#4 平安京という場所③


何度か角を曲がり続けると、一層賑わっている場所に出た。


地面に敷いたゴザの上に野菜や道具などの商品を並べている人たちが、壁沿いにずらりと並んでいる。

客引きの呼び声や値段交渉など、とても活気のある雰囲気だった。

先ほどまで陰鬱としていた野分の心も、少しだけ弾み始める。


タエは慣れた足取りで市の中に進み、顔見知りらしい女性に声をかけて菜葉や根菜を手際よく調達した。その間にも野分は好奇心を抑えきれずに、キョロキョロと忙しなく首を回して辺りを見渡す。


水桶に入った魚を売っている人。

土の付いた葉物や根菜を並べている人。

竹のザルや籠を編んでいる人。

よくわからない謎の干物を売っている人。


自分の住んでいた地域ではあまり見慣れない商魂溢れる雰囲気に、野分の足が自然と動いてしまう。


ふと、数メートル先の壁にうずくまっている人影が見えた。

誰かに声をかけられることもなく、その場にじっとしている。

すると、そこに一匹の痩せ細った犬がやってきた。

そして、犬はなんの躊躇いもなくその人の腕に噛り付き、そのままその人を引きずり倒した。



野分はあっと声を上げる。



引きずられていくその人をどうにか助けなくてはと思い、近くにあった小石を掴んで犬に向かって投げた。

小石に驚いた犬はパッと口を離し、そのまま市場の奥へと逃げ去っていく。


野分は慌てて横倒れになったまま動かないその人のもとに駆け寄り、「大丈夫ですか?」と声をかけた。


しかし、返事はない。


あまりの痛みに口が聞けなくなっているのかと思い、犬に齧られていたその人の腕を見た。


枯れ枝のように干からびた腕からは骨らしきものが見えており、その先には変色して捲れ上がった爪がついている。野分は背筋に冷たい汗が伝い落ちるのを感じながら、その人の顔を見た。


すでに目は窪落ち、獣に食い散らかされてズタズタになった頬の部分からは、奥歯が露わになっている。


どう見ても、生きている人間ではなかった。




「きゃああああッ!」




全身から絞り出すような悲鳴が飛び出た。


目の前にあるのは紛れもない死体だ。しかもお葬式などで見る綺麗に整えられたものではなく、無残にも食い荒らされ、朽ち果てた人間の死骸だ。


野分は腰の抜けた体を腕の力だけで後ろに退かせて、短い呼吸を何度も繰り返す。爆音で鳴り響く自分の鼓動を聞きながら、カタカタと動いてしまう自分の手首をギュッと掴んでいた。



どうしてこんなところに死体が放置されているのか。

どうして誰も気にしないのか。



「野分っ!なにしてんのよ!早く、こっち来なさいよ!」



突然、タエの声が飛んできた。

死体を見つめたまま動けなくなっていた野分の腕を、乱暴に引き寄せる。


「あんなのの近くにいたら、『穢れ』が移るでしょ!そんなこともわからないわけ?!」


道端の糞尿をものともしなかったタエが、口と鼻を袖で塞いでいる。


眉頭をぎゅうっと寄せながら、タエはそのまま野分を引っ張り、駆け足で市場の中から脱出した。


「あんたね、物を知らないのも大概にしなさいよ!」

「ご、ごめん……。でも、なんで、あんな……」


血の気のない真っ白な顔で小声で話す野分を見て、タエは少しばかり哀れむような目線を向けた。

肉に食い込むほど強く掴んでいた彼女の腕をパッと離して、前を向いたまま話始める。


「……。身寄りのない人間だったんでしょ。流行病かなんだか知らないけど、街中に捨ててある死体は大体そんな感じよ」


野分は耳を疑った。


「あんな死体が、街中に?お墓とかに埋葬しないの?」


「そんなの庶民ができるわけないでしょ。そのうち犬とか鳥とかに喰われて骨だけになるわよ」


「いや、でも、誰も片付けないわけ?」


片付ける、という表現が適切かどうかは分からなかったが、他に言いようがなかった。


「ハァ?そんなことしたら穢れがうつるでしょ!誰も触りたくないわよ、あんなの!」


馬鹿なことを言っていないで早く帰るわよ、とタエが背中の籠を背負い直す。


乾いた地面を見つめがらトボトボと歩き出す野分の脳裏に、先程の死体の映像が浮かび上がった。


その度に何度も立ち止まっては頭を左右に振る。


来る時よりも何倍も重い足を引きずりながら、彼女は屋敷へと戻って行った。










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