騎士と墓暴き・3/死せる王の騎士
お台場から世田谷ならば、一般道で行ってもそう所要時間は変わらない。
ルノを後ろに乗せてカノンはゆっくりと走る。バイクドライバーとしては珍しく、業務外で追い越し追い抜きは極力しない。
「ねー、カフェ寄ってかない?」
「疲れたから今日はいいかな、ごめんね」
「はー、ほんっと陰キャ。大学で友達いないでしょ」
新橋の交差点で、赤信号が点灯した。
「ルノさぁ、言っちゃなんだけど二人乗り下手だよね」
「あ?」
「女の子でしょ。引っ付かないで、そのシートの細いベルト掴むんだよ。それ二人乗り用のベルトだから」
「ベルト掴んでるの握力いるじゃん。イチロー腰細ぇし抱きつきやすいんだよ」
「発進するから、まぁ好きな方にすればいいよ」
「ねぇ、うちの近くのさぁ、世田谷の、スーパーあるじゃん」
「どれだろう」
「三階建ての奴」
「あー、あるね。世田谷だからあそこ千円とかのバター置いてるよね、スーパーなのに」
「あのときさ、あそこで……カノンく……イチロー、絶対にあたしのこと見間違わないって言ったの、覚えてる?」
「……そんな痴女みたいな格好してる子、そういないから間違わないでしょ……いつの話だろ」
ルノがしばし沈黙する。沈黙した後、ヴーッとでもいうような低い唸り声を上げて、カノンにしがみついた手に力を入れる。
カノンは、その時の事件を忘れることはないだろう。けれどそれを表明するつもりもない。
思い出の中で葬り去るつもりだ。
多分、自分は養父養母の期待するように生きることはない。
淀澱と現場で関わることを続けるつもりだ。
そして、いつか負けるだろう。
あまたのナイトウォッチやスイーパーや、カラウスのようにだ。
彼のように敗れるまで夜に居たい、そしてその果てに消えたいという破滅への願いが彼の中にはあった。
──おれはおれの尊い孤独を誰にも観測されずに葬り去る。
カラウスでさえ達することの出来なかった願いを、おれが叶える。
それが、おれが殺してしまったカラウスへの弔いなのだ──
その為に、忘れられる距離でだけ人と関わっていようと彼はカラウスを失ったあの時に決めた。
ルノは、重度のブラザーコンプレックスだ。
もはや思慕の域といってもいいかもしれない。カノンにはある種の確信があった。
人の事を躱す距離感には鋭敏な青年である。
ずっといい子、手のかからない妹だった彼女は、ある時カノンの接する距離が他のものと変わらない距離感だという事に気付いたらしい。
中学校に上る頃から、規範を外れた振る舞いや言動をするようになった。
最初は心配をして、説得を試みたりもしたが、それで彼女のパーソナリティに深く立ち入ることになることこそを彼女は望んでいる、と判断してからは距離を保つように心がけてきた。
兄を煩わしがっている妹という彼女の周りからの評価、立ち位置を固定して、彼女から距離を詰めてくる事を避けているのだ。
その意味では彼女は、カノンにとって周りの友人知人や両親と比べても特別に手間のかかる関係だ。
「バカ」
華やかな麻布を過ぎて、渋谷に差し掛かる。雑踏の中の交差点の信号で止まった時に、ルノがカノンを抱きしめて呻く。
「一浪だからってさ、そうネタにしないでよ」
「スイーパーやめなよ」
とぼけたカノンに、ルノがまるで脈絡のない本質的な願いを言葉にして刺す。
「それはできない」
ルノの真剣な声色に、カノンの声も思わず切実なものになった。
「やだ」
ルノが小さく呻く。
バイクを発進させる。
……自分一人がものを考えているわけじゃない。同時に相手も様々な考えを巡らし、察しているのだ。
恐らく、ルノも僕の本質的な願いに気付いている。
それを言葉にしてしまったら、僕は逃げ道がなくなり、追い詰められ、焦って死に急ぐと思っているのだ。
彼女は、カノンにしがみ付いている。身体の振動でいくらかは伝わってしまうだろうか。
それでも……いや、それであるから、カノンはいくらか胸中を呟くことにした。
「君は知らない人だけど、僕の中には王がいる。その人は本当に凄い人で、様々な人を孤独から解き放ってきた。僕もそうなれたらという人だったんだ。僕はその人のただ一度の敗北を間違いだったと証明するためににスイーパーをしている。……その人を殺したのは、僕なんだ。それは誰にも変えることのできない事実で、僕の負った責任だ。あの人をこの世から奪ってしまったものとしての罪だ……それだから、僕は途中で降りることはできない。彼が生き返ることはないのだから、僕はそのように死なねばならない」
カノンはゆっくりと、言葉を選びながら声を継ぐ。
その言葉が伝わってしまう事を恐れて、車間を詰めるためにエンジンの回転を上げる。
矛盾している。めちゃくちゃだ。カノンは、自己嫌悪で眉に皺を寄せた。
うーっ、と呻いてルノがもう一度強くカノンにしがみ付く。
──もしかしたら、僕が今話していることが全部伝わってしまっているとして、断片的に知っていることもあるだろうか。けれどそれを表向きに認めることはしないだろう。
僕との距離を保つために、知らないふりをする、と思う──
「はぁ」
「疲れた?」
「だるい。安全運転すぎるでしょ、遅いんだよイチロー。だから浪人するの、わかる?」
次の信号待ちでは、ルノはもう公の態度に戻っていた。
カノンは、それに安心するような気持の中に、少しだけ残念がっている自分を見つける。
(毒だぞ、それは……『誰とも仲良くなるな』だ)
(わかっている、僕はやれている)
昔見た映画で、大物俳優の演じた戦車長が、新兵に『誰とも仲良くなるな』とアドバイスするシーンを思い出していた。
そう細かく印象に残っている映画ではないが、そのセリフと、結果的にそのアドバイスを守れずに一人だけ生き残った新兵が惨めな態度で生き残り、同情や憐憫で敵兵に見逃されるラストシーンだけがやけに記憶に残っている。
その映画のセリフを引き合いに出して、カノンの中のもう一人の合理的で冷徹なカノンが釘を刺す。
「決めた」
発進しようとするカノンの背に掌を当てて、ルノが呟く。
「うん?」
「クリスマスさ、イチロー用事昼の内に済ませて。夕方からあたしイチローのアパートに行くから」
「んのぁ」
発進するタイミングでそんなことを言われたのでカノンは少し躓いて、慌てて姿勢を戻す。
後続のトラックも発進しようとしていたが、それを鋭敏に察知して発進を待つ。
垂直に立てた掌を上げ、頭を下げて後続のトラックに過失を詫びると、カノンは出来るだけ平静を回復して発進した。
「えー……あの」
「スマプラもってくから。いいだろ、暇なんだよ!」
「こっ、こ、困る……」
そんな距離の詰め方は予想していなかった。
いや、一応の予想はしている部分はあったが、突然、脈絡のないタイミングでしてくるとは思わなかった。答えがない。返答に困って、カノンは本当に困るとしか返事が出来なくなっていた。
もうすぐ世田谷の実家だ。
見えた次の交差点は黄信号だ。行きたい気持ちもあったが一人ではないことを心に置いて、カノンは停止する。
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