オデットはもういない・5/さようならば
数えきれないくらいの裂帛の調べが重なる。
それはまるで悲鳴のようだった。
黒い光芒の根源は竿の中から姿を現した黒い刀身の仕込み直剣で、音の発した根源はヨドミの巨体から伸びるあらゆる場所だ。
首から棒状に伸びる長大な肉塊は綺麗に斜めに切断され、細い無数の腕は粉々に破壊されている。
胴体には三条、深々とした切創が刻まれて、破壊の痕残る至る箇所から緑の霧が吹き出ている。
滅多切りだ。
それら、明らかに直剣で斬れる範囲や深さではない。
蘆立の知識によれば、それはナイトウォッチやスイーパーといったヨドミに直接対処する職種の操る掃技だ。
人が蓄えたヨドミと同質異種のエネルギー、地穢を掃器と呼ばれる武器で増幅して攻撃したのだ。
通常の物質には効果はないが、ヨドミの仮初の肉体に対しては甚大な威力の霊的エネルギー攻撃となる。
「芯をやってない……最低もう一撃、要る!」
しかし、コヨドミとは異なり、これほどのダメージをもたらしても芯体と呼ばれる真球状の中核を欠損させないことにはヨドミは活動を止めない。
失ったパーツを確認するように、または痛みにのたうつように、ヨドミが身体を左右に大きくゆする。
ダメージからかヨドミの動きは鈍重だが一歩を確実に蘆立の方に向かって踏み出す。踏みつけた自販機がひしゃげた。
信じられないスピードで姿勢をかばわず七度の斬撃を繰り出したヤクモは、ダメージを受けていることもあって歩道に転倒し、バウンドして四から五メートルも転がると路面に手をついて体を起こそうとする。
しかし、立ち上がれずにヤクモは一度その姿勢を崩す。
ヤクモも蘆立もヨドミとの距離はそれほど開いていない。
「キミ……あなた!放出の反動で片方脚をやった、こっち来て肩、貸してくれ!」
「おっ、オレぇ!?」
蘆立は名指しをされて、笑う膝を手で押さえながらそろりと立ち上がろうとする。しかし、がくりと態勢を崩す。
「ダメエ……」
ヨドミがもう一歩を踏み出す。
上げた脚が地面につく前に胸から下半身が形を伸縮、蠕動して変態を始めている。
「あのヨドミは、あなたを目指してる。私がいる限り、あのヨドミは目指すあなたにたどり着けない……で、わたしはあいつに近づいて掃却したい。 あいつと私、利害が一致する!」
「オレは!?」
ヤクモの言い草に激高した勢いに力を借り、言葉を吐きながらなんとか蘆立は及び腰ながらも立ち上がった。
ヨドミの背面、臀部が孔雀の尾の様に無数の肉の針を形作る。
「う、うおおッ!」
蘆立がヨドミに対して半円を描く様に距離を取りながらヤクモに駆け寄り、飛びつく。
掴んで引き起こすヤクモの身体は思ったよりももっと軽い。
これがあの激しい攻撃の応酬を繰り広げていた身体なのか?
そんなことを考えながらヤクモを引き寄せ、肩に手を回しがちりと肩を組む。
ヨドミが前面に、鞭のような長大な触手を二本生成してヤクモ達に向かって一撃を振るう。
ヤクモは、健在な足を踏ん張り、蘆立を引き下げるように直剣で手打ちながら一撃を加え、飛んできた触手を両断する。
間髪入れずにもう一本の触手が飛んでくる。つまりは二連撃であったがヤクモは引き下げた蘆立を今度は押し上げるようにして姿勢のバランスを取り、横なぎの一刀でこれを捌く。これは横なぎであったのがまずく、触手を弾くに留まった。
「もっとくっついて」
火の息のヤクモの言葉に蘆立は思わず息を飲む。
おかしな話だが高揚をたしかに感じる。
胸元のふくらみとバイオレットのショートタイが目に入って
蘆立は反射的に目を反らした。
ヤクモは全くそれには気づかないまま蘆立に囁く。
「じりじり間合い離しながら、私がいいといったら、私をあいつの方に振り飛ばして、一目散に逃げろ」
「おい、俺の為に時間稼ぎするてのかよ、俺にそんな価値」
「ふざけないでほしい」
健在な触手が戻りの一撃を頭上から叩きつける。その勢いも借りて、ヨドミは大きくその巨躯を引き出すように前進した。
ヤクモが蘆立の腰のベルトに回した手を引き張り、二人は息を合わせて斜め後ろに飛ぶ。
「私の掃却を手伝わないのは、邪魔するのと同じだ。私はあいつを掃却すると決めたんだ。必ず、必ず……帰してやらないと、あいつが可哀想だ」
直剣を持ったまま、ヤクモは額から滲み落ちてくる血を拭い、すぐさま腕を払って構えを戻す。
「カラウスはすべてを神速で討ち果たし、結果すべてを守護する。……守るほど興味も持たないくせに……」
もう一度、二人は後ろに飛ぶ。
蘆立は、自分がヤクモと息を合わせられることに内心にどこか冷静さを取り戻して驚愕していた。
それに浸る暇も与えず、見上げるようなところにあったヨドミの頭と計三つの顔が落ちてきて歩道をその重量で叩き割る。
「黄色く光ってる……」
集中しているせいか、思ったことがそのまま蘆立の声に出る。
ヨドミの胴体に出来た深い切創は変態が始まってもまだ完全にはふさがっていない。
掃器に傷つけられた場所の回復は出来ないのだろう。
だから、身体を作り変えている。
そしてその刻まれた穴の内側に、先ほどのヤクモの身体と同じように黄色い光を放つ場所がある。ごく小さな光だ。
「いいね。あなた、少し天目がある……」
こくんとヤクモの喉が鳴って、また蘆立の胸は高鳴った。
「そこに大雑把に軸合わせて、一二の三だ、いいね。ためらったら終わりだよ」
蘆立は唾を飲み込んでから、うん、うん、と慌てて二度肯き、はやる気持ちを抑え、きとヨドミを見据えながら、じりじりと横歩きで位置を合わせる。自分の目に涙がにじんでいるのが判った。
1、2、3。
ヤクモは、声を出さず唇の動きだけで蘆立に合図を伝える。
ヤクモはこの短い時間でそうして伝わる相手だと蘆立を信じたのだ。
その信頼の通り、横目でそれを捉え汲んだ蘆立は、こみ上げるものを抑えて唇を噛んだ。
噛んだ拍子に、目に留めていた涙が一筋零れる。それが熱い。
蘆立は、足を止め、腕と肩を張り、勢いをつけて……ヤクモを前面に振り出す!
得物をぶら下げながら、けんけんのように跳ね、ヨドミの間合いへと入るヤクモ目掛けて
横殴りに触手の一撃が飛んでくる。
ヨドミが首を起こして高度を上げる。
ヤクモは、殺到するヨドミの触手にぶつかるように腕をつき、健在な足を蹴り上げ腕を支点に自分の身体を跳ね上げる。
殆ど逆立ちとなった態のヤクモの身体がのびやかに、怪しく淡い黄色のひかりをうすらまとう。
蘆立のごとき素人にも、触手の運動で横合いに引かれながらも、
落下するヤクモが触手を乗り越え、首と胴の間に吸い込まれていく軌跡の筋がありありと見えた。
「
言葉を慈しむような囁き。小さなはずのそれは蘆立の耳にもなぜか届く。
理由は判らないが蘆立は嫉妬の様な、胸を締め付けられる苦しさを覚えた。
「
続く詠唱は、激流の様な激しさを響かせる。
そしてそれと共に繰り出される一刀、地に稲妻の発したような極大の閃光を纏い、その眩しさたるや蘆立がヤクモの姿を見失うほどのものだった。
小さな、本当にごく小さな硬い音が響く。
「────掃却!」
あ、と蘆立が小さく呟いた直後、あのヨドミの恐ろしい巨体が瞬時に、爆発するように黒い霧となって霧散した。
いいや、黒くない。濃すぎる緑が黒く見えたのだ……と理解したときには、蘆立はその場にへたり込んでいた。
「さようなら、またね……兄弟」
霧の向こうで、五体を投げ出して火の息を吐くヤクモが、ヨドミへの別れを絞り出していた。
蘆立はしばし呆然と彼女に見とれていたが、震える四肢を操って、
這いつくばりながら彼女のそばへ身体を寄せ、涙をぬぐうと彼女の顔を覗き込む。
ヤクモが、ほんの少し目を見開いてから人差し指を彼女の唇に当てて、ウィンクすると耳元のカムのスイッチを摘まむ。
「支所、威嚇のための反撃行動によって偶然……現出したヨドミは消滅。八班によって偶発的に掃却を完了しました、以上」
カムに向かってヤクモはまぐれだと言っている。そんなわけがない。
ヤクモの腕は、行動は哨戒を稼業とする夜警……ナイトウォッチじゃない。
戦闘を稼業とするスイーパーのものだ。
「えっと……助けてくれて、ありがとう……」
困惑を抑え、蘆立が呻くように礼を述べる。
彼女のショートタイは紫色だ。
それは、夜から朝に出ずる時の空の色だと蘆立は気付く。
目には見えない程、本当にわずかの間だけヤクモが笑った気がした。
「あたしを助けたのは君だろう?」
無表情に戻ったヤクモの声に、すこし彼女の優しさの残り香が漂っている。
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