プロローグ ③
***
気を失った夜盗らが倒れる中、白雄は傷ひとつ負わず立っている。彼は膝をつく道士に蛇矛を突きつけていた。
「終わりです。楊廉殿、投降を」
「終わるものか……廃寺に向かったのは貴方の弟か、殿下?」
白雄の眉が
「それは重畳。全てに恵まれた貴方も失うことを知るがいい。ことに血を分けた者ならば
刃を振るうまでもなく、楊廉は倒れ伏した。彼の鼻と口からどす黒い血が流れて地を汚す。
「紅運……」
白雄は廃寺を
「廃寺へ向かいます。動けるものは皆私について――」
兵に告げる白雄の
***
「何があったのですか」
壁穴を
「桃華、近い……声までは聞こえないが、妙なんだ。白雄が賊を討伐したように見えたが、倒れていた奴らがまた動き出して……」
「早く合流すべきですね」
桃華が身を引いたとき、腐臭が鼻を
臭いは堂の奥から染み出していた。
「あれは何だ?」
「私も奥に行ったことはないのでわかりません。ですが、賊が時折攫ってきた方々を連れて行くのを見ました」
「人質がいるのか?」
「それはないと思います。連れてこられるのは皆病人や怪我人で、いつ死んでもおかしくないものから本物の死者まで……」
「何が起きてるんだ!」
傍らの桃華が青ざめる。堂の奥から動くはずのない巨像の影が徐々に迫っていた。太い足が腐れた床板を踏み抜く。紅運たちの三倍はある
「禁術、死者を
巨人が
「桃華!」
彼女は依然
「あれは死者、なのですか?」
「ああ、夜盗の正体は道士だ。人間を蘇生する禁忌に手を出したらしい」
「紅運、私は化け物と何度も戦いましたが、ひとを殺したことは……」
大きな瞳には
「大丈夫だ。あいつは俺が何とかする。白雄が来るまで持ちこたえるくらいできるさ」
紅運は冷や汗を
「本当に頼りない兄弟子ですね」
彼女は肩に背負った双剣の片方を押し付けた。
「可愛げのない妹分だな」
紅運はひったくるように受け取った。魔物は腐敗した下肢を引きずりながら両者に迫っていた。
「紅運、私が右です」
「わかった」
短いやり取りでふたりは武器を構える。幼い頃の
「上を失礼」
桃華が紅運の丸めた背に手をついて跳躍する。魔物の拳を足場に、彼女は
「桃華、気をつけろ!」
魔物が桃華を振り払い、子どものように両腕を回した。燭台が
「このまま戦っても焼け死ぬだけだ。まずは脱出するぞ」
桃華は
遠い扉の先から差す月光が強くなる。腐肉の焦げる
「あともう少しだ!」
速度を上げたとき、辺りが暗く
「紅運!」
頭上ではなく真横からの衝撃に紅運の
「桃華!」
紅運が粉砕された壁の
「起きてくれ、桃華!」
薄く開いた桃華の唇から言葉の代わりに血が
「くそ、何が皇子だ……こんなときまで何もできずに……」
兄の言葉が紅運の頭を過る。
「魔物は皇族を真っ先に襲う……」
紅運は深く息を吸い、
「宮廷道士の座まで捨てて、化け物を作りたかったのか、業突張りが」
紅運は床に視線をやる。落とした短剣は小さく、双剣には
紅運は亡者に向かって駆け出した。足に炎が絡みつき、裾が焦げる。
「来い、俺は龍久国の第九皇子だ!」
魔物が壁ごと抉り取って拳を引き抜く。
「これで、もう一度死ぬか!?」
亡者がもがくほど燭台が突き刺さる。押し寄せる血潮に
――まさか、大魔じゃなきゃ魔物は倒せないのか。
熱と重みに耐える紅運の脚に炎が這い寄る。最後の
腐肉を貫通した燭台から、あるはずのない火が起こった。亡者の胸から背までを爆風と赤光が貫き、天井を炎が
紅運は思わず燭台から手を離した。炎の中で魔物が一瞬、穏やかな目をした。黒煙を残して火が消え、後には小さな骨が残されていた。どこかで獣の
「何だ今のは……」
「無事ですか!」
蛇矛で戸を破った白雄と兵士が雪崩れ込む。
「俺は大丈夫だ、それより桃華を」
紅運が駆け寄ると彼女が目を開き、小さく
「貴方も無事で何よりです。いえ、案ずるのは侮りでしたね」
白雄は目を細めた。
「善く戦いました。それでこそ龍久国の皇子です」
紅運は血に汚れた服を見下ろした。火がついたはずの衣は何処も焦げていない。魔物を焼いた炎は影もなかった。
月は何も変わらず廃寺を照らしていた。
寒気に身を
「歩いて大丈夫なのか?」
「ええ、傷自体は深くありませんから」
桃華の額には血の
「顔に傷があったら嫌なのですか」
「そんなことはない、心配しただけじゃないか……
「なら、結構」
桃華は
「何を怒っているんだ」
紅運が手を伸ばしたとき、桃華は急に振り向いた。
「怒っていません。感謝してます。ですが、次はもっと強くなってください」
「次もこんなことがある予定なのか……」
紅運は
紅運が
「楊廉は?」
「毒を飲んで自害しました。ひとまずこれで落着でしょう」
紅運は肩を竦めた。
「我欲と権威のために反魂の術をやった
「我欲に違いありませんが、権威のためではないかもしれません」
白雄は下ろした
「彼が道を外れたのは流行病で妻子を失ってからだそうです。富や権力の無為を知って宮廷を憎み、愛する者に再び会わんと願う。根幹は人間的なものだったのかもしれませんね」
紅運は廃寺に目を向けた。亡者が最後に見せた穏やかな顔が浮かぶ。
――奴はただの禁術に
紅運は考えを振り払った。
白雄は月のような微笑を浮かべた。
「善く戦いました、紅運。宮廷に手柄を持ち帰るとしましょう」
「
紅運は皮肉ではなく、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
牛車が動き出す。国を破ると恐れられた大魔が封じられた都は、失った火に代わって不夜の明かりを
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