第2冊「邯鄲のあゆみ」⑤

「随分と、詳しいじゃないの」


 架屋は照れたようにそう言った。どうして照れているのだろう。ぼくもついつい、好きな物を語るが故に、熱くなってしまった。


「まあね、好きなものだから、詳しくもなる。インタビューもムックも大体読んでる。今回買うこの本は、ぼくが鶴野閑雲に没頭する前に発売されたものでさ――だから、どうしても、手に入れたいんだよ」


「でも、それと死にそうな表情って繋がるかしら? それにそのムック本以外にも、あなたは鶴野閑雲以外の小説も、ここ数日購入していたわよね。それはどういうことなの?」


「ああ。ぼくが集めているのは、。つまり、鶴野先生が影響を受けた小説を読むことによって、鶴野先生により近づくことができるって寸法だ。まあ今回は、限定のムックだったけどね」


 顔出しはしないだけで、鶴野先生は雑誌のインタビューなどに協力的ではある。そんな中でぼくはそれらの雑誌をまず集め、そしてそこで挙げられていた『敬愛する作家』『尊敬する作家』をメモし、その作家先生たちの小説を読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読み、読んだ。毎日文章漬けで、頭がおかしくなってしまうくらいには読みふけったように思う。まだ折り返し地点にも到達していないけれど、それでもその読書体験が、ぼくの小説経験に繋がると信じて、読み続けている。その動機は、あんな風になりたいから。。ただのそれだけの、何者でもないけれど、純粋な動機だと思う。大学に入ってからはそればかりをしていたので友達はほとんどできていない。それでも。それでも。それでも。望んで読書狂よりも狂い、自ら書痴しょちよりれ者となり、読書中毒よりも本に毒されたと思う。

 いつか、鶴野閑雲のような小説家になることができると、そう信じて。


「そう。代輔は、鶴野閑雲に、憧れているのね」


「そうだ」


 そんなぼくに、架屋は――少々沈黙した後で、こう答えた。



 間髪入れず、ぼくが何かを返答する前に、架屋は続けた。


「そのままじゃあ、あなたは鶴野閑雲どころか、小説家になることもできない」


「なっ…………」


 反論しようとしたけれど、できなかった。別に辟易したわけではない。ただ、彼女に真正面からそう断言されてしまって、つい言葉を失ってしまったのだった。今までの努力を全否定されたような気がして、流石にぼくも、何も感じないわけではない。少しだけ、苛立った。


「どういう、ことだよ」


「その通りの意味よ。まあ、代輔のその行為は、確かに評価には値する。役には立たないことはないと思うわ。分析と研究。成程、それを全て完了することができれば、常人よりも鶴野閑雲に近い人間が出来上がるでしょうね」


 ――でも、無理。


 と、架屋は言った。


「不可能、とでも言いたいのか」


「不可能なんて言ってないわ。ただ、考えてもみなさいな。それは近付くことができるということで、鶴野閑雲そのものになることはできないでしょう? 出版社は売れる作品を求めているのよ。たとえ鶴野閑雲に筆致を完璧に寄せたとして、果たしてそんな小説を売ろうと思うかしら。編集だって小説のプロなのよ。誰に影響を受けているかくらい、読めば分かる。よしんばそれで出版社の眼鏡にかなったところで、劣化コピーを書き続けることができるの? 小説家にとって最も重要なのは――『読まれ続ける』ことなのよ」


「知ったような口を聞いてくれるじゃないか」


 ぼくはそう反論するけれど、言われるまでもなく、分かっているつもりのことだった。劣化コピー。嫌な言葉である。鶴野先生の独特な筆致を真似ようとして、亜流の小説を書く作家のなんと多いことか。影響力が強すぎて、書き味を見ると、ある程度小説を書いたことのある者なら理解わかってしまう。ぼくも多分、その一人だ。でも、量産型だろうと、劣化版だろうと、憧れたあの人みたいになりたいという感情は、否定されるようなものでは――。


「そうね。否定されるようなものではないわ。立派な原動力よ。でも、その理由じゃあ、勝てないのよ。何より今、あなたは苦しみながら、死にそうになりながら小説を摂取している。無理矢理、義務的にね。そんなもので、良い小説は書くことは絶対にできない」


 勝てない。書けない。なぜだ。ぼくは分からなかった。だから、問うた。


 それに対して、架屋は溜息を吐いて「そう、本当に分からないのね」と言った。


 そして続けた。

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