封土の屋敷 Ⅲ

 キルシェが湯船で温まったあと、入れ替わるようにしてリュディガーが温まりに向かう。


 しかしながら、その彼は、キルシェからすれば、本当に温まったのだろうか、と疑問に思うほどの速さ。言うなれば、泥汚れを落としただけだろう、と言いたくなる速さだった。


 怪訝にしながら、彼に今夜寝る部屋として案内されたのは、二階の一室。


 二階には、寝台がある部屋と伽藍堂の部屋の二部屋のみ。

寝具は新しく、自分が温まっているうちにリュディガーが準備してくれたらしい。とりあえず、その部屋に鞄ごと私物を運び入れた。そして部屋を後にしようとしたところで、下へ降りる階段がある踊り場に、梯子を見つけた。


 屋根裏があるということで、キルシェは屋根裏ものぞかせてもらった。


 いずれは、ここには庭師が住むことになる__雇うのならば、だが。そうなれば、こうした探検はできないから、この際である。


 物置としての機能のはずの屋根裏であるが、思いの外明るい。それは、部屋としても使えるようにか、それなりの大きさの窓が嵌められているから。


 先程自分が荷物を運び込んだ部屋と広さはそう変わらず、ただ屋根裏ということで天井は低いが、リュディガーぐらいの大柄な人でなければ、身体を縮こまらせる必要はない高さである。


 建物の最も上層であるから、屋根裏は暖かかった。


 窓から見える景色も、庭がよく見えて、ここに寝泊まりするのでもいいのに__とひっそりと考えながら、キルシェはリュディガーとともに部屋を後にして、居間へと降りた。


 これも自分が温まっている間にであるが__居間には、リュディガーがある程度仕込んでおいた食事があるのだ。暖炉にかけられている汁物は、ちょうど食べ頃になっていた。


 それをどこから用意したのか、食器に盛り付け、パンを切って並べた皿と、腸詰め、チーズを盛り付けてある皿、干し葡萄や杏、柿と新鮮なりんごを盛り付けた皿という風に、次々テーブルに並べていく。


 汁物は根菜の具で、身体の芯からより温めてくれるから、思わずため息をこぼしてしまうほど。


 そして、遅めの昼食を終えた後は、雪が振り始めてしまい、温まったばかりということもあって、庭を出歩くのさえ断念せざるを得なかった。


 となれば、リュディガーの言っていた通り、もはやすることは何もない。


 厚く垂れ込む雪雲の向こうに、白く浮かぶ日を時折見つめ、暮れなずんで、やがて夜を迎え、翌朝になるのを過ごすばかり。


 無論、明日の朝の晴れなど保証はされてなどいないが。

 もっともキルシェには、やることはあるから、籠もることは寧ろ歓迎していた。


 布支度__これに取り掛かるための道具は、しっかりと持ってきていたのだ。


 お茶__茶器も茶葉も、今回リュディガーが持ってきたものだった__を使って、リュディガーへの労いを込めてお茶を淹れる。


 彼がそれを飲んでいるのを見ながら、キルシェは部屋へ向かい、布支度用の道具一式を引っ張り出してきて、さて、一服でもしながら__と居間へと戻ってきたところを見越して、リュディガーがお茶を淹れてくれるので、ありがたくそれをいただきながら、暖炉の明かりと暖かさの恩恵を受けつつ、道具を手にとって運針する。


「__そういえば、リュディガーはどこで寝るの?」


 じっと、見つめている視線を感じ取って、ふと過ぎった疑問を投げかけるキルシェ。


「私は、ここだな」


「ここ?」


 思わず手を止めて顔をあげると、リュディガーはキルシェが腰掛ける長椅子を示した。


「え」


「布団はある」


 言って、立てた親指で部屋の隅に立てかけてある、丸められた布団を示すリュディガー。


「えぇ……」


「寝具をもう一つ運び込む余裕はなかった。風雪を凌げる屋根の下だ。暖炉もあるし……吊床じゃないからな。これで十分寝られる」


「寝られる……でしょうけど、休めるの?」


「そう訓練してきているからな」


 そうは言っても、現役の武官ではなく今は学生でしょうに__とはキルシェは飲み込んだ。


 やせ我慢でもないというところは、間違いない。まったくもって彼らしい__と、キルシェは苦笑をして、運針に戻る。


「屋根裏は? あそこはここと違って、上がっていった温かい空気のおかげで、床からほんわり暖かいわ。敷布団ないけれど……このソファーの座面と背中のクッションを敷けば__」


「それを考えもしたが、起きたとき、頭をぶつける気がするから止めたんだ」


「それは……確かにしそうね。屋根裏、いい眺めなのに……」


「君、あそこ気に入っていた様子だったな。目がそう物語っていた」


「屋根裏なんて、入ることなかったですから。あぁ……寄宿学校ではありましたけれども、物置でしたし……高い位置にある窓で、その窓も小窓で……。一軒家の屋根裏というのは、何だかわくわくしてしまいますね」


「あぁ、それはわかるな。私も、屋根裏の部屋だったことがあるから」


「そうなの?」


「ああ。ゲブラー州へ越した後、ローベルト父さんが……」


 そこで言葉が途絶えるリュディガーに、キルシェは思わず顔を上げる。


 リュディガーは、遠い視線で手にしていた湯呑を見つめていた。その顔は、影がいくらか降りたようにも見えたが、穏やかな笑みを称えていた。


 キルシェは、リュディガーが喋るのを静かに見守って待つ。


「……引っ越しを機に部屋の割り振りを、という話があった。それで、私が屋根裏部屋を選んだら、ローベルト父さんは止めたんだ。あんなの物置部屋だろう、と。私は、君が言ったように、眺めが良いから、と正直な理由を言ったら、呆気にとられていたな」


「呆気に?」


「ああ。どうやら父さんは、部屋が空いているのに私が屋根裏を選んだのは、遠慮してのことだと思ったらしいんだ」


「そうなの」


 一般的には、屋根裏は物置になりがちで、貴族の屋敷でも、屋根裏は物置と使用人の部屋という割当になる。


 キルシェが一時住んだイェソド州の地方の屋敷も、そうだった。


「元々の家は、イェソド州城近くの家で……」


 そこでリュディガーの穏やかな顔が陰ったのを、キルシェは見逃さなかった。


「その頃の家は、官吏に当てがわれる家だった。ちょうどこのぐらいの家。屋根裏部屋はあったが物置だったな。父さんの仕事の関係のもの__本が多かった気がする」


 そこまで言って、リュディガーは、小さく笑う。


「__父が帰ってくるのを待っていた……州城の一番下の外門でな」


 __イェソド州城……ということは、本当のご尊父……。


 ローベルトは彼にとっては養父だ。幼少期、縁あってナハトリンデン家に引き取られて今に至る。


「ローベルト父さんとは、一緒に農場をみてまわっていたから、待つってことはそんなになかった。私が、領主の小姓みたいなことをするようになるまでだが。その当時は、こんな感じの家を与えられていて、そこに住んでいて__で、屋根裏に」


「私の家は、州城のある岩山の麓でしたよ。あまり……覚えていないですけど……」


 うっすら記憶にあるのは、庭がある屋敷だったこと。


「キルシェ……」


 州都の中だから、庭はあるがそこまでではなかった。屋敷の大きさはどうだったろうか__。


 探っても探っても、霞の彼方ではっきりとしない記憶。


 キルシェは、しくり、と傷んだが、それを振り払うかのように一つ勢いよく呼吸をしてから笑顔を見せる。


「私も選べるのなら、屋根裏がいいと言うかも知れないですね。__私、お宿で吊床を選ぶ変わり者ですから」


 キルシェが冗談めかしていえば、リュディガーは吹き出した。

「そうだな、忘れていた。そんなこともあったらしいな」


 リュディガーの顔が一気に明るくなって、キルシェは胸を撫で下ろした。


 そして、リュディガーは手元の湯呑を一気に煽って、席を立った。


「少し、あいつらの様子を見てくる」


 リュディガーは暖炉のそばの壁にかけて乾かしていた外套を手に取ると、扉の方へ向かう。


 あいつら__愛馬のサリックスと、愛龍のゾルリンゲリのことだ。


 サリックスは厩に、ゾルリンゲリは厩には当然入らないから、庭の大きな樹木が屋根のようになっている場所に留めたらしい。


 窓の外を見れば、風はおさまってきたようだが、まだ降雪はある。


「お気をつけて」


 ああ、と笑ったリュディガーは、扉の前で外套を羽織って手袋をすると、迷うことなく寒空の下へ出ていった。

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