封土の屋敷 Ⅳ
運針をし続けることしばらくして、リュディガーが戻ってきた。
雪を払って入ってきただろうに、扉を開けて入った彼とともに、雪が風で煽られて入ってくる。無論、寒風も。
キルシェは侵入した風に身震いし、持っていた針と布をテーブルに置いた。
そして、外套を脱いで、扉近くで付着した水っぽくなってしまった雪を払うリュディガーを見ながら、お茶をいれにかかった。
「お疲れ様です。どうでした? 様子は」
「サリックスもゾルリンゲリも寛いでいた」
外套を手に、暖炉のそばへと歩み寄って壁に掛けるリュディガーは、暖炉の前に屈んで悴んでいる手を翳して暖を取った。
「ゾルリンゲリは2日も外ということでしょう? 大丈夫なの?」
「耐えきれなくなったら、自分で寝床を探すさ__あぁ、ありがとう」
湯気の昇る湯呑を差し出すと、彼は礼を述べて受け取り、両手で包み込むように持つ。
「蜥蜴とか蛇は変温動物で冬眠をするが、龍はそうした類ではないからな。体格が大きから、体温が下がりにくいし」
「……確かに、上空の寒さに耐えられるのだものね」
「無論、寒さで活動が鈍ることもあるが、餌をいつもより多くやれば活動に支障はない」
龍の主食は肉である。体格こそ大きいが、さほど餌を必要としない。草食の馬に比べても遥かに少ない量で済んでいるという。__場合によっては、犬の方が大食らいであるらしい。
「腹が減ったら、私に訴えてくるから、ここらへんの家畜やら野生の動物やらをやたらに狩ることもしないから、まぁ、好きにさせるさ。行くとしたら、山だろう」
「呼んだら来るの?」
「ああ。__あとは腹が減れば」
握り込んでいた湯呑に口をつけるリュディガーは、はぁ、とため息を吐いて人心地付いた様子だった。
だが、まだ寒いのだろう。
大きな背中が、丸くなって暖を取っている後ろ姿が、とても愛嬌があるようにキルシェには見える。
__やっぱり、熊みたい。
「?」
リュディガーが怪訝な視線を、肩越しに向けてくる。どうやら、知らぬ間に小さく笑っていたらしい。
キルシェは首を振って、自分の湯呑にもお茶を足してから元の席へと戻り、運針に再び取り掛かった。
リュディガーが見ている気がするが、キルシェは手元に集中した。
見世物ではないが、用事があれば声をかけてくるだろうからだ。
__居心地の悪さというものはないし……。
まるで気にならない訳では無いが、そこまで気にすることでもない。気にしないでいられるぐらいだ。
細かい、見慣れない作業をリュディガーがしていれば、自分だって見ていることだろう。それと同じこと。
布支度を婚約者に見せていけないという決まり事はないし、もしそうした決まり事があっても、一度は形式上夫婦となった間柄であるから、今更何を、という気がしてそこまで気にもしないだろう。
__あのお屋敷で、果たして出番があるかといったら、やはりなさそうよね……。
古くからの名残の風習。
すべての調度品に対応した物を自分が用意するなど、今からでは婚姻に間に合うわけがない。婚姻を先延ばしにするのなら、いざしらず。
__婚姻……挙式……。
「そうだわ……」
「ん?」
キルシェは手を止めてリュディガーへと顔を向ける。
「あの……挙式って……する……のですか?」
一度は挙げてしまっている。
今では無効となった婚姻では、こぢんまりとしたものだったが、それでも挙げてしまった。
リュディガーは僅かに唸るような声を漏らし、湯呑に新しくお茶を注ぎ入れてから、それを手に、キルシェの並びに腰掛けた。
「私は、挙げなければならない、と思っている」
「……ならない、ほど……」
「ああ」
キルシェは思わず、表情が強張った。
思っていた以上に、リュディガーが使命感にかられているということを知ったからだ。
帝国では、婚姻関係になるためには、挙式を大なり小なり挙げなければならない決まりがある。
そんな中で、キルシェとリュディガーは一度挙げてしまっているから、そこは挙げなくてもよい状態と言えばそう。
リュディガーは、やや前傾になって膝に両肘をつくと手を組んだ。
「__というのも、ビルネンベルク家が君の後見人だからな」
「そう、ね……」
「だろう?」
ビルネンベルクは国家の重鎮である一門。
あまりにも身近にいて、その恩師はそうしたことを笠に着ている態度もないから忘れがちになる。
「場所は? やはり帝都ですよね」
「そう考えていた。もう少し、いくつか案を考えてから相談するつもりだ」
「ええ、ある程度決まっていたほうが、ありがたいです」
「ああ」
「前は、任せきりでしたね……。すみませんでした」
政略結婚だった以前の婚姻。
意地を張っていたわけではないが、投げやりだったのは事実。
言われるがまま、というのが当たり前の生活で、加えて言えば要望など持っていなかったが故だ。
「貴方だったのに、どうにも……」
キルシェは項垂れる。
「君の心情も理解はしていたから、気にしないでくれ。私も、止めようがなかった。私にとっても、あれは不本意な婚姻だった」
リュディガーが身を寄せたと思った刹那、腰に腕を回してきて引き寄せられた。
驚きに弾かれるように顔をあげると、そこには穏やかなリュディガーの顔があった。その顔が近づいてきて、耳打ちをする。
「__だが、今は違う」
「__っ」
ぞくり、として息を詰めてしまうほど、艶っぽい声音だった。
途端に顔が火照り、密着するリュディガーの身体から離れようとした刹那、唇を重ねられた。
動きを封じられるように、彼を押しのけようとしていた手を取られ、大きな身体で背もたれに押し付けられてしまえば、もはや逃げ場はなかった。
顔の火照りだけにとどまらず、身体が熱くなる。
じくり、と下腹部が疼いて、思わず鼻にかかった声が漏れてしまう__と唐突にリュディガーが離れた。
開放されて息を整えるキルシェは、まだ鼻が触れ合うほどの距離にあるリュディガーの様子を恐る恐る探った。
リュディガーは、目を伏せて口を一文字に引き結んでいて、やがて、深く息を吐き出すと離れていく。
早鐘を打つ心臓を抑えるように、握った手で胸元を抑えるキルシェに顔を背けるように座り直したリュディガーは、榛色の髪を手櫛で撫で付けてから、もうひとつ大きくため息を零した。
「……あいつらの様子を見てくる」
「ぇ……」
さっき見に行ってきたばかりでは__と、内心で思い、キルシェは窓の外とリュディガーとを見比べる。
外は日暮れこそまだだが、雪は降り続いていた。
「……頭を冷やしてくる」
リュディガーは席を立ち上がった。
「あまり二人きりにならないようにしているんだ」
暖炉の近くの壁に掛けられた外套へと歩み寄るリュディガーに、わからない、と怪訝にしていれば、それを表情から読み取った彼は苦笑を浮かべる。
「__間違いがあってはならないから」
「間違い?」
「ああ。間違い」
「……ぁ……」
彼の言葉の意味するところを理解した。
途端、とてつもない気恥ずかしさに襲われ言葉を失う。
顔を朱に染めて、彼の顔を見ていられなくなって、思わず視線をそらせば、彼は小さく笑った。
そして外套を手に、扉へ向かおうと一歩踏み出したときだった。
その目指そうとしていた扉が、ノックされたのだ。
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