一章 龍久国継承戦 一 ④
***
破壊の残響は紅運の耳にも届いた。
「紅運様、疾くお逃げを」
琴児が衣の裾をたくし上げる。布靴に包まれた五寸もない爪先が
周囲は煙と、木と肉の焦げる臭いが充満していた。遠くで皇帝を安置する宮を炎が包み、黒煙が夜空の暗雲に合流した。
「黒勝、本気だったのか」
紅運の見逃した兄が殺した者たちが廊下や庭に倒れている。あの後、他の兄に伝えていたら違っていただろうか。
「紅運様!」
思考を琴児の声が引き裂き、真横から二本の腕が突き出す。間一髪で躱した紅運の前を
「何だ、こいつは!」
襲いかかってきた男は鎧を
「また死霊か……!」
紅運は自分の腰を見下ろす。とうに
「道が塞がれている。北へ逃げよう」
紅運は琴児の手を引いた。道の向こうで亡者が次々と倒れる。黄禁が
朱塗りの楼門が見えた。それと同時に煙より一段暗い黒の塊が目に映る。死者の軍勢が門の下に
「貴方様だけでお逃げください。老体は足手まといです」
「何を言うんだ!」
「死に損ないが……!」
死者の
「琴児!」
「どうして……」
煤と火傷で覆われた彼女を抱き起こすと、力無い笑みが返った。紅運は琴児の衣に点いた火を手で消して背に負った。火膨れした指がひりつく。鉛のような重みに耐えながら紅運は一歩ずつ進んだ。
「何で俺なんかを
熱く細い息が耳にかかり、琴児が笑ったのだとわかった。
「今も覚えております……私の足を見た紅運様が……『皇帝になったら女官も馬を使えるようにしてやる。馬が走れないところは俺が背負う』と……。何もないなどと仰いますな……私にはずっと何より大事で特別な……」
琴児が肩からずり落ちた。慌てて抱き起こすと、まだわずかに息があった。風と炎の共鳴に怒号が混じる。今は白雄も、桃華もここにいない。
紅運が唇を嚙んだとき、獣の
「伏魔殿……」
紅運は琴児を楼門の下に寝かせた。
「すぐ戻る」
赤い支柱を潜り、紅運は気が遠くなるような長さの石段を駆け上がった。肺が鋭く痛む。
闇の先に光が覗いた。足を速めるほど、熱は濃くなり息が詰まる。薄暗がりの中、赤光が
獣でも妖魔でもない。炎のような赤い髪をした男だった。うねる髪の奥に擦り切れた行者の服と、
「これが赤の大魔か……?」
「お前、皇子か……?」
「それとも、皇帝か?」
炎の
「いずれそうなる」
紅運は銅剣を引き抜いた。
全身を
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