第3話 処女と生贄の儀式 1
緩やかな階段をヒールで踏みしめて登る。真紅の絨毯に吸い込まれ、音はしない。
咲花は文字通りずっとお人形だった。もはや耐えきれなくなりつつあった。咲花のこの陰鬱な気分の原因は、ままならない人生に対する不満と、養父母へ芽生えた猜疑心と反発心かもしれない。自由に生きたい。でも、9月には日本に帰国が決まっている。
「ここだよ……」
ふと、我に返って、咲花はムッシューとの距離が微妙に近づいたことに気づいた。心なしか、親しみのこもった目で咲花を見ている気がする。
重厚な木のドアに大理石の床。このドアの先は……
「一時間後、君も生まれ変わったみたいに『自由』になる……何をするのも、どこでどう生きるのもまるっきり、『自由』だ。そのことに気づいて驚くだろう」
ムッシューが大げさな言い方をする、と咲花は上目づかいにムッシューを見つめた。
自由? 生まれ変わったみたいに?
さっきのボンボンのせいで、胸の鼓動が早鐘のように感じられた。チョコレートの中身は柔らかい真っ白の大きなマシュマロで、中央にコニャックの効いたラズベリーのソースがどろりと、たくさん仕込んであった。
自分を見る冷たい、冷徹そうなムッシューの瞳が何か、ねっとりと意味ありげに見えるのは気のせい?冷たいものと、熱いもの、相反するものを感じて、咲花は、言い知れないような胸騒ぎを感じた。盗み見たムッシューの端正な横顔は、何を考えているのか咲花には全くつかめなかった。
平日の昼下がり。それにしては、この扉の向こうには、大勢の人がいる気配がする。
低い静かなピアノの音が聞こえてきた。ムッシューがドアを開けた。押し殺されたような不気味な熱気。さっと、ムッシューは咲花に薄いフルート型のシャンパングラスを手渡した。ムッシューの指先が偶然触れ、その温かさに咲花は驚いた。
部屋は薄暗く目が慣れるまで時間がかかる。奥の部屋に咲花を連れて行く。咲花の動悸がまた激しくなった。
ジュースのように無防備に飲んでしまったシャンパンのせい?
その時、カメラのフラッシュのような突然の閃光に、咲花は思わず目を
「……心配は要らない」
ムッシューはそっと咲花を引き寄せ、上手にリードして、全く目が見えなくなった咲花を奥へ奥へ連れて行く。
突然の閃光の中で見えたもの……
咲花はショックというよりは、まだまったく状況を理解していないゆえに、むしろ、初めて親に連れられてお祭りに来た子供のようだった。
「ここで今から、言われた通りに、朗読するように」
咲花は持っていた重い本を開いた。この本をまるで読んでいる風に、朗読する……。これが今日、自分がすべきこと。
「では、はじめ給え」
ムッシューの声がすぐ耳元で聞こえた。熱い。咲花は背中がぞくぞくした。その感覚に抗うように、咲花は、澄んだよく通る声で、自作の詩を暗唱し始めた。
この暗い夜空を今見上げているのは
こんなに離れてはいても あなたの眼差しを 今この瞬間にも感じているわ
どこにいようとまるで あなたが夜空で一番に
あなたのその瞳 まるで星を映す鏡のよう
遠くにいて初めて きっとあなたは
行く先々を照らす光となって
もしも愛してくださるのな……
……らぁッ……!
朗々と謳いあげていた咲花の声が思わず途切れた。
? ……ッ、………?
重い本で両腕がブルブル震える。咲花にだけは、場違いな強い照明が当てられるせいで、目がおかしい。咲花からは何も見えないけれど、周りからは、咲花だけが、まるで舞台のようにくっきり浮き上がっているはずだ。
誰かが。。。咲花をずっと撫で回している。……そんな気がする。
咲花は言われた通り、平然と朗読を続ける。本を読んでいるような振りで。
頭の中が真っ白になり始めた。触られているようで、触られていない……何?
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