相和する杯事 Ⅱ
二苑へ向かう車の中では、キルシェはやはりいくらか緊張してしまった。
よく連れ出してもらっているビルネンベルクとでも、キルシェは話しかけられなければ口を開くことはないのだが、レナーテルに対してはより身が引き締まる思いがして、とても長い道すがらに感じられた。
__目的地は、片翼院だ。
禁域である三苑へ車が差し掛かったところで、レナーテルが幾度目かの口を開いたのだが、その言葉にはキルシェは驚きを隠せなかった。
片翼院は、龍騎士見習いの養成施設。龍帝従騎士団の入団試験を通過した者を鍛錬し、さらにここから篩にかける場所である。
残念ながら龍騎士に成れなかった者は、国軍か州軍に士官の待遇で配属されるので、大抵はこの道へ皆行く。
そんな場所へ、キルシェのような何の肩書もない一般人が行くことは皆無だ。身内で片翼院に勤め人であれいるのであればいざ知らず、たとえそうであっても、出入りは制限されている。片翼院とはそういう場所。
以前、キルシェは一度だけ訪れたことがある。それは意図せずの出来事。矢馳せ馬の候補となってその最後の選抜試験に落馬し、最寄りの施設として運び込まれたのだ。
冬枯れの中、常緑の緑が特に目立つ禁域の森__三苑。雪にも負けないほどの白さの、四角い印象の佇まい。
それは、囲まれている景色こそ違うものの、佇まいは記憶の中のそれと全く同じ。
馬車がその建物にたどり着くと、出入り口の扉が見計らったように開いて、女官が現れ歩み寄ってきた。
女官というが、その服装からここで諸々の雑務をこなしている者だろう。
見習い騎士は、この建物で寮生活を送る。2年にも渡る訓練期間である寮生活で生じる細々とした世話をする者が従事している。
__まぁ、監視というか……指導というか……生活におけるそういう部分を担ってもいるんだ。
だから頭があがらない、とリュディガーがかつてそう言っていた。
卒業後は正騎士になれば立場は上になるものの、なかなか染み付いた彼ら彼女らへの認識は改めにくいものらしく、キルシェも目の当たりにしている。
「レナーテル学長殿。お待ちしておりました」
玲瓏とした声の女官は、こちらへ、と示す。
片翼院の建物の正面の扉の上には、一頭の鷲獅子が施されている。龍騎士は中央の円を向かい合う二頭の鷲獅子が支えるように並び立つ意匠で、見習いということで一頭なのだそう。
睨みをきかせる鷲獅子を見上げているキルシェの耳には、以前とは更にちがう変化に気づく。かなり賑やかな人の気配が全体からしていたのだ。
回廊で囲まれた建物の中庭に位置する鍛錬場では、まさしく鍛錬が行われていて、顔ぶれはまだあどけなさが残る見習いばかりだ。
思わず足を止めそうになる光景に、レナーテルの含み笑いで我に返り、キルシェは慌てて先に進んでしまっていたレナーテルと女官に駆け寄る。そして角を二度曲がり、通されたのは、東向きの外へ向いた部屋だった。
部屋へ入る直前、外套を女官に預けると、彼女は下がっていってしまった。そして、待つことしばし、扉が開けられ入室する者があった。
「__失礼いたします」
それは先程案内してくれた女官で、手にはお茶を一式数名分。キルシェとレナーテルの分だけでなく、まだ2名くるらしいことがわかった。
「もう少しで参りますので__」
所作美しく女官が淹れていれば、また入室するものがあった。
ひとりは歳の頃が50に差し掛かっているだろう男で、龍騎士の制服を纏っている。
「お待たせいたしましたな、レナーテル学長殿」
「待ったというほどではない、ケンプフェルト卿」
レナーテルが立ち上がるのを見、キルシェもまた倣って立ち上がる。
キルシェは一礼を取るのだが、入室するケンプフェルトの後にもう一人の大柄な龍騎士の姿を認めた刹那、思わず固まった。
それはその背後に続く者も同様で、ケンプフェルトに促されてやっと我に返るほどの驚きよう。
__リュディガー……。
龍騎士の制服に身を包んだ、リュディガーだった。
二苑には確かに彼はいるはずだが、一苑から五苑にむけて扇状に広がる都市とは申せ二苑は狭くはないし、ここ以外にも施設はいくつも存在する。
こうして同じ場所で偶然にも鉢合わせする確率は高いとは言いえない。
__確かにここは龍騎士に関わるけども……慣らしというならば、ここにいる理由がわからない……。
職務復帰の慣らし中で、過酷な任務にも出る立場になるのだから、見習いの指導が彼にとって有用とは思えないのだ。
__まだ、龍の世話をするとかならわかるのだけれども……。
もっとも龍の世話となると、一苑の北に弧を描くように聳える山が巣であるから、そちらが主になるだろうが__。
ケンプフェルトに促され、レナーテルとともに着席するキルシェは内心考えていた。
「お足元の悪い中、ご足労いただき感謝いたします」
「いや」
女官はやり取りの最中にお茶を淹れ終え、一礼をして去っていく。
リュディガーはケンプフェルトに従うように、彼が座った席の背後に後ろ手を組んで控えようとしたのだが、ケンプフェルトがそれを制して横に座るように促した。
わずかに目を見開きながらも、リュディガーは指示に従い腰掛ける。
卓を挟んだ形で座る双方。
キルシェは視線で、何故居るの、と問えば、彼の視線も、そっちこそ、と言っているのがわかった。小さく首を振って肩をわずかに竦めて、わからない、と示せば、また何かを言葉なく言わんとする気配にケンプフェルトがお茶に手を伸ばして笑った。
「どうしたね、こそこそと」
「はっ……いや、その……」
「今はこちらは、招いてお越しいただいた客人だ。ゆめゆめ忘れないように、ナハトリンデン」
穏やかな表情であるが、その指摘にリュディガーは、はっ、と応えて姿勢を正した。姿勢を正したリュディガーの真っ直ぐな視線に、キルシェもまたそこまで崩してはいないものの姿勢を正すように居住まいを正す。
「ご紹介します。こちらは、マイャリス=キルシェ・コンバラリア」
「はじめまして。私は、ガラント・フォン・ケンプフェルト。龍騎士団を退団して後、ここ片翼院で指導員を。今ではしがない院長です。以後お見知りおきを、コンバラリア嬢」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
握手を求められ、応じる。
ケンプフェルトの手は大きく、肉厚で胼胝もあるようないかにも武人らしい手で、その無骨な見た目に対して、優しい紳士的な握手であった。
「コンバラリア嬢が、学長が推薦する指導員ですかな」
「……ぇ……」
寝耳に水な話題だ。キルシェはお茶に伸ばしかけた手を止め、ケンプフェルトを見てからレネーテルを見る。
「いかにも」
深く頷くレナーテルに、マイャリスは息を呑んだ。
リュディガーをふと見れば、彼も同様に怪訝にしている。
「何のお話でしょう……?」
恐る恐る尋ねると、ケンプフェルトは軽く目を見開きいてから、くつり、と笑った。
「おや、前触れもなさっておられないとは。学長もお人が悪い」
「私に細々聞かれても、答えられない事が多い話だったのでな。直接、連れてきてそこで話したほうが早かろうと。手間が省ける」
「それはまぁ、一理ありますな」
苦笑を浮かべるケンプフェルト。
レナーテルは優美な手つきでお茶を持ち、鼻先で眺めるようにして見つめてからひとつ口に含む。
「コンバラリア。新しい元帥が叙されたことは知っているな」
コップを置いたレナーテルは、静かに口を開いた。
「はい」
「その新しい元帥の祐筆を紹介してほしい、と打診があった」
__祐筆……。
キルシェは下唇を噛み締めた。
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