天翔ける翼 Ⅱ
縄梯子は普通の梯子と違い、遊びがあって登りにくいが、それでも鞍を跨ぐことができた。
馬よりも遥かに高い視界とは思っていたが、これほどとは__。
硬い身体だと伝わってくる__が、思いの外柔軟な動きを鱗に覆われている筋肉がすることがわかった。
感心していると縄梯子が引っ張られ、鞍が揺れた。短い悲鳴を上げていると、リュディガーが龍の身体の横に生えるようにして現れた。
「前へずれてくれ。
「こう?」
言われるまま、鞍の前の突起を握りしめるようにして、身を寄せるキルシェ。
「そう」
ありがとう、と言ってリュディガーはキルシェの後ろ側の鞍へ跨った。二人で乗る前提の作りのようで、鞍は無理に二人で乗っているような窮屈さはない。
「くれぐれも、気をつけて」
声をかけられ、ビルネンベルクを見る。
いつもならばその長身を見上げるばかりだから、見下ろす姿は新鮮だった。それも、まっすぐ伸びる兎の耳も見下ろすほど高い位置から。
「はい。先生も、お戻りは気をつけて」
「我が孫弟子もいるからね」
「孫弟子?」
ああ、と柔和に笑んだビルネンベルクは、マリウスの肩に手を置いた。
「我が不肖の教え子の、その弟子だろう?」
ぱっ、とマリウスの顔が綻んだ。
「は、はい!」
いつもであれば、苦言を呈していただろうが、マリウスの手前リュディガーは渋い顔に留めた。
キルシェはそのリュディガーの内心を察して、苦笑を禁じ得ない。
「とても頼もしい案内人だよ。帝都へは大きな道を行くし、大丈夫だよ。帝都から一日という範囲の、しかも大きな街道筋で、まさか事件に巻き込まれるなんてこと、帝国が誇る武官らが許すわけがないだろう」
「それは、確かに」
帝都から一日の距離は、紛れもなく龍帝の膝元。そこがよりにもよって治安が悪いとは、警備を司る武官らの沽券に関わる。彼らの矜持が許さないだろう。
治安が悪化した場所があれば、確実に軍が動く__場合によっては龍帝従騎士団が。
そうした中でリュディガーは、ドッシュ村周辺の治安維持にかつて勤めたのだ。
「何かあったら、大声で叫ぶよ。君の龍に、私の声を聞いたらそこへ向かうように厳命しておいてくれてもいいが」
「そうします」
諧謔を弄するビルネンベルクに二人して、小さく笑う。
リュディガーは、見送りの二人に離れるように言って、彼らが十分離れたところでぐるり、と鞍__荷を括ったあたりを特に確認してからキルシェへと口を開く。
「フードをして、襟元を上げて口を覆うように」
リュディガーはそこまで言って、自身は鞍に下げていたのだろう兜を被ったので、キルシェは彼に倣うように指示された通り、フードを被って首周りを整える。そして手袋をして、マフの中で両手を組むようにして、前橋を握る。
「安全帯をつけさせてくれ」
こくり、と頷くと、太めの帯が腰へ回された。直後、ぎゅっ、ときつくなってから、背中により近くリュディガーが寄るので、おそらくお互いを帯で繋いだのだろう。
「苦しくはないか?」
「大丈夫です」
「前の鐙というか、足が掛けられる場所があるのがわかるか?」
「えっと……ここ? これかしら」
足で探ってすぐ具合が良い場所に、お誂え向きといえる足をかけられる場所があった。
「そう、それ。それを使ってくれ」
鐙よりもしっかりとした突起は、鞍の一部になっているものだ。
「上昇しきるまで、口を開かないように。舌を噛む」
「は、はい」
__いよいよ……。
ごくり、と固唾をのんで前橋に重心を移し、その瞬間を待つ。
背後でリュディガーが二度軽く舌打ちし、手綱が緩まされた直後、龍の身体が沈んだ__キルシェの身体が緊張に強張ったのと同時、大きく翼が左右で羽撃く。ぐっ、と下に引っ張られる心地がしたかと思えば、次いで訪れる、ふわり、とした浮遊感。
みるみる世界が下がっていく。
死角という死角がなくなっていき、酷く奥行きを意識させられる景色に移りゆく。
これまで一度としてなかった、俯瞰へと移行する光景は、目が違和感を抱くようで、どこか不安を抱きもする。
ふと、下を見た。離れていく地上。しかし、ひとつだけ大きな荷が一緒に上昇しているのが見えた。
__あれは、サリックスの……籠?
籠というには布に包まれた__否、布袋に包まれているような形状だが。
マリウスを乗せて上昇した時は地上に置かれたままだったが、どうやら自分が乗った後に括り付けていたらしい。
なるほど、こうやって馬を運搬するのか。
時折、何かしら吊るすなりして運搬している龍がいるが、その中には馬もいたということになる。
__すごいことよね……。
暴れないどころか、鳴きもしないところを見るに、やはり龍帝従騎士団の馬だと改めて認識させられる。
「挨拶がてら、ゆるく一周旋回してから、行く」
「は、はい」
ぎこちなく答えていれば、龍の身体が空を滑り始める。
滑らかに流れていく景色、やや右に傾げるようにして右回りに一周。ビルネンベルクとマリウスらを中心に飛んでから、彼らに別れの手を振る。
そして、龍の身体が反対に振れたかとおもえば、その場から離脱した。
途端に冷たい風がキルシェを襲った。
刺すような寒風。
早朝の冷え切った空気が、そっくりそのまま襲ってきているよう。寒風吹き荒ぶ、という状況である。
唯一、わずかにフードと口元を覆う布から覗く部分が痛んで、キルシェはフードの襟元を握った。
__景色云々言っている場合ではないわ……!
きっとこれでも遅く飛んでいるのだろう。侮っていた数分前の自分を詰らずにはいられない。
「すまん、少し緩める」
リュディガーが察したらしく、風が弱くなった。__速度が落とされたのだ。
「これぐらいなら、どうだ?」
「ありがとう……」
そこでようやく、キルシェは景色を見る余裕ができた。
気遣いに感謝して、ゆるくなった風の音を聞きながら、周囲を見た。
冬枯れの季節。
秋に続いて澄んだ蒼穹と、白銀に覆われた世界。
黒いのは、岩場だろうか。
空を写した川が、白い大地を裂き地面を舐めていく。遠く見える地平の果てまで、伸びていくそれは、大小いくつかあった。
リュディガーの操る龍は、その中の一つの川を辿るような飛び方をしていることに気づいた。
その川を辿るうち、いくつかの集落があり、放牧している羊や山羊の群れが見えた。
野生馬も駆けているのも見られて、それも俯瞰した状態であるから、鷹や鷲であれば、こんな視線なのだろうか、と楽しくなる。
「普段なら、もっと速く飛んでいるのでしょう?」
「ああ、そうだな。まぁ、警邏中なら先ほどぐらいになるが。速すぎても見落としては意味ないからな」
「それは、そうね」
「寒くはないか?」
「ええ、大丈夫。さっきほどの速さではないから。__あ、ねぇ。サリックスは大丈夫なの?」
「ああ。あいつは慣れてる。顔をしまっているはずだ」
__しまう……?
確認しようと身をわずかに乗り出したとき、太い腕が回されて、キルシェは息を飲んだ。
「大丈夫だから」
「え、ええ」
リュディガーの回された腕によって、元の姿勢へ引き戻された。
そして、その腕によりリュディガーの身体に引き寄せるので、前橋は握れるものの、身を離す格好になるのでキルシェは戸惑う。
「すまないが、こっちに寄りかかってくれ。前橋を掴むのは構わないんだが、体重を乗せられると、前橋が左右に振れるのを指示と勘違いしてか、変にゾルリンゲリが左右にブレる」
はい、と頷いて、緊張した身体から力を抜いて、凭れるように重心を後ろに移した。
がっちりとしながらも、柔らかく受け止めるリュディガーの身体を、厚手の衣服越しに感じてキルシェは気恥ずかしくなる。
「怖くはないか?」
「ええ。大丈夫」
前橋を掴むマフから片手を引き抜き、キルシェは回されている腕に手を添える。
「__リュデュガーが居ますから」
かすかに息を呑んだ気配がして、回された腕がより抱き寄せるように力が籠もったのがわかった。
気恥ずかしいが、彼がいることがどれほど心強く、安堵できることか__。
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