#3 圏外②
「おお!要!」
葦毛の馬に跨った屈強な男がこちらに気付いて手を掲げる。
日に焼けた褐色の肌のせいか、ニッと笑った歯が白く眩い。
背中に矢筒を背負い、こめかみのあたりに放射線状に伸びた飾りのついた冠をかぶっている。
野分は、雛人形の何段か下に飾られている武官の人形を思い起こした。
「橘左近衛府少尉様」
「相変わらず堅物だな。いいって、義通で」
「そんなわけにもいきません」
「いや、長すぎだろ。それが礼儀なのはわかってるけどよ。例えば緊急時にそんな長い名前呼ぶ暇なくないか?」
「橘左近衛府少尉様」
「いや、めちゃくちゃ早口で言えっていってるんじゃなくてだな」
なんとも噛み合わない会話を交わしながら馬から降りると、要の横にいる野分に目を向けた。
「こいつが、あそこの通りで襲われていた娘か?」
高い背を屈ませ、俯いている野分の顔をヒョイっと覗き込む。
真っ赤な顔でボロボロと大粒の涙を流している野分と目が合い、ギョッとして、すぐさま上半身を起こした。
「な、なんっ?!……っ?!」
言葉も出せず、わたわたと忙しなく手足を動かす義通に、要はゆっくりと一度だけ頷く。
義通は一度、ごほんっと咳払いをしてピシッと背筋を伸ばすと、
「娘、どこの者だ?」
と、威厳を感じさせる落ち着いた低い声で尋ねた。
「東京。中宮園大付属第三高校の望月野分……」
野分は酸素を取り込みにくくなっている肺を必死に動かして、答えた。
しかしやはり、彼も首を傾げるだけだった。
彼女の涙が乾いた地面にぼたぼたとこぼれ落ちていく。
これからどうすればいいのか。
どうやったら帰れるのか。
他のみんなは探してくれているだろうか。
警察は動いてくれているだろうか。
そもそもこういう場合、警察がどうこうできるものなのだろうか。
野分の心臓は不安に押し潰されてしまいそうだった。
呼吸も荒くなり、立っていることもままならなくなった彼女は、その場にしゃがみ込む。
そんな野分を無言で眺めている要。
それとは正反対に、どう声をかけて良いのやらわからないが、とにかく励まそうと必死に声をかける義通。
珍妙な格好をした娘を囲む口覆いをした男と無骨な大男という目を引く光景に、周囲には野次馬が集まり出した。
「──ひとの屋敷の前で何をしているんじゃ、そなたらは」
質量のある木の扉がギィっと乾いた音を立ててわずかに開き、そこから清麻呂がひょこりと顔を覗かせた。直後、野次馬の人垣から黄色い歓声が上がる。
「きゃああ!藤原の若君よ!」
「お目にかかれるなんて、夢のよう!」
「なんて優雅で清らかなお姿……!」
「良い香りがここまで届いてくる……!」
老若男女問わず周囲が色めき立ち、砂糖に群がる蟻のように人が集まってきてしまった。
これでは立ち話すらできないということで、ひとまず三人は清麻呂の屋敷の中に招き入れられた。
扉が閉まりきる直前、清麻呂は顔を隠していた扇を少しずり下げて、門外の民たちに涼やかな流し目を向けた。すると、より一層大きな歓声が上がり、バタバタと人の倒れる音が、閉まりきった扉の隙間から聞こえた。
「ほほ!民草には少し刺激が強すぎたかのぅ!」
得意気にふんぞりかえり高笑いをしている清麻呂を見て、
(マスコットキャラクターだと思われているだけだと思う。それか動物園のパンダ。パンダの方が何億倍も可愛いけど……)
と、野分はジトッとした目を向けた。
「で?なぜ醜女がまだここにおるのだ。しかも、義通まで。左近衛府少尉殿は暇なのか?」
「ああっ?!俺はお前がまた騒ぎを起こしたって聞いたからだなぁ!」
「はぁ……。相変わらず声のでかい男じゃ。雅という言葉を知らんのか?」
わざとらしく耳を押さえながら、義通を恨みがましく睨み付ける。
「〜〜ッ!ろくに働かないお前に言われたくないわッ!」
「働いておるわ、たわけ!おぬしと違って要領がいいだけじゃ!」
ぽってりとした卵みたいな小男と、がっしりとした無骨な武士の熾烈な言い争いが目の前で繰り広げられるギャンギャンと飛び交う怒声に、野分の不安は最高潮に達してしまった。
「うああーーーんっ!家に帰してよぉおお!」
火が付いたように泣き出した彼女に、脛を蹴ったり頬を抓ったりしていがみ合っていた清麻呂たちもピタリと動きを止める。
「家が分からないそうです」
それまで黙って傍に控えていた要が、口を開いた。
清麻呂と義通はお互いの服を掴みあったまま、顔を見合わせる。
「……お前、天下に名高い色男・藤原清麻呂様だろ。なんとかしてやれよ」
「は?見返りもなさそうなこの醜女を助けたところでどうなるんじゃ」
「……相変わらず性格の悪いやつだな」
「では、おぬしが助けてやれ。そうじゃ、おぬしの妻にしたらどうじゃ?女に相手にされず、男にばかり慕われる無骨な左近衛府少尉殿にはぴったりじゃ!」
「お前、馬鹿にしてるだろっ?!」
「なぁんのことか、さっぱり分からんのぅ」
再び取っ組み合いを始めようとする二人に、要が歩み寄り、その場に膝をつきながらこう伝えた。
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