第1冊「臥薪生譚」⑤

「……『変わったね』という言葉が、必ずしも良いように作用しない、という話ですね。いえ、似ていると思いますよ。私もそうです。この場合、変わったのは私自身ですが」


「そうなんだよな。僕はその小説家の作風が変わった――ように見えているけれど、実は僕自身も変わっているんだ。その小説家以外にも、色々と読んではきた。最近は海外文学にも手を出し始めたし、中学生になって、ちょっとは視野も広がった――と思う。良いこともあったんだよ」


「でも」


「ん?」


「でも、そのせいで、大好きな物語を楽しめなくなったというのは、あまりに悲しいことじゃあ、ありませんか? それとも、それが大人になる、ということなのでしょうか。それはあまりに、無慈悲ではありませんか?」


「………かもな。僕はまあ、薪原さん程に多くの小説を読んでいるわけじゃないから、へこんだままでも生きているけど、それがキツいししんどいってことは、何となく理解はできるよ。大人なんかは『そういうものを積み重ねて大人になるんだ』なんて言うけれど、まさにその通り、好きな本を好きにならなくなったって死ぬわけじゃない。残酷だけどな。だから仕方ないって思うしか、ないんだよ。僕らにはさ」


「……厳しいですね、臥雲くんは。まるでそういう変化を、当たり前みたいに受け入れているみたいじゃないですか。私にはそう簡単にできませんよ」


「現実の厳しさなんて、知るもんじゃないと思うけどな。僕は。大人って子どものそういう『大好き』とか『大切』とかを踏みにじる傾向にあるからな」


「仰る通りです。私の小学校の教師も、読書をせずに外で遊べと言って、私から本を取り上げました。あいつは今後私が権力を持った末に、社会的に抹殺します」


「怖い話だ」


「私は本気です」


「目が据わってるって。まあでも、あるよな。偉いのか何なのか分からないけれど、年食った程度で上に立った気分でいるなよって話だよな。だったら、自分で好きなもの書いちゃった方が楽そうだ。それなら、誰にも莫迦にされるこたぁないからな」


「…………」


「でもさあ、『仕方ない』って言われるのも、何となく悔しいんだよな」


「…………」


「いや、分かってるし、大人はそうやって乗り越えていくんだと思うよ? それに小説は娯楽品だ。生活必需品じゃない。無くたって生きていけるものだ。そんなものに真剣になることを、真剣に娯楽を好きになることを――熱中することを大人たちは絶対に認めない。


「…………」


「そんな気持ちも分かるよ勿論。だけどさ、そう簡単に割りきれないって。僕らまだ中学生だぜ」


「…………」


「薪原さん?」


「…………」


「おーい、薪原さん」


「…………」


「薪原さーん」


「…………」


「マッキー」


「…………」


「まきまきー」


「…………」


「え、生きてる?」

「……………………薪原くん、先程、何と言いました?」


「え、先程? マッキー」


「もっと前です。そのくだりが始まる前」


「『そう簡単に割りきれるものでもない、僕らまだ中学生だぜ』か」


「そんな陳腐な台詞は訊きたくありません、もっと前です」


「ひっでえな。えっと、『現実の厳しさなんて、知るもんじゃないと思うけどな』かな」


「もうちょっと後です。そんな紋切り型の斜に構えた言葉はどうでも良いんです。もっと根本的に正鵠せいこくを射抜いた言葉が、あったでしょう」


「そんなこと僕言ったか? えっと、『だったら自分で書いちゃえば良いんじゃない』」


!」


「おお……びっくりした。急に傍点散らすなよ」


「それです、それですよ、臥雲くん」


「え、どれ?」


「だから、『好きなものは自分で書いてしまえ』という文言ですよ! そうです、そうでした。私の目はどうやら、節穴だったようです」


「自己申告制なのか」


「そうですよ、臥雲くん。すっかりその視点が抜けていました。小説って、


「そりゃ……そりゃあ――いや、そうか。そういうことか」


「でしょう、欠落していたでしょう。この考え方を。いつしか小説は読むものだって決めつけていたのではありませんか」


「……ああ、確かにそうだ。僕は小説は読むもの――一方的に享受するものだって、ああ、確かに思っていたよ。成程な――自分が面白いと思う小説を、自分で執筆すれば良いのか」


「そうです。そうですよ。書けば良いんです。ああ、なんでこんな簡単なことに気付かなかったのでしょう。私は莫迦ばかなのかもしれません」


「だったら僕も莫迦だよ」


「とても気分が良いです。元旦に青天の中、おうちの屋根ですっぽんぽんになった時くらいの快感です」


「何やってんだよ中学生」

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