マッチング・アプリ

しゅん

第1話

「お待たせました~。ハイボールですね。」


 大衆居酒屋にありがちな少し薄めのハイボールを喉に流し込み、揚げたての唐揚げをほおばりながら、スマホの画面に目を落とす。時刻は19時を少し回ったところ。入店したときには人もまばらであった店内だが、徐々に酔客で席が埋まってきていた。よく考えると、今日は金曜日。社会人になって4ヶ月弱。大学生の頃と違い、不定休となった今、曜日感覚がどうも鈍くなってしまっている。


 店内を見回すと、ジョッキを片手に盛り上がるサラリーマンのグループや、サークルの飲み会だろうか、大声をあげて酒を流し込む男女の学生のグループなど、各々の客が華金の夜を楽しんでいた。楽しそうな学生グループをうらめしそうに一瞥した後、再びハイボールに口を付けた。


 大翔が座っているカウンター席には、数人のサラリーマンがそれぞれ1人できており、黙々と酒と料理を楽しんでいる。その中に、ひと際目立つ女性が1人、ビールを飲みながら店内のテレビに見入っていた。座っているのではっきりとはわからないが、身長は170cmほどあるだろうか。日本人離れしたスタイルに、目鼻立ちのはっきりした顔。しかし、まだどこかあどけない感じがある。学生か、社会人だとしても働き出して1年目、2年目、そんなところだろう。


 大翔はいつの間にか彼女に見入っていた。カウンター席で2つ空席をはさんで、隣に座っている。話しかけようと思えば話しかけられる距離である。いわゆる"ナンパ"に慣れている男性にとってはたやすい所業であろう。しかし、仕事以外で女性と話す機会がほとんどない大翔にとってはそうではない。飲み物をこぼして気を引いたり、トイレに立つふりをしてハンカチを落とすといった古典的なやり方を考えていたが、あまりにあからさまな気もする。正々堂々と声をかける方がいいと考えなおしたものの、それにはまだ酔いが足りない。メガサイズのハイボールを注文し、ガソリンを注入してから作戦を実行しようと考えていた。


 メガハイボールのジョッキに口をつけたその時、「いらっしゃいませ!1名様...あ、お待ち合わせのお客様ですね。」店員の威勢のいい声と同時に、端正な顔立ちの若い男性が店内に入ってきた。待ち合わせの相手を探しているのだろう。店内をきょろきょろしながら奥まで行き、また入口に戻ってきた。串揚げを揚げていた店主がそれに気づき、親切に声をかける。「お客さん、うちは神田北口店ですけど、待ち合わせの方はこちらで合ってますか。近くに、神田駅前店と神保町店もありますが。」「ぼくもこの辺はあんまり来ないんですけど、確か神田の北口って話だったような・・・。」このやり取りで気が付いたのか、例の女性がおもむろに立ち上がり、男性の方に駆け寄った。「もしかして、淳一さんですか。すみません、すっかりぼーっとしちゃってて・・・。」「結衣さんですね。はじめまして、こちらこそ遅れてしまってすみません。」彼女は待ち人であったのだ。残念に感じる反面、声をかけていたらまずい状況になっていたことを考え、少し胸をなでおろした大翔であった。


 冷静に考えると、それはそうだ。彼女のような美しい若い女性が、1人でこのようなしがない大衆酒場には来ることなど、滅多にないことであろう。男性もカウンターに着席し、2人はぎこちない感じで乾杯し、自己紹介をしていた。どうやら2人はマッチングアプリで出会ったらしい。今日が初めてのデートのようだ。確かに新型コロナが流行ってからというもの、よりマッチングアプリに注目が集まっているとは聞く。実際、大翔も学生時代の最後の1年間、マッチングアプリに勤しんでいた。しかしながら、まずマッチングがなかなかできない。さらにマッチングしても話が続かない。実際に会えても、今はやりのマスク詐欺だったり、明らかな地雷系の女性、怪しげなセミナーの話を持ってくる女性ばかりで、学生にとっては高すぎる使用料が財布を圧迫するだけであった。


 カウンターの1つ隣に座っているマッチングアプリの美男美女は、アルコールも手伝って早くもいい雰囲気になっている。最初は2人の間にもう1人入れるくらいのスペースがあいていたが、今はもう肩が触れ合うほどの距離で話し込んでいる。「結局、世の中見た目だよなぁ。」男性の端正な顔立ちをため息交じりにぼんやり眺めていたら、後ろから声をかけられた。声の主は、サークルの飲み会らしき大学生グループの男子であった。「お兄さん、写真撮ってもらえませんか。」快く了承して、写真を撮る。昨年までは自分も学生であった大翔であるが、青春を謳歌する彼らの存在はスマホのレンズ越しにもまぶしく映っていた。「お兄さん、お兄さんのスマホで撮っても意味ないじゃないですか(笑)」ふと我に返った。頼まれた写真なのに、自分のスマホで撮影していたのだ。「めっちゃウケる。お兄さん天然ですね。」ギャル系の女子も笑っていた。「せっかくなんで、お兄さんも一緒に撮りましょうよ。」と続ける。馴れ馴れしいと思ったが、酒の場は無礼講。通りかかった中年男性の店員にお願いし、大学生グループと一緒に写真を撮った大翔であった。大学生グループと年もそこまで変わらないだろう。まるでサークルの一員のように、大翔も溶け込んでいた。撮ってもらった写真には右後ろにマッチングアプリの男女と焼き場にいる店主が写りこんでおり、画角の悪さに一同失笑し、話が弾むきっかけとなった。


 しばらく大学生グループと話していた大翔であったが、21時を回り彼らが2次会で予約の店に移動するという。よかったら2次会にも一緒に来ないかとの誘いを受けたが、さすがに迷惑である。サークルの代表という男女2人とだけ連絡先を交換し、撮影した写真を後ほど送る約束をして、彼らは店を後にした。久しぶりに学生時代に戻ったような懐かしい気持ちを胸にしまいつつ、少し酸っぱいレモンサワーを流し込んだ。会計を済ませて店を出ようとしたら、ちょうどマッチングアプリの男女も立ち上がった。肩を抱き合い、まるで数年付き合っている恋人かのようにいちゃいちゃしながら、レジに向かっていた。女性の大きな胸がシャツの隙間から見えそうで、思わず視線をそらした。実はこの時、大翔とは違う別の感情の視線を2人に送っていた男性がいたことを、その場にいた誰も気が付かなかっただろう。彼もまた、カウンター席に1人で座っていたということも・・・。


 駅について山手線に乗り込んだ大翔であった。今度の土日は久しぶりに休みで、さらに月曜日は祝日。入社して初の3連休である。特に予定はないが、給料も入ったばかりなので普段できないことをやろうと考えていた。今日何となく入った居酒屋で、美人な女性を眺められ、学生グループとサークル気分で楽しく酒を飲めた。3連休が始まる前にふさわしい金曜日になったと少し満足した気持ちでいた。座席にも座ることができ、幸運な1日だと感じていた。「次は、新橋、新橋、お出口は・・・。」しまった、やってしまった。逆方向の山手線に乗ってしまっていた。結局、いつもの運が悪い大翔であったのだ・・・。しかし、座席に座れているので、そのまま乗っていくことにした。連絡先を交換した大学生2人からお礼のメッセージが来ていたので、返信し、撮った写真を送った。最寄り駅まで遠回りのため、まだ30分ほどかかる。酒も回ってきてひと眠りしようとした大翔の前を、1組のカップルが横切った。あのマッチングアプリの男女であった。

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