プロローグ ②
「ここは一見の客は入れない格式ある楼なのだがな」
「貴方方が入れたならば格式には疑問がありますね」
白雄は二歩下がり、紅運を
「来るな、この女が死ぬぞ」
男のひとりが刀を女の首に押し当てる。白雄は
「頭が高い。御前と心得なさい」
人質を抱える男の
「彼女を!」
白雄の声に弾かれ、紅運は
「くそ、何だ!」
「白雄の大魔……」
紅運は思わず呟いた。
膝をついた男が辛うじて動いた手で短剣を
「驚いた。その大魔、第一皇子か」
突如、妓楼の壁からどろりとした影が
「白の大魔は重責を好む。威光を示しなさい」
凛とした白雄の声に衝撃の音が重なる。酒座の円卓が意思を持ったように立ち上がり、盾の如く攻撃を弾いた。紅運の開いた目に割れて乱れ飛ぶ酒瓶や皿の破片が映る。彼は腕に力を込め、気絶した妓女を庇った。
「ここでは地の利がないな」
夜盗は薄く笑い、妓楼の窓から身を投げた。白雄は迷わずそれを追って跳躍する。
「白雄!」
紅運が窓から身を乗り出すと、一陣の突風が駆け抜けた。後には
紅運は階段を駆け下り、妓楼の外に出る。衛士たちが現れて白雄を取り囲んだ。
「ご無事ですか」
「勿論。ですが、取り逃がしました」
遅れて追いついた紅運に衛士が控えめな視線を向ける。
「紅運様もご無事で何より」
戦ってもいないのだから当たり前だ、とは答えられなかった。また何もできなかった。紅運は妓楼から響く妓女たちの泣き声に耳を塞ぎたくなるのを堪える。
衛士が
「いつもこうなのです。取るに足らぬ物を盗み、
「確かに、都の
白雄は上着を脱いだ。
「夜盗の素性と根城は見当がつきました。牛車をひとつ願います。話はその中で」
皇子たちを乗せた牛車は、大路に映る月を砕きながら郊外へ進んでいた。
「件の男には見覚えがあります」
「彼は
「道士……だから、
「貴方が生まれる前に彼は宮廷を辞しました。優秀でしたが、更なる秘術を求め、道を逸脱したと聞きます。死者を
「才能に恵まれた者ほど欲は底なしだな」
出自以外の
「郊外の廃寺に住まい、秘術を研究する道士の
「……俺は、ここで降ろしてくれ」
紅運は唇を嚙んだ。
「見ていてわかっただろう。俺は
沈黙に牛車が揺れる音だけが響く。白雄は変わらぬ微笑を浮かべた。
「九人の皇子は其々九柱の強大な大魔を従え、皇帝とともに国を守る。その習わしが廃れた由縁を知っていますね?」
「二百年前、第九皇子が謀反を起こしたからだろう。彼は討伐され、国を焼いた大魔は封印された。それ以降、九人の皇子を儲ける風習だけが残り、俺のような末子は使役する大魔を持たない無用の長物になった」
「私は無用だとは思いません」
「慰めなんて」
声を荒げかけた紅運を白雄が静かに制する。
「封印された九番目の大魔は炎を
「力に
「結局、その第九皇子が謀反に走ったじゃないか」
「過ちは
紅運は顔を上げた。白雄の名の通り白い面差しが穏やかに彼を見下ろしていた。
「大魔がなくとも、それを統べる素質は貴方にも眠っていると感じます。ないものを見るより新しく得られるものに目を向ければ自ずと道は拓けるでしょう」
紅運は短剣を握りしめた。牛車は枯れ枝が
輿を降りた紅運を冷たい夜風が包む。
「我らが国の領分に裏口から入るべき故は無し。正面から叩きます。紅運は隙を見て攫われた者たちの救助を」
戦力に数えられないことに
「気づかれたようですね」
白雄は蛇矛の刃を廃寺に向けた。妓楼で見た男が寺院から現れる。空気を破る鋭い音が響き、暗がりと同化した無数の腕が闇を掻いた。
辺りの木々が傾ぎ、半球を作るように垂れ込める。白雄が大魔の力を込めた木が
激しく鋼の打ち合う音が響き、火花が散る。戦場に咲く赤光を頼りに、紅運は駆け出した。流れた矢が間近を掠め、
「誰かいるか!」
答えはない。枝に
「紅運?」
暗がりで懐かしい声が答えた。
「桃華、無事だったのか!」
長髪を結い、簡素な防具を
「
鋭い語気に紅運はたじろいだ。
「何って……夜盗狩りだ。白雄と刑部と一緒に来たんだ。お前が密偵に行って帰らないからと……」
「密偵が情報も持たずに戻る訳がないでしょう。中々敵が尾を出さないので近くに潜んで機を
桃華が
「そうだよな。お前を心配した俺が馬鹿だった」
「私を心配、紅運が?」
桃華は紅運をまじまじと見つめ、
「気持ちは受け取ります」
「気持ちだけか」
「情けない顔をしないで。私が年長者を敬わず、皇子を叱責する無礼者のようでしょう」
「実際そうだろう」
桃華が反論しかけたとき、戸の向こうから怒声が響いた。ふたりはとっさに陰に身を潜める。男たちの騒がしい足音が去っていった。
「まだ見張りがいたのか」
「堂を抜けたところに裏口があります。そちらから出ましょう」
紅運は迷わず
「本当に武人らしくなったな。お前の父上そっくりだ」
「冗談を言わないで。あんな
「そのうち髭も生えるんじゃないか。嫁の
「紅運はうるさい
「そんな物好きがいるなんて知らなかった」
「忘れたのですか?」
桃華は大声を出してから慌てて口を押さえる。
「何でむきになるんだ。見張りに気づかれるぞ」
紅運は肩を竦め、壁の穴から外の様子を
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