第11回 印象と体裁 処女と生贄の儀式の章


この秘密の庭という作品は、ヨーロッパでごく普通の生活をしている中で、インテリ階層の紹介だからと安心して扉を開けたら、訳のわからない文字通り「異次元」に踏み込んでしまった、という作品です。異次元とは言っても、現在流行中のライトノベル系でなく、文字どおりの。


「秘密の庭」はノンフィクションではないものの、よくわからない世界というのは隣の家の扉さえもそうです。(拙作「アテナイから」をご覧ください。)


「秘密の庭」で表現されているのは、公開停止になるような問題ある性的表現に満ちた闇なのかどうか。(15歳のレーティングには確かに引っかかるかもしれませんが。そもそもこの作品は18歳のレーティングで書かれています。)


明るいところに引きずり出して検証すると、人間が快、不快を感じるその過程について、あらゆるファクターがあり、単純化して考えられるものでもなく、なぜ快楽が得られるのかという意味で、この作品のように人生が変わってしまうくらいの快楽の経験、というのはあり得るわけで、そこが体験する本人や追体験する読者の意にそぐわないと「暴力表現」ということになり、問題ではあるかもしれない。


蘭の花でさえ、猥褻かどうかということになると、自分は考える。

例えば、料理やスイーツでも、ごく普通のものであっても、視線により猥褻になる。それは何故なのか。


人間の視覚能力は今のAIに応用されているように、予知の部分がかなりあって、例えば顔認証でも、3〜4点、目鼻口のようなデザインは人の顔と認識するように、はっきり書いてなくとも、自分の中の経験と照らし合わせ、読解するわけです。細切れに表現を検証してみて、結構がっかりしたのは、おそらくレーティングをチェックするスタッフは作品を楽しまずに、仕事的に「これまずいんじゃないか」と思いながら作品を漁っていたんだろうと。なぜなら自分も同じ気持ちになったから。


もともと秘密の庭の第3章はわざと「処女と生贄の儀式」だけ、切らずに長いまま掲載しました。そうすることで、よくわからないことが進行している、普通に朗読しているだけなのに、自分だけ公衆の面前で異次元にいるという、羞恥を使って物語を作っていて、うっかりしたら、この少女は「触られてる気がしている」だけかもしれないんですよね。


もっとそうなるように書き換えてもいいんですが、レーティングに引っかかった原因をできるだけ短く書き換えたものを掲載しました。(伏せ字と一文字程度を差し替えて。)


ただ、何をどう感じるのかというのは、とても個別、主観的なもので、絵画表現に比べた文字の表現はそういう意味で、可能性を秘めていると感じます。絵画や写真、映像のように、決定的に限定されない。見る人の判断に委ねられるわけで、見る人の脳内スクリーンに広がる世界が、案外とこちらが意図しているよりも鮮烈で豊かな可能性もある。


異性と寝る経験なんて、ほぼ大人なら誰でも経験する日常行為なので、行為自体に特別な意味やよほど単純で生物学的な快・不快を重視しない限り、飽きない方がおかしい。その中で「快楽とは何か」を分析すれば、こういう作品になるわけで、愛の行為とはかけ離れるかもしれないが、同時に、愛と悦楽が結びつく世界があってもいい、いやそれがむしろスタンダードなはずなのに、というアンチテーゼにもなっている。


もしかして、倒錯という意味で問題になったのか。いや、舞台で本を読んでたら、倒れるとかは普通にあると思うが。


この少女にはフィアンセがいるわけで、その後はどうなったかわからないのが、リアルな人生の無常でもありますよね。


「処女と生贄の儀式」の章を細切れに掲載すると(最初それをやろうと思ったのですが、やめます。結局何が問題なのか、シャットダウンされるまでわからないが、リアルタイムに検閲されるわけでもないだろうから。)、どんどん手垢のついた「みだりに他人の性的な欲望を煽る」表現に近づく可能性があり、本当は分けないで読んで「よくわからない環境に放り込まれた感覚」を体験して欲しいとは思います。何より、ヨーロッパの古い建物は「開けたらまずかったかな」というような大きく重い木の扉ばっかりですから。


できるだけ触らずに、設定を変えるということをやり、R15で問題のないものになるのか、やってみましたが、問題あるなら、連絡をください。


あまりメール見てないので、気がついたら、公開停止になって、それでも高々猶予は数日だったので、厳しいですね。


ただ、法律に違反したいわけではないので、気がついたら直しますが、それにしても、「本当に猥褻なのかどうか」は、検閲する人の経験値に寄るとは感じます。


ホームセンターにある「ゴムホース」さえも、それが体内に入るかもしれないと考える人がいたら、猥褻物になるのでは?


上記の物品は今、単に思いついたから書いただけですが、暴力に使われる道具として、「凍らせた豆腐」が凶器になるなら、豆腐だって取り締まり対象ですよね。


猥褻かどうかの表現に挑戦したのは、文学の可能性を試してみたかったからであって、青少年に悪影響を与えるのが目的ではないが、そんなこと言ったら、青少年に悪影響を与えるものなんて、どこにでもある。問題は、コミュニケーションを閉ざすような社会を形成して断種政策する政府にあるんじゃね?

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