天翔ける翼 Ⅰ
制服を着終え、荷物も括り終えたリュディガーは、身拵えを整えるように軽く払った。
「マリウス、ちょっと乗ってみるか?」
「え?」
「上昇するだけだが」
「い、いいんですか?」
「ああ。荷物がしっかり括れているか、確認をしたいからな」
「あ、あの、僕も龍熱に罹りますか?」
マリウスが、やや高揚した風に問いかけた。
龍熱とは、龍に触れることによってなる熱病だ。
症状は高熱が出、数日寝込むというもの。死ぬことはないし、伝播することもない。その個のみで完結する熱病。
「何か期待しているようだが、マリウス。龍熱には、君は罹らないぞ」
「それって……」
「私がすでに罹っているからな」
「あぁ〜、やっぱりそうですか」
じゃぁ無理か、といくらか残念がりマリウスに、笑ってゾルリンゲリに触れるリュディガー。
__一説によれば、不可知の作用とも言われている。
一度かかってしまえば、もうその龍から罹ることはない。そして、罹るときといえば、初対面で触れ合ったとき。これはしかも、龍に触れれば必ず罹るというわけでもない。
龍騎士はやはり龍騎士になる素養の持ち主だからか、罹ることが多い。彼らの間では、罹ることは誉だという。
自分が使役する龍との繋がりが深いことの現れ、ということらしい。
__もし、罹ったら……それは、嬉しいことに違いないのよね。
龍騎士は帝国の誰しもが誇り、憧れる存在。
その彼らの職業病のような病に、もし自分が罹ったら__それは才能がある、ということの証左に等しいから、マリウスが期待するのも無理はない。
「ゾルリンゲリに訊いていてみたが、構わないそうだ」
「訊いた? いつの間に?」
リュディガーは、どこか悪戯っぽく笑った。
「秘密だ。__で、乗るか?」
「はい!」
闊達に答えたマリウスに、リュディガーは、よし、と頷くとその小さな背を押して龍の体により近づける。
「ゾルリンゲリ」
名を呼んで、鞍へと至る短い縄梯子に手をかけると、龍の巨躯がリュディガーの側にいくらか傾いた。
そして、リュディガーは縄梯子のいくつかを飛ばすように二回だけ足をかけて、鞍に跨る。
わぁ、と感嘆の声を漏らすマリウスに対して、鞍のそばの龍の体を叩き、重心をずらすようにして手を伸ばすと、龍の巨躯が大きく傾いた。
それは鞍がほぼ寝るような角度であるが、リュディガーは危なげなく鐙でうまく踏ん張って身体を支えている。
__意外と、身体が柔らかいのよね……。
踏ん張っている側の足の鐙は体重を支えるために地面に垂直ではなく開いて、もう一方の鐙は龍の身体に阻まれてしまって沿うことしかできず、両方の開脚具合をみれば、人によっては__否、大多数は痛みを覚えていてもおかしくはない体勢である。
「曲芸でも始まるのかね」
ビルネンベルクの言葉に、キルシェはくすり、と笑ってしまう。
身体が大きく頑丈そうな見た目だから、一見して硬そうであるのだが、実際の彼の身のこなし__間近で見た戦闘においても、かなり柔軟であるから驚かされる。
「__リュディガーは存外、芸達者だね」
「芸達者ですか」
「ああ。思ってもみないことをしでかしてくれるだろう?」
「しでかす……?」
「皆までは言うまいよ」
ビルネンベルクは人の悪い笑みを浮かべた。
キルシェが首をかしげていれば、視界の端で、小さな体がリュディガーに引き上げられ、それに合わせて龍の体勢が戻るのを捉えた。
リュディガーはいくつかマリウスと言葉を交わすと、顔を前方__龍の首へと向けて、二度短く軽い舌打ちをする。すると、龍の身体が地面から上がって、翼がまるで伸びるようにして広げられた。
巨大な身体が一度沈み、天へと伸びた翼が勢いよく地面を叩くように振り下ろされると、次の瞬間、その巨大な身体の重さを感じさせないほど、ふわり、と飛び上がった。
翼を動かす度、地面へと吹き下ろす風に雪が舞い、キルシェは腕で顔を覆いながら、徐々に高度を上げていく龍を見上げる。
村にあった鐘楼よりも高く__大学の屋上ぐらいの高さで、龍は上昇をやめた。
それはあっという間の上昇である。
いつぞや、龍の力量を目の当たりにしたことがあるキルシェだが、これほどまじまじと観察していないから、改めて感嘆の声を漏らしてしまう。
そして、やや景色を楽しんだ風の後、開けた景色を一周しながら、緩やかにキルシェらの前まで下降して着地した。
龍の身体がやや傾げたかと思えば、リュディガーが飛び降りるようにして鞍から地面へ降り立ち、マリウスが縄梯子を使って降りるのを補助して、危なげなく下ろしてやる。
「あ、ありがとうございました!」
「いや」
「あっと言う間に昇って、あっという間に巡っちゃうんですね!」
「ああ」
「わぁ! 本当に、すごかった!」
「寒かっただろう」
「うーん……あんまりわかりませんでした!」
「ならいいが」
マリウスは今までになく高揚した様子で、ひとつひとつの動きが弾んでいた。
「__荷は大丈夫そうだね」
「ええ」
「サリックスも、そろそろ限界のようだ」
見れば、拘束された状態のサリックスは、静かではあるものの、存在を主張するように首を振るって嘶いた。
「そのようで」
ビルネンベルクに答え、リュディガーは龍のことをまじまじと観察しているマリウスに注意を払いながら、キルシェへと向き直る。
「__さて、キルシェ。寒いが景色が見渡せるのと、比較的寒くなくて景色が見渡し難いのと、どっちがいい?」
唐突な質問に、キルシェはきょとん、としてしまう。
「所要時間は……ゆっくり行くから……半刻はかかるか」
「半刻……」
「ああ。半刻は寒空だ」
半刻の寒空__なるほど、乗り方の提案をしているのだ。
そうと気づいて、キルシェは、ぽん、と手を叩いた。
「景色をとるか、快適さをとるか、ということね」
マリウスを見れば、そこまで厚着というわけではない。一般的な冬の身拵えだ。
__マリウスは、そこまで、という感じではなかったですし……。
「__見晴らしが良い方がいいです」
「……わかった」
__何、今の間は……?
やや間があったように思う。
だが、キルシェの選択を否定するわけではないから、内心小首をかしげるに留めた。
リュディガーは、キルシェを手招きし、龍のそばへともっと寄るように誘うので、キルシェは素直に従った。
「マリウス、ビルネンベルク先生のところへ」
「はい! __ありがとうね!」
じゃあね、と龍へ挨拶をする姿が微笑ましい。
離れていくマリウスを確認してから、リュディガーは龍の身体を叩いて、手綱を引き、身体を傾けさせると自身はその場に屈んで、手を組んだ。
そして、指を交互に嵌めるようにして組むと、キルシェを見上げる。
その彼の様を見て、キルシェは面食らった。
それは乗馬のとき、鐙が高く足を掛けられない者に対して、踏み台代わりに手を組んでつくる足がかりだった。
__いつかも、こうしてもらった……。
数年前の夏至祭の出来事が思い起こされる。
「ほら」
僅かの間思い出に浸っていると促され、キルシェは苦笑を浮かべて頷く。
「ありがとうございます」
「左足だ。で、縄梯子は無理せず、右左で__君なら、そこからは馬の要領でいけるはず」
「わかりました」
指示に従い、彼の手の上に足を乗せると、一気に上へと押し上げられた。驚いている隙があらばこそ、キルシェは縄梯子に足をかけて、彼の言った通り足を動かしてよじ登る。
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