無位だった者 Ⅱ

 獣人は獣の性があるためか、往々にしてがさつな印象を与えがちだが、ビルネンベルク然り、ヌルグルもまたその例に漏れる為人。


 ヌルグルの場合、祐筆でありながら護衛官の色濃い立場であるというのに、常に冷静で穏やかな立ち居振る舞いをしている。


 それは、獣人の雌だから、という言葉で簡単に片付けてはならない格で、洗練されたものである。

リュディガーはヌルグルの姿を認めると、反射的に廊下の端へ身を引き、姿勢を正して踵を揃えた。そして、一礼をしようとしたのだが、そこでヌルグルの陰から見えたものに驚き、思わず動きを止めてしまった。


 ヌルグルにあるはずのない、兎の立ち耳。それは、彼女の背後に続く人影からで、やがて顔がちらり、と陰から現れ、リュディガーは口を一文字に引き結ぶ。


 リュディガーの表情はその人物__ビルネンベルクを愉しませるには十分だったらしい。真紅の瞳が、笑みに細められる。


 __何故、先生が……。


 ということは、とその更に背後に視線をずらせば、案の定、小柄な人影があって、その人影もわずかに顔をのぞかせる。


 それは、ビルネンベルクに預けてきたキルシェだった。視線があったキルシェは、ふわり、と笑みを浮かべる。


 今朝、ビルネンベルクに頼んで彼女を預けてきたリュディガーは、数時間ぶりとはいえ、その顔を見ると心の底から安堵すると同時に、春めく心地がする。


 ヌルグルはリュディガーよりも細身であるが、一列になって歩けば、背後に人を隠すぐらいには体格がある。


 __何故、ふたりがここに。


「__用向きは終わりましたか」


 ヌルグルとの距離は、すでに三歩程度までに迫っていた。それほど近づくまで固まっていたリュディガーは、問いかけに我に返ってやっと一礼をした。


「はっ」


 歩みを止めるヌルグル。それに倣って、ビルネンベルクとキルシェもリュディガーのそばに歩み寄る。


「思いの外、はやく終わりましたね。リュディガーなら、もう少し駄々をこねるだろうと思っていましたが」


「はやく、ですか……」


「ええ。午前いっぱいかかるかと」


「リュディガーがそれほど駄々をこねるとは。それは、かなり興味をそそられる話題だ」


 くつり、と笑うビルネンベルクに、リュディガーは渋い顔になる。


「……所領を下賜されることになったのです」


 ほう、と感心した声を上げるビルネンベルクは、やや身を乗り出す。そのやや背後に控えるようにして立つキルシェは、さらに驚いた顔になった。


「先の功労に、陛下は見返りを用意していたのです。元帥閣下からは、その話のために呼び出された」


「では、もっと寄越せ、と駄々を言ったわけだ。今をときめくナハトリンデン男爵は」


「……逆ですよ、逆」


 やれやれ、とため息交じりに答えれば、くすり、とヌルグルが笑う。


「でしょうね。ナハトリンデンは嫌がるだろうなぁ、と元帥閣下はぼやておりました。説得するのが大変だろう、とも」


「そんなもの、上官命令だ、と突き放してしまえばよろしいのに」


「なら私も同席する、と団長閣下がおっしゃっていたので……まあ、かなりの圧をかけられた、似たような状況だったでしょう」


 はい、とリュディガーは乾いた笑みを浮かべる。


「__ご想像通り、団長閣下からは、後続への示しにならない、と。元帥閣下は、拒否されたら陛下への申し開きせねばならないから困る、と」


「イャーヴィス元帥閣下は、泣き落としか」


 笑いを堪えた声音でビルネンベルクが言った。


「笑い事ではありませんよ、先生。所領なんて……」


「所領の運営なら、すでに軽く経験しているじゃないか」


「数ヶ月もありませんよ。ほんと一時的に、やむを得ずです」


「なら、やむを得ず拒否もできずに任せられた、という状況も経験済みなわけだ」


「またそういう……」


 特殊な任務で、それを正当に評価されてもらえたのはありがたいことだ。


 そうした見返りがある、ということを今後の示しになるのもわかっている。


 __忠義の果は概して忘恩なり、って言うだろうに……。


 この国の国主、龍帝が、自身の名を冠した龍帝従騎士団という部隊に下した勅のひとつ。それになんら疑問を抱かずそれが当たり前である、と刷り込んできた自分たちにすれば、ここまでの見返りを下賜されると、ただただ困惑するばかりだ。


 __今回の場合、任務中死ぬ可能性が高かったから、何もかも綺麗さっぱり片付けて整理して着任したから……。そう、本当に、身一つで……。


 厳密には、馬だけは龍帝従騎士団からの払い下げという形で持ち出したが、家も引き払い、家財もなにもかも片付けてしまった。


 綺麗さっぱり片付いて、身一つになって__そのときの感覚は、よく覚えている。


 腹が据わった心地というのだろうか。一抹の不安もなく、ただただ清々しかった。


 __あいつは、どういう心地なんだろうな……。


 先んじて任務についていた、どことなく優男の印象を受ける男を思い出す。


 名前も変えて、ただただ任務についていた彼とは、あの任務以降関わりはないのだが、ふと思い出すのだ。


 暗黙のうちに、お互いを庇い合って__ある意味、意気投合してはいた。


 __自分と違って、戻る場所があるかも怪しいし……。


 自分の場合、戻っても、中隊長の席は埋まっているから、どういう沙汰になるかわからない、と事前に伝えられていた。


 __そもそも、生きて戻れるかも怪しかった事案だから、気にもしなかったが。


 生きて帰れれば御の字__それほどの任務。


 四肢五体で戻れて、しかも地位も保持されて__この時点で、もはや十二分だったのだ。

 

 __命があって……まだ生きて良いらしいし。


 それに、とキルシェを見るリュディガー。


 __彼女とまた巡り会えて……。


 それによって、任務達成の確証を得られ、完遂し今に至る。


 __これ以上、何を望むというんだ。


 確証とした未来へむけて、ひとつひとつ、と積み上げていける。


 数ヶ月前にキルシェと再会するまでは、一番苦しい時期だった。不本意な命令に従い、阿って__心を殺さなければならない時期。


 歯を食いしばって、耐えて__そして再会してからは、自分の中に揺るぎない物ができたのがわかった。


 絶対に巻き込まない。


 死なせてなるものか。


 ただ、誤解されたまま任務にあたることになったのは、新たに苦しみを生み出したのだが__。

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