#4 平安京という場所③


「ていうか、品数多すぎ!今日、宴会かなんかあるわけ?!」


野分は目の前の膳にずらりと並べられたご馳走をうらめしげに見ながら、思わず愚痴をこぼした。


蒸した米、魚の干物、茹でたワカメ、椎茸の煮物、焼き鳥、蒸し鮑、汁物、蕪の漬物……、さらには、かりんとうのような揚げ菓子まで。その全てがこれでもかというほど山盛りによそられているのだ。


おおよそ、一人が食べる量ではない。


このご馳走を自分が食べられるなら、一生懸命に作った甲斐があるというものだが、あいにくそうではない。これは全て、あの憎き清麻呂のための食事だというのだ。


野分はなんともやり切れないまなざしで、料理の品々を見つめた。


「うちの若様の財力を持ってすれば、このくらい普通よ!」


タエが自分のことを自慢しているかのような口ぶりで、得意気に鼻を鳴らした。


「でもさあ、これ、味つけしてなくない?」


そう。

野分は調理の間、味付けをしているところを一切目撃しなかったのである。

調理は、焼く、蒸す、煮る、しかしていない。煮るときも醤油などは使わなかった。


醤油などで料理の色も変わるはずだが、出来上がった料理は全て食材そのものの色をしている。

魚に至っては、皿に盛りつけただけだ。


こんな味気なさそうなものを、この時代の貴族はご馳走として食べていたのか。

野分は現代の食事を思い起こしてみた。


いろいろな飲食店や食品メーカーが試行錯誤して編み出した、あの珠玉の美味しさの数々。


それを知らないなんて、なんだか哀れに思えてしまう。そして、今後は自分もこんな味気ない食事をしていかないといけないのかと思うと、心が萎んでくる思いだった。


「あんた本当になにも知らないんだね。いいかい?ここに調味料があるだろう。食べる人が自分で好みの味付けにして食べるのさ」


年配の雑仕であるヒサが皺だらけの指で差した小皿には、お酢や塩、醤ひしおと呼ばれているものが入っている。不思議なのが、その中に『酒』の小皿が一緒に混じっていることだ。


「これも調味料なの?食前酒じゃなくて?」


「そうさ。酒は貴重なものだからね。一滴も溢すんじゃないよ!」


そう言いながら、ヒサは膳を厨から運び出し始めた。周りはまだ太陽が燦々と輝いている。


「あれ?それって夕飯ですよね?もう並べるの?」


「なに言ってんだい。もう申の刻の鐘が鳴ったじゃないか」


「申の刻……?」


野分がおうむ返しに呟きながら首を傾げると、ヒサは眉を潜めた。


「まさか、時間の数え方すら知らないのかい?」


野分はこの世界に来て一日も経っていないが、こういう哀れむような目線を向けられることにはもうすっかり慣れてきていた。 


時間の数え方くらい知っている。


そう反論したいところではあるが、平安時代の時刻については全く知識がなかった。古典の参考書に丸い図で書かれていたなという記憶しかない。

こんなことならもっとちゃんと見ておけばよかったと、ひとり後悔していた。


「この子、頭打った衝撃で本当に何にも覚えてないみたいよ」


「気の毒だねぇ……。タエ、色々教えてやりな」


「……仕方ないわね」


口調とは裏腹に、タエの口の端はツンッと上がっていた。

思ったよりも面倒見のいい人らしい。


「でも、こんな早い時間に食べたら、夜中にお腹減っちゃうんじゃない?」


「そしたら、姫君たちのお家で何か出してくださるでしょうよ」


そこで野分はハッと、古文のおじいちゃん先生の言葉を思い出した。


「平安時代の貴族たちは男性が女性の家に通う『通い婚』だったんだよ。いろんなお姫様と関係を持ってた人も多くてねぇ。今じゃ炎上ものだよねぇ」


それを聞いたみんなが、口々に平安時代の男に対して不平不満を溢していたのを覚えている。 


やはりここは、そういう世界なのか。




「あの二等身のまん丸なずんぐりむっくりにも恋人がいるのっ?!」




にわかには信じがたい事実に、思わずタエの袖を掴んで食い気味に尋ねた。


突然のことに面食らったタエは、肩を竦ませて数回パチパチと瞬きをした後、ハァっとため息を吐いた。


「若様は都中に噂が広がるほどの絶世の美男子なんだから、姫君たちが放っておくわけがないでしょう?」


「うわ、マジか。ちなみに何人と付き合ってるの?」


「さあねぇ。でも毎晩出かけてるから相当の数なんじゃない?まあ、実際のところはわからないけどね」


嫉妬なのか不貞に対する怒りなのかわからない感情がぐるぐると胸の内を駆け回る。

タエは絶句している野分の肩をぽんっと叩いて、


「それにしても、野分。あんな美男子がずんぐりむっくりに見えてるなんて、やっぱり医者に行ったほうがいいよ。目か頭、診てもらおう?」


と、憐れみにも似た生暖かい目線を向けて微笑んだ。






「はぁ〜!やっと夕餉か!腹が空いて空いて!ほれ、こんなに痩せ細ってしまったわ!」


ポニョンポニョンと丸いお腹を弾ませながら、渡り廊下の向こう側から清麻呂と要が歩いてきた。


近くの庭先にいた雑仕一同が、一斉に地面に目をやり跪く。

もちろん、野分も例外ではない。


清麻呂は、まるでそこになにもいないかのように、野分の横を素通りして行った。

そして数歩先まで歩くとピタリと止まり、作り物のような小さな足でトタトタと戻ってきた。


持っていた檜扇を眉の上に当て、野分の方をじっと見る。

元から細い目をさらに細めて彼女を認識すると、



「醜女ではないかぁ〜ッ!どこぞの巨女が紛れ込んでおるのかと思ったぞ〜!」



と、ニヤついた高い声で野分に声をかけた。


野分は額に血管を浮かべながら、ひたすら無言を貫いた。

しかし、隣にいるタエに肘打ちされて、仕方なく顔をあげるはめになってしまった。



「あらぁ〜!清麻呂様〜!おかえりなさいませ〜!」


上辺だけは笑顔を心がけよう。

そう思って、小刻みに痙攣している唇で不自然なくらい明るい声色で答える。


清麻呂は檜扇で隠した口元からプスッと笑いを溢し、


「おお、似合うではないか〜!やはり醜女は醜女らしく、粗末な衣がお似合いぞ!ん?なんじゃその口当ては。要の真似か?醜女の趣味はわからんの〜!ホッホッホ!」


と、言いたいことだけを言って、高笑いをしながら食事を準備してある部屋へと去っていった。


彼が立ち去ると、雑仕たちは各々の持ち場へと戻っていく。

しかし、野分だけはプルプルと震えて座り込んだままだった。


「あんた凄いじゃん!若様に声をかけてもらえるなんて!あ、もしかして、感激して動けなくなっちゃったとか……」


タエが肩に触れようとした瞬間、まるで飛び上がるかのような勢いで野分が立ち上がった。






「あいつ絶対にッ!いつか締め上げるッ!」






血走った目で拳を握りしめた野分の声は、屋敷の外にまで響いていた。












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