大晦日 Ⅳ
大学から用事がなければ出かけることはないキルシェでも、雪に覆われた帝都は、人の往来は少ないように見受けられた。
まとまって雪が降ったことで、はしゃく子供らの姿が目立つのは、大人が出歩いていないからだろう。
帝都の警備を担う州軍が駆り出されて、主要な通りの雪を掻いている。
幾頭か龍も駆り出されているが、こうした状態では州軍を動かすことが困難であるため、いつも以上に有事に備えねばならないらしく、初期のある程度が済んだら、警邏に回される。
雪かきの優先順位を心得ているリュディガーのお陰で、いくらか遠回りであったものの、歩きやすい道ばかりを歩くことができた。
__リュディガーならそうしたことを知っていたから、私に託した……のかもしれない。
リュディガー単独に頼みたかったのだろうが、彼は自分の警護という名目があるから快諾はしない。であれば、警護対象に託して、動かしてしまえば良い。しかも警護対象は今夜招いている相手であるから、どのみち移動をするから__と、ぼんやりとビルネンベルクの思惑を邪推して、たどり着いたのは午をすぎてそう経たない頃。
ビルネンベルクの帝都の屋敷で、託されていた封書を使用人に渡せば、よく気がつく使用人らが昼食を提供してくれると申し出てくれた。
それまで、昼食のことなど考えていなかったキルシェは、リュディガーとともにありがたく頂戴することにした。
ここまでに見かけた繁華街はどれも人通りは少なくて、今日は休業をすることを選んだ店が多かった。今から探しに行っては食べ損なう可能性があるし、食いっぱぐれて戻ってきて、晩餐の準備に追われているだろう時間に、食事を所望することのほうが、屋敷には迷惑には違いないからだ。
簡単なものではありますが、と用意されたものは、この屋敷でつい最近も連日住まわせてもらった経験があるキルシェからすれば、そう見劣りするものではなかった。
急いで用意してくれた彼ら。ビルネンベルクの使用人、という矜持の底力を見せつけられたようである。
というのも、この屋敷には執事はいない。執事は定期的に来訪する程度で、本拠地のネツァク州の屋敷にいるからだ。
長がいないというのに、この屋敷は抜かり無いことでも知られている。
「__この後はどうする?」
食後のお茶が配されたところで、リュディガーが口を開いた。
それまで、さほど会話はなかった。
彼からの誘いを断っていたキルシェから彼に話しかけるのは、取り繕おうとしているように思えて、彼から話しかけない限りはなるべく口を開かずにいたのだ。
そして、食事中は、雪の中を移動してきた疲労と、無事に届けられたという安堵も相まって、先にも述べたようになかった。
「時間まで、
彼がこの後の予定を聞くのは、彼がキルシェの同行に従うより他ないからだ。だが、そうは分かっていても、若干の後ろめたさがあるキルシェは、口の中に急に広がった苦さを飲み込もうとお茶を一口含む。
__籠もるにも、用意を何もして来ていない……。
リュディガーと合流してそのまま来てしまったし、まさかこれほど早く到着するとは思ってもみなかったから、籠もるための用具などなにも持ち合わせていない。
キルシェは窓の外を見やる。
陽気の盛り。
朝日に負けないほどの眩しい光が反射して入り込んでいて、天井までもが明るい。
ぽつぽつ、と窓の向こうで滴る雫が、透徹された宝石の欠片のように光を弾いている。ここまで来る道中の帝都の景色もまた、同様に美しかったように思う。
何気ない街並みのはずなのに、新鮮な心地がした。
「……雪の帝都は、散策をしたことがないので……もしよければ、見て回りたいです」
視界の端で捉えたリュディガーは、茶器を口元に運んだところだった。そこで一瞬動きを止めたので、キルシェは彼に視線を向ける。
視線があったリュディガーは数瞬の後に一口口に含むと、静かに茶器を置く。
「そうなのか?」
「はい。雪の日は、大学から出たことはなかったです。先生のお供であるにはあるのですが、それは雪は降っていても、積もる前か、あるいは積もった雪が溶けてきたときで……しかも、馬車での移動でした。この足で歩いてみてまわったことは、一度も」
「……籠もらなくていいのか? やりたい事があると言っていたが」
「それは……その……用意がなにもないので」
罪悪感から、歯切れ悪く答えてしまう。
「これほど早く到着するとは思っていなかったので……」
なるほど、とリュディガーは頷いて、窓の外をみやった。
いくらか思案するような雰囲気に、キルシェは彼の答えを静かに待つ。
「__……なら……日常使いの手袋を見繕いにでも行くか?」
静かに口を開いたリュディガーの言葉に、キルシェはきょとん、としてしまった。
「失くしたんだろう?」
「え、えぇ……」
リュディガーは今一度お茶を口に運んで、肩をすくめる。
「目的もなく歩き回るのもいいが、ついでできることだから。今日みたいな日に、外向き用の手袋は特に向かないからな」
リュディガーに言われ、キルシェは苦笑を浮かべる。
「ありがとう。__でも……やっているかしら」
「こんな日でもやっている店に心当たりがある。日常使いのであれば、扱いがあったはずだ」
「そうなのね。では、案内をお願いします」
ああ、と穏やかな表情で応じてくれたリュディガーに、キルシェはいくらか胸が高鳴った。
__こんなことが、前にもあった……。
以前、大学から去る前のこと。
リュディガーにつれられて、帝都を散策した。
その時に、彼が贖ってくれた日傘はいまだに大事に使わせてもらっている。それは、数少ない自分が手元に残した私物。
日傘を購うことになった経緯はなるべく思い出したくない出来事__できれば忘れ去りたい出来事であるが、日傘を贖った日の散策はとてもよい思い出だ。
リュディガーがそばにいて、おっかなびっくり歩いた帝都。
あのときと同じ様に、リュディガーとまた散策をする。
「……ついでに一件、私も用事を済まさせてもらってもいいか?」
「ええ、構いません。もちろん」
「助かる」
いえ、とキルシェは笑って首を振る。
「ここからはさほど遠くではないが、迂回したりするから、動けるのならもう出ようとおもうが、いいか?」
「はい。今夜の準備もありますから」
「日暮れ前には戻れるようにする」
はい、とキルシェが頷けば、リュディガーは残りのお茶を一気に煽って席を立つ。
そして、席を離れて扉を開けると、外で待機している使用人__この屋敷では執事代理にあたる従者に声をかけた。
通常であれば、食事をしている場に控えているのだが、使用人との距離感に不慣れなリュディガーを慮って扉の向こうで控えてくれていたのだ。
「__食事、ありがとうございました」
「いえ、大したことは。__如何されましたか?」
「これから外出をします。彼女の、身支度の準備の時間までには戻りますので」
「承知いたしました。少々お待ちを」
歯切れよく応じた従者は、名をヘルムート。リュディガーに劣るものの上背はある。
キルシェが見る限り、とても頭の回転が早く、まめに動く、できる使用人だ。
ヘルムートはキルシェとリュディガーにそれぞれ一礼して、下がった。その礼ひとつにしても、侮れない覇気がある。
ややあってから現れたのは、そのヘルムートと女中のひとり。
女中は、キルシェがこの屋敷で世話になるようになった際、専属の身の回りをするようになっている。名をリリーと言った。
彼らの手には、預けてあった外套がある。
「ナハトリンデン卿、今夜はこちらにお泊りでよろしいでしょうか?」
外套を羽織らす補助をしようと、広げる従者だが、リュディガーはそれを軽く制して受け取る。
「……そう……なるかと。お手数をかけます」
「とんでもございません」
外套を手ずから羽織るリュディガーらのやり取りを、リリーに外套を羽織らせてもらいながら、キルシェは見ていた。
「ナハトリンデン卿におかれましては、屋敷の者は動きが生き生きするぐらい歓迎しております。しかも、ご宿泊までされるとなると、それはもう」
「まさか」
「事実です。とりわけ女性陣は。__そうだろう? リリー」
キルシェの衣服の細部を確認していたリリーは、困ったような、それでも愛嬌のある笑顔を浮かべる。
「はい。いつも以上に上に来て、
面食らうリュディガーは、ヘルムートを見る。
「下では声をかけられた、とか、目が合った、とかで黄色い声が上がっていおります」
「注意が必要な時もあるぐらい、活気づいておりますね」
「は、はぁ……」
「ですから、どうぞお気になさらず。むしろ数日ごとに来ていただけるとありがたいです。ふらっと立ち寄っていただくだけでも、士気があがりますので」
「__それは……その……よ、よかった……」
言葉に窮するリュディガーはなかなか面白く、キルシェは思わず笑ってしまった。
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