宵の前の妻問い Ⅲ
取り残された二人は、しばらく扉を見つめたまま。
暖炉の薪が爆ぜる音で、やっとのことでお互いを見たが、キルシェは気恥ずかしくて視線を落とした。
「お願いします……」
「ああ……」
リュディガーに対してわずかに身を捩って背中をむけると、視界の端で無骨な手が箱から首飾りを取り出したのが見えた。
取り上げられたそれは、リリーが言った通り、とても透明度が高く、よく光を弾いて輝く。首飾りの金属がぶつかる音と、リュディガーの衣擦れの音が近づいて、俯いた視界__体に対して正面に首飾りが再び垂れ下がるように上から現れる。
胸元に沿うように落ちてきた首飾りの冷たさに、一瞬息を詰めると、リュディガーの動きも一瞬止まるものの、何事もなかったかのように首飾りを沿えていき、項で留め具をした気配のあと、ずしり、と重みが首飾りから伝わった。
首元で輝く首飾りに手を添えて、表面をなぞる。しっとりとした表面。気泡が限りなく入っていないそれは、硝子と言わなければわからない代物にキルシェには見える。
「__素敵ですね」
ひとりごちて言ってから、キルシェは顔を上げる。
横に並ぶように立つ形のリュディガーは、穏やかな表情で見つめていた。
「気に入りました。ありがとう、リュディガー」
「まあ、硝子じゃないのは、改めて」
「これで十分です」
「そうもいかないことがあるだろうに。相手方に失礼に当たることだってある。今日はまだいいが、な」
リュディガーはそこで、扉を見やる。
「有能なリリーのことだから、それも踏まえて勧めてくれたんだろうことは言うまでもないが」
「それはそうね」
着飾るのは、招待した相手に不敬にならないためでもある。
煩わしい世界とも言えるが、どの世界にも何かしらのしがらみはあるだろうし、そもそも相手への不敬というものは忌諱されて然るべきだとキルシェは思っている。
__リリーさんなら、気がついたことをそれとなく教えてくれるもの。
一線を越えそうであれば、必ず。それほど彼女は有能だ。全幅の信頼をおいて、任せていられる。
「__私も、今のうちに色々彼女から覚えて、ひとりでも素早く身支度できるようにしないと」
「ん? 覚える?」
リュディガーは、怪訝に眉をひそめた。
「リリーさん、3か月後に辞めてしまうそうなの。ご実家の事情で……」
リュディガーは腕を組んで、今一度扉を見やった。
「まあ、紹介状を貰えるだろう、彼女なら。ビルネンベルクの紹介状なら、引っ張りだこに違いない。__辞める、ということで思い出した。先生から、ちらっと聞いたんだが、ヘルムートも来月いっぱいで辞めるらしい」
「そうなのですか」
「そっちはそれとなく聞いただけだから、詳しく聞いていないがな」
「そう……寂しくなりますね」
「まぁ……そうだな。だが、君の場合、それなりに身支度なんてできるだろうに、今更、何をまだ覚えることが?」
「それなりに出来ますが、本業のリリーさんの方が、やはり手際も出来もいいもの。やってもらうのと自分でするのでは、違うのよ、だいぶ」
そういうものか、とひとりごちたリュディガーは、暖炉ではぜた薪の灰に気づき、そちらへ歩み寄って、掃いて清めにかかる。
「人を雇うのではないのか? 後見人殿の為人をみるに、君に不便がないようにすると思うが」
「リリーさんの穴埋めで、お屋敷のお仕事のために必要であるなら私はいいと思うのだけど、私のためにと言うのは気が引けるの」
何で、とリュディガーは火かき棒に持ち替えた手元を止めて振り返る。
「……私、リリーさんが辞めて、そこから2ヶ月くらいでここを去るもの……。専属の侍女として雇って貰うのは、申し訳ないわ……。ビルネンベルクのお屋敷で侍女というので雇ったのに、私が去ったらその人がどうなるのか、って……」
「……そうか」
ビルネンベルクが必要であると言うのであれば、止めはしない。家の方針であるのだから。
__あくまで私の考えで、そうしたいと言うだけだもの。
火かき棒で暖炉をいじっていたリュディガーが、それを置いた音にキルシェは視線を向けた。
相変わらず背を向けたまま。大きい体を縮こまらせている。
じっとそのまま動かないから、キルシェはいくらか怪訝に彼の様子を見つめた。
「__……今日、そう言えば、仮眠を取った時、浅く寝ていたらしくてな」
唐突な話題に、キルシェは片付けている大きな背に小首をかしげた。
「__夢を見た」
「夢……」
彼が言う夢とは、果たして
いつか訪れる可能性のある未来の出来事か、それともただ単に夢なのだろうか__。
「ローベルト父さんの」
「__!」
キルシェは思わず息を詰める。
ローベルトとは、キルシェも面識がある彼の養父だ。
「次はいつ連れてくるんだい、と言われたから……たぶん、君が休学した頃の夢だと思う。特になんてことはない、その当時の夢だった」
「……そう……」
最後に会ったのはいつだったか。
別れも言えないまま離れてしまって、とうとう自分はそのままローベルトは身罷ってしまった。
リュディガーは、ゆらり、とその場に立ち上がって、火力を落とした暖炉を見つめていた。暖炉の火力が落ちたのは、彼の仕業だろう。これから出かけてしまうから。
「ローベルト父さんには、常々、いい人はいないのか、と言われていたことを思い出した。龍騎士になってから特に顕著で……ほら、見合いだとか紹介されていたからな。夜会にも出向く事が増えたし……」
準貴族の位置付けになる龍騎士だ。それまで貴族でなかった血統でも、龍騎士となれば出自関係なく、爵位こそないが貴族の末席となる。
誉高い上級職。お近づきになりたい者はいるだろうし、見合い話も持ち込まれて当然。リュディガーも例外ではないような話を、彼の周辺から聞いた。
「自分は肺を患っている。老い先も短い。独りになったときのお前が心配で、ともな……龍騎士になって自立しているのに変わらずで……」
そこまで言って、リュディガーは苦笑を浮かべて振り返り、キルシェが座るソファーへと戻ってくる。
そして、その横に座ってもいいかと仕草で問われるので、キルシェはどうぞ、とすすめた。すぐ近くにリュディガーが座ると、彼の重さを知らしめるように座面が思っていたよりも動いて、どきり、とした。
スカートの丸みがあるから、そこまで近づかないものの、かなり近くに彼の存在があることに、キルシェは心臓が早く打つので、彼に気づかれないか気が気ではなかった。
「……いつだったか……確か足を折った頃だと思うが、世帯を持つのに私が重荷だったら縁を切ってもいいんだよ、と言われたことがあった」
「え……」
「流石にそれは怒ったな。たぶん……世間一般で言うところの、親子喧嘩だ、今思えば。それが最初で最後だな」
これには、キルシェは目を見開く。
あんな仲の良さそうな彼らからは、想像できなかったからだ。
__寧ろ、血の繋がりがないから、かしら……。
自分が彼と同じ立場で、実の父として慕っていた人物に、重荷だったら切れ、と言われて切なくならないはずがない。彼が憤慨した気持ちは、とても理解できる。ローベルトの優しさで言ったとしても、優しさだと理解できても__。
__理解できるからこそ……。
キルシェは膝に置いた手を、思わず握りしめた。
__でも、ローベルトさんなら、言いそうではある……。
「ローベルト父さんは、初対面で、見抜いていたのかもしれない」
「見抜く?」
穏やかな口調のリュディガーを見れば、遠く視線をまっすぐ向けたままの彼の横顔は、口調の通り確かに穏やかだった。そして、その顔がキルシェへと向けられる。
「__君と世帯を持つんだろう、と」
いくらかその目元が熱っぽく見え、声も艶っぽいものに聞こえ、キルシェは思わず息を呑む__と、大きく長い腕が伸びてきて、キルシェの体は引き寄せられ抱きしめられた。
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