宵の前の妻問い Ⅱ

「__まあ、では辞めてしまうの……」


「はい。3か月後ですが……」


 薄氷の色味の服に袖を通し終え、いよいよ仕上げという所でリリーが申し訳無さそうに告げたのは、この屋敷を辞めることだった。


「そう。ちょうど私の教員のお仕事と重なるね、終わりが」


 はい、と苦笑を浮かべながら、背後で腰までの留め具をする彼女を鏡越しに見るキルシェ。


「実家の都合なのですが……」


「紹介状は、いただけるのでしょう?」


「ええ、ありがたいことに。ですが、キルシェ様には、ご不便をおかけしてしまうので……」


「いえ、いいの。私は間借りしている居候なような者です。それなのに、いつも良くしていただいて……」


 当然のことですから、と上品に笑っていうリリー。


「__できましたが、如何でしょう?」


 すっく、と立ち上がって半歩下がるリリー。


「いつもありがとうございます」


 いえ、とリリーが答え、衝立にかけた衣服を回収に向かう姿を見ながら、キルシェは化粧机の椅子に腰を下ろして、いつもの耳飾りをしようと手を伸ばす。


「あと3ヶ月、色々と盗める技を盗ませてもらいますね」


「代えの者を雇うと聞いておりますから、そのあたりはご心配には及ばないかと」


「でも、私、そこから数ヶ月で居なくなってしまいますから……。わざわざ私の侍女として雇って頂くのは忍びないです。もちろん、リリーさんが抜けて侍女じゃない部分の仕事がまかり通らないということで雇うのであればいいのですけど__」


「__もう済んだだろうか?」


 キルシェは耳飾りをしながら話していると、扉のむこうからリュディガーが声をかけるので、驚きに息を詰めてしまった。


 着替え終わったキルシェを、談話室で待たずにわざわざ訪れるというのは、余程の用事がなければしないこと。まるでない、ということでもないが__。


 __以前も、あったのだもの……。


 少しばかり、心臓に悪い出来事だったのを思い出すキルシェ。


 リリーに視線を向ければ、彼女は、どうしましょう、と視線で問うているので、頷いて大丈夫と伝える。


「……今ちょうど終わりました。__お開けしますね」


 リリーが扉に手をかける。キルシェは頷いて、立ち上がり扉へ体を向ける。


「失礼する」


 現れたリュディガーは、龍騎士の正装をしていた。第一礼装ではなく、準第一という位置づけのそれは、飾り袖のない外套を制服の上に纏っているだけのもの。このときには、諸々の勲章__彼の場合、下賜された頸飾を省略していい。


 キルシェを見たリュディガーは、一瞬動きを止めたように見えた。


「どうしました?」


「あぁ……いや」


 答えながら、後ろ手で扉を閉めるリュディガーは、リリーに会釈をする。


「リースマンさんは、戻られましたか?」


「いえ、まだ」


「では、独りでなさったのですね。ご不便をおかけして申し訳ございません」


「いいんです。礼装ならまだしも、龍騎士の準礼装なら出来て当たり前。__それに後で確認してもらいますから」


「それで……リュディガーはどうしました? わざわざいらしたのなら、それなりのご要件でしょう?」


 話しを戻すように改めて問えば、その時、リュディガーの一方の手がずっと背後に回されていたことに気づく。リュディガーは近づきながら、その手を背後から前へと出すのだが、手には平たいやや大き目の箱が。


 その箱を手に、部屋の暖炉近くのテーブルへ彼は置くので、キルシェはリリーと目配せして歩み寄った。


 横に並んだ所で、リュディガーは箱を開けた。


 中には、丸い大小さまざま。乳白、青、空色、翠、紫__色もまた多彩な石が並ぶ、首飾りがあった。


 その色や石の形は、どこかで見覚え__否、親しみを覚えるもの。


 思わずキルシェは自身の耳飾りに触れた。まさしくそれに似通ったものだったのだ。


「これ__」


「__さっき誰かさんが余計な一言を言ったので、渡しそびれてしまったものだ」


 リュディガーがげんなりとした口調で言うので、キルシェは苦笑を浮かべ口元を抑える。


「ご、ごめんなさい」


「硝子だが」


「硝子……」


 不意によぎる、帝都からそう離れていない小さな村で硝子職人の工房の、その子息が浮かぶ。リュディガーにとてもよく懐いていた、少年。


「まさか、ドッシュ村の……」


 リュディガーはくつり、と笑う。


「察しが良いな。そこで頼んでみたものだ。君の耳飾りを実際に見た者だから、口頭で色や形状を伝えることはそこまで難儀しなかった」


「……いつの間に」


「私は、龍を使える身分で……それはまぁ、こっそり、ということだが」


 任務の合間にでも、行ったのだろうか。


 __それって、問題ではないの……?


 わからないわ、とキルシェは内心首を振った。


「以前、任務で贈ったものは、処分してしまっていたことを失念していてな……。しかも、君を同伴する予定ではなかったし……改めて誂えるにしても今回は時間が足りなくて」


「でも、お借りしていますが……」


 そう。キルシェはビルネンベルクの当主の母のご厚意で、宝飾品は貸してもらっている。今日、今まさに身につけている首飾りはまさしくそれ。これがどれほど高価なものなのか、宝石商の娘であったから、それなりの審美眼はあるのでわかっている。


「いつまでもお借りしていては、と思うので、用意したかったんだ」


「それは、同じく思っていました……」


 思ってはいたが、今の自分がどうやって贖うことができるという。自分のものがあれば、と相談を誰にせよというのか。


 __リュディガーにするにしたって……。


 是が非でも欲しいわけではない。お呼ばれするときに困るから、というだけのこと。そのぐらいの動機で相談など、キルシェにはできなかった。


「数少ない私の甲斐性のひとつとして受け取ってほしいが、さっき話した通りの事情で硝子だ。金具も真鍮。ビルネンベルク家の宝飾品の足元にも及ばないことは間違いない。無論、その耳飾りにも見劣りするだろう。だから、無理強いはしない」


「そんなことございませんよ」


 口を挟んだのは、いつもは自ら話しに入ってくることなどしないリリーだ。


 これには、キルシェのみならずリュディガーも面食らって彼女を見た。


「硝子でも、とてもいい色味ですから、硝子だなんて遠目ではわからないです。濁りも少なくて、全体が同じくらい透徹されている石に見えます」


 それに、とリリーはキルシェへ視線を移すので、キルシェは思わず居住まいを正した。それほど彼女の視線は、柔らかくも強かった。


「キルシェ様が身につければ、まずもって硝子などと誰も思いません。とんでもなく高価な石だと思いますよ。そのぐらいの気品がお有りなのですから」


 キルシェはどうにも気恥ずかしくなる。


「キルシェ様がよろしいのであれば、そちらをお召ください。その耳飾りに間違いなく合っているのは、その首飾りの方ですから。無論、いまお召のそちらでもお似合いでありますので、そのままでも構いません」


「リリーさん……」


 そう言われて、胸元のそれと見比べる。


 リリーなりに見立ててくれている首飾りも、決して耳飾りに合わないわけではない。晩餐などには、数種類の首飾りを合わせて選んでくれている。これもそのひとつ。


「……今日は、こちらにさせてもらいます。身内だけということであれば、なおのこと気負わずにいられるでしょうし……嬉しいので……」


 喋るうちに、頬が火照っていくのがわかり、キルシェは顔を上げられなくなる。


「承知いたしました」


 柔らかく言うリリーに促され、キルシェはすぐそばのソファーへと腰掛けるよう促される。


 そして、リリーによって大きな石が連なる首飾りが取り払われた。


「__では、ナハトリンデン卿に、後はお願いいたしましょう」


「は……え?」


「ぇ……」


 これには、キルシェのみならずリュディガーも、彼らしからぬ間抜けな声が漏れて、弾かれるようにリリーを見た。


 リリーはといえば、首飾りを箱へ丁寧に箱へ戻し、それを手にしながら諸々無駄なく片付けつつ、その場を退くように徐々に扉へと向かっていく。


「下の談話室に、お茶を新しくご用意します。ご出立のお時間まで、そちらでお待ちください」


 呆気にとられながら見つめる二人は、遂に彼女を見送る形で取り残された。

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