来訪するもの Ⅱ
ただ、細身ではあるもののドゥーヌミオンよりは肉厚の体躯で、それを覆う身拵えは武人のそれ。
「大旦那様」
真っ先に動いたのは、ヘルムートだった。
彼は駆け寄ると、男が脱いだ外套を手にする。
「__おかえりなさいませ」
「ヘルムートか、久しいな。__すまん、裾がだいぶ泥で汚れている」
頼む、と男が一言添えれば、ヘルムートは恐縮して頭を下げて一歩身を引き、立てかけた槍を手に持った。
「よくお戻りを」
ビルネンベルクは進み出て、歩み寄る男を迎えた。
__お戻り……? どなたかしら?
大旦那様と敬われ、おかえりなさい、お戻り、という表現もあれば、間違いなくこの家の者で間違いない。
だが、キルシェはただの一度も会ったこともなければ、見かけたこともなかった。
ふと、横に佇んでいるリュディガー身じろぎしたのを視界の端に捉え、キルシェは彼を見る。
リュディガーは、背筋を伸ばし武官らしく直立不動の佇まいをとっていて、その表情も強張ったもの。つい今しがたまで、談笑をしていたとは思えないほど緊張しているのが見て取れて、キルシェは面食らう。
__な、何……?
彼の変わり様は現れた男が原因だと察しがついたものの、自分のほうがビルネンベルク家とは交流があると思っていただけに、その自分が知らない者をリュディガーが知っているというのはただただ困惑するばかりだ。
__
自分は知らないが、リュディガーは知っている。
ビルネンベルク家の者で、大旦那様と言わしめているということは__。
__もしや……。
キルシェが改めて男に視線を移すと、男はリュディガーへ視線を向け、片側の口角に力を込めるようにして笑った。
そうして、男は歩み寄ってくるので、キルシェはリュディガーの脇へ下がるようにして並んだ。
男の上背は細身ではあるが、リュディガーの上背より頭一つ分は高く、キルシェは上背のある面々が迫る状況に息を呑んだ。
リュディガーは硬い表情で、武官らしい動きで頭を一度さげる。
礼を受けるその男の相貌、あたかも血のようなそれが、大らかな色を浮かべて細められた。
「……リュディガー、大任よく果たした」
「先生のご指導の賜です」
先生、と言うリュディガー。その視線は、確実に彼の目の前の男へ向けられている。
キルシェが、先生、と思わず零してしまったのを聞き、男は紅玉の瞳をリュディガーからキルシェへと向けた。
「まあ、しごきはしたのでな。世間では先生ということになる」
男は肩を竦めて苦笑を浮かべ、リュディガーを見る。
「苛め抜いた、とも言えるのだがな」
「いえ、そんなことは……」
「歯切れが悪いな、リュディガー」
「事実だからでしょう」
困惑しているリュディガーをよそに、南兎族同士、くつくつ、と笑い合う。
「君たちが手紙を届けてくれただろう? あれは、アルティミシオンが来訪する、という旨を記してあったのだよ。大祖父様が戻られることなんて、滅多にないからね」
「そう、でしたか……」
「大晦日に、ささやかながら宴席を設ける、というのでな」
「宴席……」
「酒はあるからね。何故か大祖父様は、家族団欒というと遠慮されるので」
「私が来ると、皆
とん、と男はリュディガーの肩に手を置いた。
「__お前、良い顔つきになったな」
「は、はぁ……」
リュディガーの歯切れの悪い反応に笑って、男は数度肩を叩くと手を離し、横に佇むキルシェへと顔を向けた。
「__こちらが、例のご令嬢か」
「ええ。マイャリス=キルシェ・コンバラリア嬢です。キルシェと我々は呼んでおります」
ビルネンベルクから紹介をされ、キルシェは挨拶しそびれていたことを思い出し、淑女の礼をとると、男は会釈して返した。
「キルシェ、こちらは、我が家の宗主。アルティミシオンだ」
__それって……つまり……。
ビルネンベルク家の宗主アルティミシオンとはつまり、国家の重鎮であるアルティミシオン・フォン・ウント・ツー・ビルネンベルク__ビルネンベルク家の者にしてビルネンベルク領の者という、家名と所領を連ねた名を名乗れることが許された者ではなかろうか。
帝国における大物に間違いない存在が目の前にいるという事実に、キルシェは言葉が紡げないでいた。
ここはビルネンベルクの屋敷だから、現れてもおかしくはない。しかし、これまでアルティミシオンという存在の気配を感じられたことがなかったために、あまりにもキルシェには遠い存在という認識でいたのだ。
所謂、一般的な者がもつ、伝説的存在という認識である。
「はじめまして、キルシェ嬢」
言って、アルティミシオンは、頭を下げた。それは、腰から負って背筋をまっすぐに伸ばしたまま、という形こそ一緒だが、武官がそうする礼とは異なり、いくらか緩やかな動きだった。
「__帝国の挨拶はあまりにも馴れ馴れしいので、性に合わなくてな。割愛させてくれ」
自嘲するアルティミシオン。
「ぁ……い、いえ……」
困惑するキルシェを、アルティミシオンは改めて頭の先からつま先までを、ゆっくり視線を動かすもので、キルシェは緊張からぎゅっ、と手を握りしめ、口を一文字に引いた。
「キルシェ嬢」
「あ、はい」
「まずは、謝罪をさせて欲しい」
「謝罪……ぇ……」
アルティミシオンは徐に一歩下がると、徐にその場に両膝をついて座し、膝に手を置いて背筋を伸ばしたまま頭を下げた。
キルシェの困惑をよそに、頭をさげたまま彼は言葉を続ける。
「イェソド州での惨劇を、防ぐことができなかったこと。そして何より、痴れ者の奸計を看破できず、御身の生存をつかめず、痴れ者に掌握されたままであったこと、まことに申し訳なかった」
キルシェは、小さく息を詰めた。
「もっとお小さい頃、助けられていたかもしれない。貴女のご尊父とは、幾度か交流はあった。私が、みすみす貴女を不遇に追いやったと言える。奸計に気づいてさえいれば、と……」
「……父と……」
ええ、とアルティミシオンは頭を下げたまま頷く。
「残念ながら、私はその当時、遠方にいて、事の仔細まで知り得ることができたのは、半年以上経ってから。国家の重鎮などと讃えられ、褒めそやされているが、貴女にかかっていた災禍を何もできなかった。__本当に、申し訳なかった」
「あの、どうか、頭を上げてください。その……えぇっと……大ビルネンベルク公」
アルティミシオンは頭を上げるものの、相変わらず床に膝をついたままである。
流麗な眉と、ビルネンベルクよりも苛烈な印象を与える目元は、キルシェを怯ませる。
この男の持てる覇気というものは、キルシェはひしひしと感じていた。
怯ませるつもりはないのだろうが、どうしてもこの男は周囲にそうした者を抱かせてしまうのだろう。そして当人もそれを知っている。
キルシェはひとつ生唾を飲み込んで、小さく呼吸を整えてから口を開く。
「__誰のせいとも、これまで思ってきたことはありません。自分でどうにかするべきこと、と……。ですから、どうかもうお謝りにならないでください。私は生きておりますし……」
ですから、と困ったように笑えば、男は何かを言おうと口を開くのだが、その言葉を飲み込んでから
「__承知した」
アルティミシオンは、その場にすっ、と立ち上がる。
それは一切の無駄のない動きで、まるで地面からまっすぐと生えるようだった。
「今後は、この私の名にかけて、あらゆる支援を約束する」
「恐れ多いことですが、そのお気持ちだけでも十分です。いまでも、過分なほど、先生とビルネンベルク家にはしていただいております。本当にありがとうございます」
「当然のことだ。キルシェ嬢」
「あの、どうぞ、キルシェとお呼びください。大ビルネンベルク公」
「ならば、私のことは……そうだな……」
アルティミシオンは腕を組み、一方の手で顎を擦るようにして思案する。
「大御所……あ、いや……外で呼ぶことを考えると……
ビルネンベルクがそこへ明るい口調で言った。
「あぁ、それでいいだろう。__それなら、外で出くわして呼ばれても、具合が悪くはない」
あまりにも馴れ馴れしい呼び方に、キルシェは戸惑う。
まるで身内ではないか__と、困り果ててリュディガーへ視線を移せば、彼は肩をすくめるだけだった。
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