#1 プロローグ③

息を切らしながら到着したのは、郊外の古びたお寺だった。


鬱蒼と佇む巨大な樹木、居並ぶ灯籠を侵食するかのように生えている苔。

厳かな雰囲気こそ感じられるが、縁結びのそれとは程遠い。

一通り本堂や庭を見学させてもらったが、石碑のようなものは見当たらない。



「ちょっと窓口で聞いてみるね」



野分はそう言って、本堂の中に戻って行った。




本堂の入り口にある小さな窓口は開いていたが、誰もいない。

無用心だなと思いながら、ずらりと並んだお守りを見ながら待つことにした。


ふと、レースで編まれた赤いブレスレット型のお守りが目に入った。


添えられた小さな説明書きには、『伝説の天女が落としていった赤い組紐を再現した恋守り』と書いてある。




「……天女?」





そんなことは誰も言っていなかった。

お守りを手に取ってまじまじと見つめていると、


「やあ、すみません。お待たせしました」


と、庭先からひょっこりと僧侶が現れた。

人好きしそうな、まん丸な目をした男性だった。



「あ!あの、すみません。竹林の中にある石碑を探しているのですが」


「ああ!こちらの本堂の裏手に細い道がありましてね、そちらを進んでください」



指差された先には、古びた看板が笹に隠れて立っていた。

これではわからない筈だ。


「ありがとうございます!」


彼女は僧侶に一礼をしてその場を後にしようとした。

しかし、ピタリと足を止めて身を翻し、


「……あの、これ、ください」


と、窓口に並んだお守りの中から天女のお守りを手にして、恥ずかしそうにそう呟いた。


戻った彼女は友人達を連れて言われた細い裏道を進んだ。


変わらない周囲の風景を訝しげに眺めながら散策してみると、先ほどクラスメイトが言っていた竹林が見えてきた。


彼女たちは竹林の風景を味わうこともせず、石碑を血眼で探す。


しばらく行軍のように突き進んでいくと、突然目の前がさっと開け、石の柵で囲まれた石碑がポツンと現れた。 



想像していたよりはこじんまりとしているが、そこだけ天からの光が差し込み、スポットライトのようにキラキラと輝いている。


苔むした石の状態からして、だいぶ昔からあるものだろう。


しかし、その両脇には生き生きとした綺麗な生花が飾られていて、今でも大切にされているのだという事が見てとれる。



「はぁ〜、見つかって良かった。これで石碑無かったら骨折り損だったわ」


「それな。うわぁ、落ち着いて見てみると、すごく気持ちいい場所じゃんね、ここ」


本当に隠れたスポットらしく、野分たち以外に観光客はいなかった。


耳をすましてみると、さらさらと笹の葉が擦れる音が細かく鼓膜を揺らす。


時折聞こえる小鳥のさえずりは都会では聞いたことのないくらい鮮明で、緩やかに吹き抜ける風が、額に浮き出た汗を乾かしていく。


深呼吸をすれば、竹の匂いが肺いっぱいに広がった。



あばれ猪のように鼻息を荒くしていた彼女たちもさすがに落ち着き、この素晴らしい雰囲気をしばし静かに堪能した。



野分は石碑に歩み寄り、掘ってある文字に目を凝らす。

風化しているせいか、所々崩れていて読みづらい。



角度を変えながら何度か試みると、《藤原清麻呂》という文字だということがようやくわかった。



「こんな後世まで語り継がれるなんて、どれだけイケメンだったんだろうね」

「平安時代のイケメンだし、顔は期待できなくない?」



本人の石碑の前で堂々と悪口を言う律の脇腹を肘で突く。



「これでご利益が半減したらどうするの!」

「だって!光源氏だってオカメみたいな顔じゃん!」


大袈裟に身悶えながらと涙目でこちらに訴えている律。


確かに、国語の便覧で見た光源氏の顔は、もったりとしたふくよかな輪郭で糸目だった。


今のイケメンとは少しかけ離れている。


「でも、ほら!多くの民を救った人格者なんでしょ!すごいじゃん!」

「昔のことなんて、本当かどうかわからないけどね」


 ……これ以上ご利益を減らされたらたまったものではない。


野分と他の友人たちは結託して律を目一杯くすぐり倒し、黙らせた。


律はヒィヒイと笑い声をあげながら「ごめん!ごめんってば!」と謝っていたが、彼女たちは容赦なくくすぐり続ける。


律が笑い疲れて喋れなくなった隙を狙って、他のメンバーたちは姿勢を正して石碑に手を合わせた。


上から降り注ぐ太陽の暖かさが心地よい。


ただ自然の中で手を合わせているだけなのに、心の中まで穏やかになっていく。


そして、不思議と懐かしささえ感じる。



「野分〜!もう行くよ?」



手を合わせたまま動かなくなっていた彼女の耳に、律の声が届いた。

はっと目を開けてその方向へ顔を向けると、もう随分と離れた場所にみんなの背中が見える。


野分は、慌てて駆け出そうとした、その時。












「っ!」












突然、強い風が吹いた。

今まで穏やかだったのに、まるで一瞬で台風に放り込まれたような風圧だった。


あまりの強風に立っていることもやっとで、彼女は腕で顔を覆いながらその場に踏ん張った。


巻き上げられた葉っぱや土が顔や耳、足をビシビシと攻撃してくる。

ゴーッという音が耳の奥を駆け巡る。


他のみんなは大丈夫だろうかと、うっすらと開いた目蓋の隙間から前方を窺い見た。







「……え?」








みんなは何事もないように、平然と歩いていた。

風に困惑する様子もなく、笑い声をあげながら。





「なんで……?」





そう呟いた瞬間、ひときわ強い風が吹いた。


もはやそれは竜巻と言っても過言ではないほどの力を持ち、野分の体をまるで羽根を巻き上げるかのように、いともたやすく宙に浮かせた。







(……うそ、私、死ぬ)







天高く舞い上がった浮遊感の中、そう感じた。


もう、頭は真っ白だった。

ただ、近くなった空の青さだけが彼女の瞳に映っていた。


そこで野分の意識は途切れた。










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