大晦日 Ⅴ

 リュディガーが案内してくれた店は、彼の言っていた通り、人通りが少ないにもかかわらず、店を開けていた。


「おや、落第生がおでましだ」


 嫌味のない冗談めかした言い方で店主が言った言葉に、リュディガーは否定もせず苦笑を浮かべて雪と泥とを、靴から軒下で取り除く。


 箒やブラシ、盥や鍋、笊といった日用品からはじまり、婦人向けには、帽子、靴下、そして手袋を扱っている店。


「落第生というよりも、今日は色男よ。お連れがいるじゃない」


「なかなか珍しいものを……というか、初めてか」


「またそういう……」


 なんともくだけた、よく知る仲らしいやりとりに、キルシェは普段どおりの礼を取る。


「これは、ご丁寧に。なかなか、愛らしいお嬢さんをお連れなのは事実だろうに。__で、今日は何が入用だね?」


 リュディガーは一度口を開きかけるが、肩をすくめて小さく首を振ってため息をこぼすと、キルシェを示した。


「手袋を。__彼女が失くしてしまって」


 示されたキルシェは、苦笑を浮かべて頷いた。


「おや、こんな日に落としてしまったのかい」


「いえ、少し前に失くして……買わないとなぁ、と考えていたら、この雪で」


「それはそれは、災難だったね。__そっちにあるから、ご覧な」


「でも、リュディガー。来る店間違えたよ。うちのじゃぁ、洒落たものはそんなにないよ?」


「日常使いだから、丈夫さ重視ですよ」


 だろ、と視線で問われて、キルシェは頷く。


「__それに、こんな日だから、確実にやっている店はここだと踏んで来たんです。他の店じゃ、徒労に終わりかねない」


 なるほどね、と笑い合う店主と妻。ひょろり、とした店主に対し、妻は恰幅がよかった。


 その後も、彼らは談笑を続ける。そんな彼らのやり取りを聞きながら、キルシェは目に止まった手袋を、許可をもらって手に取った。


 色は栗色。厚手の生地で、綿が入れられている手袋は、横開き。手首から腕を覆って保護する部分が末広がりになっている。華美さはないが、その部分があるせいで、華やいだ印象を覚える。


「あぁ、似たもので、他に口に毛皮をつけてあるものもあるのよ。__ちょっとまってね」


 恰幅のいい店主の妻は、お湯をティーポットに注いでから、がカウンターの影へ手を伸ばした。そして、キルシェの方へ取り出した手袋を手に、歩み寄ってくる。


 手袋は似たような形と質感のもの。黒い毛皮がぐるり、と口に縫い付けられている。


「これ、口から毛皮で風が入り難いし、中の温かさも逃さないから、温かさが違うのよ。毛皮に直接触れる手首も温かいし。__ともあれ、気になるもの、どれでも試してみて」


 例を述べて受け取ったキルシェに対して、お眼鏡に叶えばいいけれど、と店主の妻はカウンターへ戻っていく。


 勧められた通り、キルシェはまずは手渡されたそれを嵌めてみた。


 最初こそ冷たいものの、すぐに手袋の中で体温が保持されてじんわり、と温かさを覚える。次いで、毛皮が縫い付けられていない方をしてみれば、温かさはあるものの、手首から腕の快適さには雲泥の差があった。


 他にも並べられているもので、温かそうなものをしてみるが、店主の妻に手渡されたそれに勝るものはない。


「これにします」


 カウンターの隅でお茶を注いでいる店主の妻に近づいて、彼女が勧めてくれた手袋を示す。


「とても、温かいです」


「でしょう。こういう日は、毛皮が雪も堰き止めてくれるのよ」


 店主の妻は優しい笑みを深めて、店主へ目配せし、湯呑のひとつをキルシェへすすめた。


「__リュディガー、貴方もお茶を。冷めないうちに」


 店主の妻が湯呑をリュディガーへ差し出し、彼は会釈して受け取った。


 リュディガーが口へ運ぶのに倣い、キルシェも口へ運ぶ。お茶は、生姜が効いた甘いものだった。


 冷えた体に染みる心地で、キルシェもリュディガーも、一口飲んだ後、深くため息を零した。


 両手で湯呑を握り込んで、キルシェは指先を温めつつもう一口飲んでいると、リュディガーと店主が会計をしてしまっているのが目に留まって慌てて歩み寄れば、リュディガーが、手袋をカウンターから奪うようにとり、顔を向けてくる。


 彼の顔からは、お代は受け取らない、という意志がはっきりと見て取れて、キルシェは苦笑を浮かべ、観念したように小さく頷くと、彼は手にした手袋を差し出してきた。


 礼を述べて受け取って、一度眺めてから小脇に抱えて嵌める前に湯呑でしっかり指先を温めつつ、口へ運ぶ。


「__あれから何年だね。三年? ローベルトさんの……」


「……二年です」


 二年__とキルシェは湯呑に口をつけながら、一瞬動きを止めたリュディガーを見、内心で反芻する。


 __ローベルトお父様が亡くなったときのことね……。


「その節は……ご参列いただいて……」


「いや、それはいいさ。この前、葬儀以来、久しぶりに顔をみせに見て、表情が明るくなっていたから、安心していたんだよ」


「そんなに、暗かったですか」


 リュディガーは苦笑して、湯呑を口に運ぶ。


「商いをしているからね、人の表情とか雰囲気とか……まあ、目につくんだよ。それきりだったからねぇ。この前、久しぶりに来てくれたときにも話したが、葬儀の後しばらくして、龍騎士のお仲間に様子を聞いたら、退団したと聞いて本当に驚いたんだ」


「実は、今度、復帰しますよ、龍騎士に」


 店主は、目を見開く。


「退団じゃなかったのかい?」


「詳しくはお話できませんが、任務についていたんです」


「おやまぁ。そうかい、そうかい。そういう事情が……。なんだか、とってもほっとしたよ」


 店主はおおらかに笑って、キルシェへと視線を移す。


「__まさか、いい人と来てくれるとは思いもしなかったしねぇ」


 本当にねぇ、と笑う店主と妻に、リュディガーはむせた。


 店主はキルシェの左手の薬指に嵌められている、婚約の証を視線でしめす。


「婚約中の人を異性が連れ回すなんてのは、婚約者同士で誤解を生みかねない。__リュディガーじゃそんなことをしないだろうから、そういうことなんだろ? 指輪を嵌めていないが、大晦日に出歩くような仲だ。いよいよ身を固めるのか」


 __身を固める……。


 そうか、そういうことだ。


 確かにそうだ。


 自分たちは__彼は、そうなる。


 改めて言われると__それも、リュディガーとは気さくな間柄らしい人から言われると、照れ以上に緊張する。


 無性に喉が乾いて、お茶をもう一口__否、二口、三口。


 キルシェは、なるべく視線を伏せて赤くなっているだろう顔を晒さないように務めながらも、ちらり、とリュディガーを見た。


 リュディガーの表情はよく確認できないが、照れているのか、彼は後ろ頭を掻いているのが見える。


 それを見て、またも喉の乾きを覚えたキルシェは湯呑を口に運ぶ__が、先程飲んで、殻にしてしまっていた。


 湯呑を仕方なくカウンターへ静かに置くと、店主の妻がつぶさに気づいて注いでくれた。


 おずおずと顔を上げて、ふんわり、と穏やかに笑う店主の妻。キルシェは笑顔を返すも、逃げる様に湯呑を手にして口に運ぶ。


「ところで、お名前は?」


「キルシェ……です」


 喋る端から、潤した口が乾いていくのがわかる。


「彼女は、ビルネンベルク先生が後見を」


「なんとまぁ、それはそれは」


「通りで、惹くものがあるわけだわ。品格っていうのかしらねぇ」


「花もあるしなぁ。ドゥーヌミオン様が後見とは……。やっぱり、リュディガーは、庶民とは言いにくいよ」


 闊達に笑う店主に、リュディガーは苦笑を浮かべるのだった。

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