身支度 Ⅰ

 アルティミシオンは吹き抜けを見上げた。


 神棚から、縮れたようなうねりを滝のように下げる房が、降り注ぐ滝のようにも見え、よく目立った。


「__よく飾ったな」


「あれはヘルムートが作ったのですよ」


「作ったとは……あの、チチラキをか?」


 __チチラキ……?


 聞き慣れない言葉に、キルシェは小首を傾げた。


「__あの木を削ってつくる幣帛へいはくのことだ。ネツァク州だとそう呼ぶことがある」


 リュディガーが直立不動の姿勢のまま、小さく言葉を零した。キルシェは、そうなのね、と年功が上の二人の会話を邪魔しないよう、同じ様に小さく頷く。


「そうです。しかも、あれだけでなく、全て」


 まぁ、とこれには思わずキルシェは感嘆する声が漏れてしまった。


「器用だな」


 アルティミシオンは腰に手を当てて、すぐそばで静かに佇むヘルムートを見る。


 彼は、恐縮したように頭を一つ下げるだけだ。


 そして、アルティミシオンは改めて建物全体を見渡すように視線を巡らせる。


「……門から、善からぬものは入り込めないようになっていて、実に良い」


「一応、名門ですからね」


 ビルネンベルクが腕を組んで胸を張ると、アルティミシオンは笑った。


「そうそう。名門らしいからな」


「でしょうでしょう。善からぬものなど入ってはこられない格を保つことぐらい容易いですよ。使用人は皆優秀ですから。名門なので」


「そうだな。使用人は優秀だ。名門だから。__一族は実際はこんなのしかいないのに」


 ビルネンベルクの者同士、くつくつ、と喉の奥で笑い合う。


 このやり取りには、キルシェだけでなく直立不動のリュディガーでさえも当惑するしかなかった。


 そうしていれば、アルティミシオンが仕切り直すようにひとつ手を打つ。


「__さて、立ち話もなんだし、夕餉にしよう。大晦日なんだから、早くヘルムートらを休ませてやりたい」


 玄関を目の前にして、一番年長者であるアルティミシオンが促して、各々夕食前の着替えにかかるため、部屋へ向かうこととなった。


 吹き抜けのホールの階段を上がった2階。キルシェの部屋の前には、着付けなどの身の回りの世話をおこなう女中リリーがすでに待機していた。


 キルシェは同じ階に部屋を用意されているリュディガーと、この日から2階へ部屋を移しているビルネンベルク、アルティミシオンと外套を2着と槍を持ったヘルムートと別れて彼女とともに部屋へと入る。


 髪結いをしてもらい、衣服の着付けが終わったところで、キルシェは細部を調整しているリリーにふと浮かんだ疑問を投げかけた。


「大ビルネンベルク公は、いつもは本屋敷で過ごされているのですか?」


 本屋敷とは、ネツァク州にあるビルネンベルクの屋敷のことだ。


 ネツァク州の州都から離れた場所にビルネンベルクの所領があり、そこの屋敷が本屋敷と呼ばれる。


 ドゥーヌミオンの実兄は、ネツァク州の高官__州軍の長だった。今は、家督を継ぐにあたり退いて久しく、その本屋敷に家族で暮らしている。


「いえ、大抵は、どこかの空の下、だそうで」


「それは……」


 キルシェの背後に回って、髪の毛を整えているリリーは苦笑を鏡越しに浮かべた。


「帝国の津々浦々を見て回っているそうでして、場合によっては文字通り野宿という可能性もあるらしいのです」


「まぁ」


「ですから、所在は不明なことが多いのです。逐一ご連絡くださいませんし……。こちらの屋敷には、ふらっと立ち寄られることもあるのですが、本屋敷にでさえ、年に一度寄られるかどうか。お泊りになることなんてさらに稀です」


「そうなのですか」


「我々は大旦那様がお戻りになられると、とても嬉しいのですが……。ご自身はお戻りになられるのは、仕事を増やしそうで嫌なのだそうです。ふらっ、と立ち寄られるのも、前もって報せておくと、不用意に構えさせて疲れさせてしまうだろうから、ということらしく……。大旦那様は、当家の誇りですのに」


 リリーは全体の様子を見るように下がって、ひとりごちるように頷いてから、改めてキルシェと視線を交える。


「__よろしいかと。いかがでしょう?」


「リリーさんを信じておりますので。ありがとうございます」


 ざっ、と確認してキルシェは頷く。


「__ですが、今日はお手紙で先に来訪を報せたのですよね?」


「あぁ、あれは、キルシェ様とナハトリンデン卿も招いていることを大旦那様は知ったようだから来る、というドゥーヌミオン様の見立てのお手紙でして、今回のように立ち寄ることが予め判明した場合は、ドゥーヌミオン様がお報せくださるのです。皆にとっては、先程も申し上げましたが、とても嬉しいことですので。大晦日だから、と実家に帰らなくてよかったです」


 ふふ、と笑うリリーは、お世辞でもなく本当に心の底から嬉しいのだろうとキルシェにはよくわかった。


「__それでは、これでお召替えは終わりですが、他にご用命はございますか?」


「いえ、ないです。ありがとう。夕食が終わったら、自分で身支度はするので、リリーさんの他のお仕事が終わりましたら、もう休んでください。明日の朝の身支度も大丈夫ですから」


「しかし、それは……」


「どうぞ、ゆっくり過ごしてください。大晦日なのにお仕事をさせてしまうのが、どうにも心苦しくて……そうしていただけると、すごく嬉しいのです」


「……お心遣い、感謝いたします」


 リリーが至極恐縮した風に一礼をして、部屋をさろうと扉のところまで歩み寄り、キルシェへ一礼をする。


 そして、扉を彼女は開けて、一歩外へ踏み出した彼女は、短い驚きの声を上げた。


「まぁ、ナハトリンデン卿」


 その名を聞き、キルシェは彼女のそばへと歩み寄る。


「身支度が終わるのを待っていたが、終わったのか?」


「はい、ちょうど終わったところでございます」


 キルシェが歩み寄ると、リリーは廊下が見えるように僅かに身を引いてくれるので、そこから彼女が視線で示す先を見れば、扉のすぐ脇に正装のリュディガーが立っていた。


 正装は、龍騎士の正装__制服ではなく、飾り袖のある民族衣装としての正装だ。


「キルシェ、少しいいか?」


「ええ、構いませんよ。__リリーさん、ありがとう」


「はい。それでは失礼いたします」


 ふわり、と笑って丁寧な礼をとるリリーが踵を返して、使用人用の階段がある扉に消えるまで見送って、キルシェはリュディガーを部屋の中へ通した。


 キルシェは部屋の扉を閉めて、ちらり、と時刻を確認する。


 食堂に移るには、そこそこに早い。


「リュディガーは、その正装は……こちらにあるのをお借りしたの?」


「この大晦日に招かれたとき、予め運んでもらっていたんだ。大学で着ることは、卒業式までないからな」


 どこぞの夜会に招かれているわけでもないし、とリュディガーは自嘲して、正装の胸元を軽く払う。


「__新しく贖っておいて正解だった」


「あぁ、ならやはり、前のは……」


「ああ。直してどうこうって代物じゃなかっただろう?」


 彼は任務の最後、正装姿での戦いとなってしまった。


 そうなっても良いように、と見越して彼も用意したものだったらしいが、それは最終的に見るも無惨な有様となったのは、キルシェの知るところである。


「1年分の給金つぎ込んだものを、使い捨てという贅沢な経験をさせてもらった。__二度と御免だがな」


「え……あれは、自分で払ったの?」


「ああ、もちろん。呪い師ふたりに、善いように、と一任したら……な」


「まぁ……」


 キルシェの脳裏に浮かぶのは、任務中彼の側近く、自分の側近くで力を貸してくれた男女の呪い師の姿。


 懐かしい彼らの言動や行動を思い出すと、彼らであればそれは起こりえそうだったので、キルシェはくすり、と笑う。


「あいつら、そういう常識は欠如していたらしい。それはそうだ。だってあくまでそうした部分はヒトの価値観の領分だ。実際、あれだけの備えがあって、正しかったとは思う。__二度と御免被るがな」


 上背があり、肉厚な体躯である彼が正装姿になると、ビルネンベルクとは違った、無骨ながらも貴族らしい貫禄とでも言うべきものが彼には備わっているのだ、とキルシェには見える。


 そんな身拵みごしらえの男が、自虐的な事を二度も繰り返すものだから、思わず笑ってしまった。


「そうね、何度もあってはたまらないでしょう。__それで、どうしたの?」


「あぁ……」


 リュディガーは胸元から小ぶりな赤い巾着を取り出した。


「それは?」


 問うキルシェには、軽く笑みを向けるだけで、歩み寄ってくる。


 リュディガーは傍近くまで来ると、そっと背中の下の方へ手を添えて、化粧の道具が整然と並ぶ化粧机の前に進み出るよう促した。

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