封土の屋敷 Ⅰ

 西側に比較的大きな山の連なりが聳え、その手前にそれよりも低い高さの山々があり、その裾野にあたる場所__穏やかな丘陵地が広がる地域。


 その丘陵地の中で、台地のようなところにリュディガーが下賜された屋敷があった。


 到着した屋敷は、そこそこの大きさで、とりわけ印象に残ったのは、小さめの湖が屋敷の直ぐそばにあること。


 白銀の丘陵地と、その中に爛々と太陽を弾いて輝く湖という立地に興味をかなり注がれ、到着して見て回る__ということはできなかった。


 あれだけの防寒着を着ていながら、キルシェの身体はかなり冷えていたのだ。


 白い壁の印象的な屋敷へ入る__その目の前に降り立つと思いきや、龍が降りたのは屋敷から少し離れた二階建ての小屋の前。


 上空から見ても間違いなく敷地内だが、どういう使われ方をしているかはキルシェには皆目見当もつかない。


 印象としては、一家族が住むには十分な大きさ__ドッシュ村でお邪魔したマリウスの家の規模よりもこぢんまりとした家。


「ゾルリンゲリ、ありがとう」


 鞍から降ろしてもらい、上空よりも遥かにましではある寒さだというのに、歯が鳴ってしまう。


 礼を言うのも、口が固まってしまったのかと思えるほど強張っていて難儀したが、龍はそれでも聞き取って、人語を解する知能を持つ龍は、喉の奥で低く応じるように啼いた。その目元、飛び立つ前と違って穏やかな印象を受ける。


「こいつ、君に慣れたな」


「そうなの?」


 ああ、とリュディガーは頷いて、サリックスを運搬した布の籠に向かった。


 それを追うように首を動かす龍の鼻先を、彼は叩くようにして撫でていく。


 キルシェはすぐそばの家屋を見上げた。


 漆喰の白い壁には蔦が這い、瓦屋根ではなく草で葺いたもの。


 __この建物は……一体……?


「庭師の家として使われている」


 キルシェが内心で首を傾げていれば、怪訝にした気配が伝わったのだろう。リュディガーが教えてくれた。


「庭師の……」


 ふと、周囲を見渡す。


 見える限りの庭は、手入れがされているような気配はない。


 冬枯れの時期ということもあるが、それにしても藪のような印象の部分が多かった。


「今はまだいないから、今日のところはとりあえずこちらに泊まる」


「こちらに?」


「小さい分、温まるのが遥かに早いからな」


 なるほど、と頷いていれば、サリックスの状態を確認したリュディガーは、言葉を掛けて鼻面を軽く撫で、キルシェの元へと戻ってくると背中を押して扉へと向かわせる。


 飛んでいたからか、地面を歩くとふわふわとした心地がして、何だか妙な心地だ。


 それを察してか、リュディガーは背中を押すというよりも支えるような所作で扉の前まで至ると、扉を解錠した。


 外気が遮断されたと同時に、ほぉ、っとキルシェは思わずため息を着いてしまった。


 窓の外を見れば、リュディガーの龍が


 入ったところは、居間と台所を兼ねている一般的な作りだった。暖炉横に階段と奥へと続く扉が2つある。


 家財道具は、キルシェが大学で使っている文机ぐらいの大きさのテーブルと不揃いな椅子が二脚。それから二人がけのソファーが一つ。食器棚もあるが、何も置かれていない。


 __つい最近、こんなところを見た気がするわ。


 人が住んでいないから家財道具などないのは当然であるが、既視感がある。まるで生活感のない家__部屋の主を、キルシェは苦笑して見あげた。


「これでも前に来たとき、掃除したんだが……埃っぽくて嫌か?」


「いえ、そうではないの」


「なら……?」


「何でもないわ」


 リュディガーは眉をひそめるも、キルシェを誘うように背を押して、暖炉のすぐそばに椅子を移動させて座らせる。


 暖炉には、鍋ややかんが置かれていて、これは真新しい。以前にリュディガーが置いていったのだろうか。


 慣れた手付きで火を熾しにかかるリュディガーの背を、キルシェは静かに見守った。


「上空は寒かっただろう?」


「はい。喋るのも辛かったです」


「だろうな」


 刺すような冷たい空気が、防寒着の口布で鼻と口を覆っていても容赦なく入ってくるから、キルシェはほぼ無言だった。


 リュディガーは慣れているからだろう。時折、主要な街や道、河川を教えてくれたが、頷くことしかできずじまい。


「暖炉を熾したら、サリックスを厩に移したりしてくるから、ここにいてくれ。その後、本格的に温まれるように湯を入れる」


 浸かれるほどのお湯を用意するなんて、大事だ。彼の言動から、全部支度をしてくれるということだ。キルシェは暖炉の炎が安定したのを見届けて離れていくリュディガーに、大丈夫だからいらない、と告げるのだが、視線こそ向けるものの、黙殺するように受け答えさえせず、リュディガーは外へと出て行ってしまった。


 残されたキルシェは、困り果てながらも、手袋とマフを外して、暖炉で勢いをましつつある炎に手を翳して時折揉みほぐすようにして温めにかかる。


 __リュディガーだって寒いはずなのに……。


 慣れてはいるだろうが、彼だって冷えていないはずがないのだ。


 窓の外に視線を投げれば、リュディガーが手綱を引いて、サリックスを引いていく姿が見えた。


 その後を、龍が追う。見た目以上に軽いと言うが、やはり重みはある龍の歩みに合わせて、軽く揺れる建物。振動で天井から、ぱらぱら、と落ちてくるのは塵や埃。一人残されたキルシェには、暖炉の炎の爆ぜる音とともに、その音が妙に耳につく。


 ある程度温まったところで、キルシェは立ち上がる。


 __温かいお湯くらいなら……。


 一瞬、ふわり、とした心地にたたらを踏みそうになるが、どうにか重心を戻して、部屋の中を見渡す。


 __お茶は無理だけれど、白湯ぐらい用意しておかないと。


 とりあえずは、やかんを手に取ったが、水は__。


「水……こういう家は、井戸……?」


 リュディガーは、お湯を入れる、と言っていたが、そもそもお湯にするための水はどこから確保するつもりなのだ。


「……外……?」


 困惑しているキルシェの目が、暖炉の横の大きな甕を捉えた。入ってきたときには、死角になっていて気づかなかったものだ。


 木の蓋をどけてみると、水が中ほどまで溜められていて、水は腐っている様子はなかった。


 キルシェはすぐそばに掛けられていた柄杓をつかって、甕の中ほどから水を掬い上げてみる。やはりこれも見た目は澄んでいて、淀んでいる印象はない。指をひとつ入れて、軽く舐めてみても問題はなさそうだ。煮沸する形だから、なおのこと問題はないだろう。


 柄杓でやかんにお水を入れ、やかんを暖炉のフックに掛けて炎に当てる。


「湯呑なんてあるのかしら……」


 無いのであれば替わりになりそうなものは__と食器棚へ足を向けたところで、ずん、ずん、と徐々に家屋が揺れ始めた。


 龍が戻ってきたのだ。


 __あぁ……厩には入れないのよね。


 あの巨体を入れる厩はないという話を思い出した。


「なら、今夜はどうするのかしら……また野宿……?」


 昨夜はそうだったようだ。


 龍は、そもそも野宿は大丈夫だとリュディガーから聞いたが、今夜もやはりそうなのだろうか__


 疑問は、徐々に大きくなっている揺れによって阻まれ、部屋が突然暗くなったから、キルシェは弾かれるようにして周囲を見渡した。


 龍が窓の側近くにいて、その巨体によって差し込む陽光だけでなく、雪の照り返しも遮られたのだ。


 驚くのも束の間、扉が開けられリュディガーが冷たい外気とともに入ってきたのだが、キルシェはより驚かされて声を掛けるのも忘れた。

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