二章 龍久国継承戦 二 ③
「行け!」
炎の推進力で加速した狻猊は火矢の
「
短い
「死体の
紅運は同じ火炎を見たことがあった。幼い頃、都で病が
皇子たちの隙を
「狻猊!」
背を貫通した嘴の先端に鮮血ではなく、煙が絡みつく。
「炎に急所があるかよ」
瞬く間に火が広がった。目を焼かれた化鳥は絶叫しながら、狻猊の胸を
「今ので仕留められないのか」
炎熱のせいか焦りか、藍栄の
「どうする、紅運? 火力を上げれば灰にできるぜ」
「駄目だ。爆発したら街にも被害が及ぶ。それに藍栄を巻き込むだろ」
「競争相手が減っていいじゃねえか」
狻猊がにじり寄る。
「俺は皇子が嫌いなんだ。国のためと
藍栄が小さく笑った。
「優しい妖魔を持ったね」
「どこが……」
紅運だけでなく
「誰も死なせないよ。この世には楽しみが沢山あるからね。早くここを切り抜けようじゃないか」
化鳥の鳴き声に張り詰めた弓が震える。
「先ほどより正確に射れなさそうだ。手伝ってくれるかい?」
紅運は額の汗を
「俺が
藍栄が
「正面から頼む」
赤毛の男が炎を脚に纏う。狻猊が素早く紅運の両脚を抱え、跳躍した。抗議する間も余裕もない。
「火が使えないなら」
紅運は銅剣を握る。すれ違いの刺突は激音を立て、黒鉄の羽と火花を散らしただけだった。
「くそっ……」
二本の矢が妖魔の首を
――藍栄は
紅運が顧みた先で、藍栄が最後の一矢を番えた。両の
――まさか。
紅運は再び化鳥を見やった。
「狻猊、切り離された
大魔は頷く。弓を引き絞る音。命じる前に狻猊が地を
陰摩羅鬼に追従して風が渦巻く。狻猊は減速しながら肉薄した。開かれた嘴と腐臭が迫る。
「俺の首に価値などあるか」
紅運は己を抱える妖魔に銅剣を向けた。狻猊が空中で身を屈める。化鳥の嘴は虚空を
「命懸けじゃなきゃ何も……」
「できないだけだ!」
振るった銅剣は狻猊の手首を狙い通りに切り飛ばした。落下する紅運を狻猊が片腕で抱え、切断された己の肉を蹴り上げる。仰ぎ見た空に銀の一線が走った。矢は空中の手首を貫き、直進する。魔物の開いた
赤と青の炎が絡み、墓地に煙と腐肉の焦げる
帰路の林道で紅運は息をついた。身体は汗と空気に溶けた油脂でべたついていた。紅運は脂で照る唇を
「何とかなったな」
「当たり前だろ。俺が殺せない奴がいるかよ」
「敵じゃなくお前が何をしでかすか心配だったんだ」
「そりゃあこっちの
狻猊は金の
「お前はまともで
答えに窮した紅運を見て、藍栄が声を上げて笑った。
「何にせよ、よくやってくれた。君たちの手柄だ」
狻猊が舌打ちする。
「
藍栄は少しの間沈黙した。
「わかるかい?」
紅運は首を垂れて肯定を示す。
「
「全盲って訳じゃないさ。それに、市井は幾らでもひとの目があるから不自由しない」
「それで、生かされてるって言ったのか……」
「
老人のような
「恨んでないかと聞いたね。私も人並みに恨みはあるさ。高熱に魘される中、視界が
「……それで?」
「枕元で突っ伏した白雄がいたよ。目を
藍栄は目を閉じて笑った。
「玉座を争い傷つけ合うなんて本意ではない。他の兄弟も君も、同じじゃないのかな」
「でも、遺言で……それに……」
「始め
耳慣れない言葉に紅運は戸惑う。
「古書の一節さ。ある男が名剣を持っていて、客人がそれを
藍栄は笑った。
「思いは言葉で伝えなくてはね。間に合わなくなってからでは遅い」
紅運は答えられず
市場を抜けて戻った宮廷は常時より厳粛に思えた。
「紅運、貴方の功績を認め、赤の大魔を正式に迎え入れます」
跪いた紅運は目を見張る。黒曜石の床に反射した白雄と目が合い、微笑が返った。何度も見た、穏やかな慈愛に満ちた
壇上から駆け下りた
「本当によかった。力になれなくてごめん」
橙志が
「お前は慎みを覚えろ」
傍で黄禁が首を
「兄上は行かなくていいのか。互いに斬首から救われたのだろう」
「誰が行くか」
厳かな殿内の空気が緩む。
「やっぱり君はすごい
「青燕、苦しい」
「あ、ごめん」
身を離した彼の衣に汚れが移っているのを見て、紅運は息をついた。
「言わなければ伝わらない、か」
紅運は立ち上がり、兄たちを正面から見据えた。
「聞いてくれ」
五人の視線に息が詰まりかけるのを堪え、紅運は声を振り絞る。
「赤の大魔を解いたのは皇位争いのためじゃない。俺も皆と一緒に、まだ遠く及ばないが、何とかしてその、遺言の通りにしなくていい方法を探そうと、具体案は浮かんでいないが……」
途切れ途切れの言葉に耳を澄ませていた皇子たちから、誰ともなく微笑が漏れた。
夕刻の鐘が鳴る。藍栄が一足早く
「もう行くのですか」
「やるべきことがあってね。またすぐ戻るさ」
白雄は
「藍栄、貴方に感謝を。道中気をつけて」
「ああ、君も用心したほうがいい」
「それは、赤の大魔のことですか」
「違う、少し気掛かりではあるけれどね。何せ人型の大魔など例がない。記録に残る狻猊は
はっとした白雄に歩み寄り、藍栄は彼だけに聞こえるよう
「もっと恐ろしい敵が宮中にいるかもしれない」
はぐれ皇子と破国の炎魔 ~龍久国継承戦~ 木古おうみ /カドカワBOOKS公式 @kadokawabooks
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