無位だった者 Ⅲ
今となってはいい経験だった、と振り返られる過去。
__いや、だからって、もう二度と御免被るが。
それはすぐにそうやって否定してしまうもの。
エーデルドラクセニア帝国は、地上において稀に見る長く落ち着いた治世であるのだ。あのような任務が何度もあっては、そんな国でもたないに違いない。
__どれだけ情勢不安なんだっていう話だ。
不安の芽を摘むという任務に自ら身を投じたリュディガーは、それが身に沁みてわかった。言葉だけでなく、実体験として理解した。
__これがどれほどの奇跡か……。
軽く舐めるように思い出していれば、ビルネンベルクがリュディガーとヌルグルへ交互に視線をむける。
「所領は、首都州なので?」
「そのように、聞いております」
「……屋敷もあるそうで」
「だろうね。いやいや、とんとん拍子に整っていくじゃないか、ナハトリンデン男爵」
いかにも楽しそうにするビルネンベルク。
__簡単に言ってくれる。
こみ上げてくる苦いものを、リュディガーは飲み込んだ。
屋敷をもらうということは、そこで人を雇うことになる。その人材を見繕うのだ。それも一から。
それは、申し出れば斡旋はしてもらえるだろう。だが、数人で賄える規模でなければ、家政の長と相談の上雇う人数を増やさねばならない。
まっさらな状態から、作り上げるのだ。
持てる者であるビルネンベルクは、生まれながらにしてそうした生活だったから、簡単にいってのけることができるが、自分は一時だけそうした経験をしたものの、庶民なのだ。
「陛下からの評価がある……認知されている任務、御下知だ、という証左になりますから」
「それは、わかっているのですが……あまりにも過分です。爵位と勲章だけでも十分すぎだと思っているのですよ、自分は」
「何を言っているのだい、リュディガー。それなりに君を仕立てねばならない、ということを失念しているな」
「仕立てる?」
呆れたような顔になるビルネンベルクに、リュディガーは眉を潜めた。
「君は、マイャリス=キルシェ・コンバラリア嬢と結婚するのだろう? 不足な相手ではならんのだ。__まさか、忘れたわけではあるまいね?」
ビルネンべルクの指摘に、リュディガーは、はっ、としてキルシェを見る。
銀糸の御髪。
白磁の肌。
リュディガーの視線を察したキルシェがややふせていた視線を上げる。すると、透徹されたような紫の相貌と視線が絡むが、どこか戸惑ったようだった。
ただ佇んでいるだけでも、目を引く彼女。
大学でも孤立しがちで、心象としては孤高そうな令嬢、というものだった。だが、話してみれば育ちはご多分に漏れずよく、だからといってお高く留まっているわけでもない気さくな人柄だった。
そんな彼女の血筋は、帝国に置いて失われたと思われていた一族に連なるものだと、後に判明した。
たとえそれを外へ知らしめることはないにしても、出自を承知である帝国にとっては、確かに不足がある相手では、示しがつかないのは事実。
__理解はしている、が……。
必要があれば、1つずつ自分で組み上げて、揃え、整えていくことも念頭にあった。そうすべきだとも思うし、そのぐらいの甲斐性はある自負がある。
__だからこそ、求婚した……。
自負はあるが、自分が動くよりも外部から__圧力をかけられるように受動的に動くのでは、まるで心構えがない、と指摘されているようでなんとも不本意極まりない。
準貴族という階級になる龍騎士に叙されても、庶民という感覚でいるから、国が後生大事にしている御大層な名家の令嬢と世帯を持つことになるとは、ゆめゆめ思いもしなかったのだ。
「馬子にも衣装というやつですね」
「リュディガー」
自嘲気味に言えば、ビルネンベルクにやや強く名を呼ばれた。
「__そのように自分を卑下することはない。してはならない。君は、まがりなりにも、我が父祖、大ビルネンベルク公が贈った姓ナハトリンデン家を継ぐ者だろう」
「……それは、偶然です。私は運がよく……庶民に変わりはございません」
ぐっ、とリュディガーは拳を握る。
本当にそれはたまたまで、そうした家に縁あって養子に迎えられたのだ。
「……卑下をしているつもりはないです」
「では、謙遜か。謙遜のし過ぎも、毒だ。蓬莱流とでもいうのかね」
「事実を申し上げています」
文化、風習、それこそ感覚がまるで違う世界の生き物同士。社交界で顔をあわせこそすれ、彼らと会話をする機会を得る度、あぁ、違うのだ、と感じていた層の人種。
そんな自分が、惚れて求婚した相手がその層の人種だった。
しかも当人は、つい最近までその事実を知らなかったのだ。二人して困惑しているのは言うまでもない。
__それも織り込み済みで、承知して、求婚した……。
周囲が体裁を整えていく速度が、ふたりを取り残しているような心地がしなくもないのだ。
__まあ、もうそれは……そういうことなら、そうするまでだが。
ビルネンベルクが、不意に肩に手を置く。その手には、いくらか力が籠もっていた。
その視線は、ついさっきまでとは打って変わって至極真摯なものだった。
「今の地位も、報奨も__君は、十二分に見合っている」
静かな覇気とでもいうのだろうか。
「私の気に入りが、それに見合わないわけがない。その素質がないわけがない。君は、素養があって、経験もあって、研鑽も積んでいる。__それは、私が及ばないぐらいのものだ」
リュディガーは、思わず息を呑んだ。
本音なのだろう__こんな風に静かに、強く意見を述べることをビルネンベルクはしない。
ビルネンベルクは、ふっ、と薄く笑うと手を離す。
「__どこぞの誰に嫌味を言われたら、ビルネンベルクのお墨付きがある、とでも言ってしまえばいいさ。許可するよ」
「は、はぁ……」
「それに、そもそも、良い見本がここにいるだろう。私の真似をすればいいさ、真似を」
くつくつ、と喉の奥で笑う様は、いつもの通りの彼だ。
なんと返していいか戸惑っていれば、ヌルグルが小さく笑う。
「__さて、それはそうと、ビルネンベルク殿は、元帥閣下に招かれてお越しいただいたのですが……リュディガーは、ここで待ちますか?」
ヌルグルは言って、意味深な視線をキルシェへと向けた。
彼女は、キルシェの警護任務にリュディガーが秘密裏についていることを含め、現状を承知しているのだ。
「いえ、自分は現地へ赴いて様子を見てくることになりました」
「左様でしたか」
リュディガーは、ビルネンベルクへ向き直って姿勢を正す。
「龍を駆る許可を得たので、すぐに戻ってまいりますが__」
「ああ、承知した。彼女はまだ預かっていよう」
「ありがとう存じます」
「彼女も、元帥閣下に、所領のことの仔細を訊けるし」
「お言葉ですが、先生が訊きたいだけではないのですか?」
「おや、これはこれは。持てる者であるビルネンベルクの者がそんな卑しいことをすると?」
「先生の気に入り__しかも後見している者にかかわることですからね。私も、不肖ながら、気に入りということらしいですので、興味はさぞかしお有りでしょう」
リュディガーは肩を軽くすくめてみせる。
「お。君、言うようになったねぇ」
くつり、と笑うビルネンベルクは、嫌味のないほど上品である。
特殊任務に就いて以降、ビルネンベルクとの皮肉のやり取りに苦慮しなくなった。以前であれば、言い負かされて終わっていたことだろう__否、言い返せず、苦い顔をして終わっていた。
知らず知らず妙な部分も進歩しているらしい、とリュディガーは内心苦笑する。
「これから龍で行くとなると、冬空ですからさぞ寒いことでしょう。しばらく駆っていなかった貴方では、身に染みるほどに感じるはず。装備にぬかりないように」
「はっ。お気遣いをありがとう存じます」
武官の礼をしたリュディガーは、改めてキルシェを見る。
彼女はなんとも形容詞しがたい難しい顔をして、やや視線を落とし、緩く握った拳を口元に添えていた。
それは、どこか思い詰めたようなものにも見えて、リュディガーは眉をひそめるのだった。
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