねばならない、仕事モードをオフにして、私は言った。


「きみね。まず礼儀って分かってないんじゃないの。見知らぬ大人に普通に話しかけるとかあり得ないでしょ。私が誘拐犯だったらどうするわけ? お父さんとお母さんはどうしたの? どこの小学校よ」


「あー、小説読みに悪い奴はいねえってのがあたしの人生訓だからな。お父さんとお母さんは二人とも交通事故で死んでる。今は施設から小学校に通ってんだ」


 地雷を踏んだ。


 大きな地雷だった。


 父と母が死んでいるだって? 


 今日日きょうびウェブ小説の悪徳令嬢だって、そんな酷い扱いをにこやかに語れるまい。いや、施設の人しっかりしてくれよという所かもしれないが――くそ、流石は令和。「両親」ではなく「保護者」と言わないと、叩かれる時代である。


 やばいな。ガキが泣いたら私が不審者になる、取り敢えず謝っておこう。


「ごめん」


「いや、いいんだよ、事実だしな」

 

 そりゃそうなんだけども、けろっと笑っていられるメンタリティが、少し羨ましかった。強いな――このガキ、そう思った。まあだからと言って全てを許すわけにはいかない。辛い過去があるということは、他人を貶めても良い理由にはならないのである。


「でも、本当に気を付けなよ。世の中にはあくどい大人もいるんだから。私が普通の人だったから良かったものの」


「大丈夫だよ、声かけたのは遥が初めてだ」


 そりゃ光栄なことで。

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