はぐれ皇子と破国の炎魔 ~龍久国継承戦~
木古おうみ /カドカワBOOKS公式
プロローグ ①
夕暮れの空より濃い深紅の楼閣が
束ねた黒髪に、炎のように赤い
「……何かあったのか?」
思いもしなかった声に少女が跳ね起きる。彼女は
「女官長に
紅運は少女から少し距離を置いた場所に座った。目をこする幼い仕草から、後宮に入ったばかりの女官だろうと思う。
「もう嫌。父と母は
「王宮には魔物が棲んでいるからな」
少女は不思議そうに顔を上げた。
「俺の……知り合いの侍従から聞いた昔の
「本当ね」
くすりと笑った少女に紅運も苦笑を返すと、頭上から馬が彼に鼻先を押し付けてきた。
「よく懐いているのね。昔から馬小屋当番なの?」
「いや、当番じゃ……」
「紅運様!」
紅運が言葉を濁したとき、厩舎の戸を開け放った侍従が声を上げた。
「皇子ともあろう方が何というお姿です。疾くお越しを。皇太子殿下がお待ちかねですよ」
少女が息を
侍従の後を歩きながら、声などかけなければよかったと紅運は思う。あの少女に何と思われただろう。変わり者皇子に声をかけられたと
そう思ったとき、紅運には歩調も合わせなかった侍従が足を止め、深々と礼をした。
「
「ご苦労でした」
「紅運、また厩舎にいたのですか」
紅運の服から藁と泥が落ちた。侍従が同じ皇子で何たる違いかと言いたげな視線を投げる。
「宮で欠かせぬ仕事を学ぶのは善きことです。それに、戦では馬と心を通わせるのが第一ですから」
第一皇子・白雄は
「戦に出る機会なんか回ってこないさ。そっちこそその服はどうしたんだ」
紅運は
「事前に伝えた通り、
「夜盗狩りなら刑部に任せればいいだろう」
「ただの夜盗ならそうです。しかし、此度のそれは
白雄が視線を向けると、都で
「夜盗は昨夜も?」
白雄の問いにひとりの男が口を開く。
「はい、都城への出入には目を光らせてはおりますが、まるで鼠のように潜り込み、我々が駆けつける前に姿を消すのです」
彼の顔に不安の色を感じ取り、白雄は柔和な笑みを見せた。
「ご心配なく。刑部は妖魔ではなくひとを咎めるもの。門の違う責を問うほど私の目は曇っていませんよ」
男は
「恐れながら、紅運様も行啓なさるのですか」
紅運は唇を
「
「しかし……」
白雄は男に視線を送った。威圧ではなく、弟を叱る親に許しを請うような控えめな
「行きたくないな……」
周囲に聞こえないよう紅運は呟いた。これから赴くのは
「中も外も化け物だらけだ」
空は既に夜の色に変わっていた。
都の大路を抜けると、宮廷の荘厳な光とは異なる
「歓楽街に来るなんて…」
「伏兵は潜ませていますよ。大所帯は隠密には不向きでしょう」
「だったら、俺は必要ないじゃないか」
「偶には都もいいものでしょう?」
白雄は片目を
――次の王座に就くことがほぼ確定している白雄らしい余裕だ。俺は競争相手ですらない。
胸中で紅運が呟いたのを察したように、白雄は言った。
「宮廷には妖魔に関わる案件に派遣される部隊があります。今年から
紅運は目を
「昔の話だ。最近はろくに話したこともない。第一、桃華が倒せない相手なら俺が
桃華とはひとつ違いで、幼い
何処からか響いた笑い声が
「知ってるだろ。俺は皇子が皆従えるはずの大魔を持っていない。妖魔を倒す術がないんだ」
白雄が穏やかに首を振った。
「皇子は伏魔の力のみで皇子となるに有らず。本懐は魔をも統べるという心構えです。古来、我らの祖先が巨大な龍を討ち、
兄たちは自分を虐げも
白雄は妓楼の二階を見上げた。
「不穏な影はここに。行きましょう」
紅運は護身用の短剣を手に取り、再び懐に収め直した。
戸を潜ると、酒瓶を持った妓女が会釈した。
「すみません、今夜はどなたもお通しするなと……」
彼女は白雄とその陰に隠れる紅運を見る。ふたりとも若く質素な装いだが、出で立ちからは高貴さが見て取れた。
「二階の最奥の房にいる御人に言伝があり伺いました」
白雄は耳飾りを片方外して差し出した。
「持ち合わせがこれしかなく……足りるでしょうか」
妓女は
紅運は
「若様は世俗に
女から翡翠を取り上げ、侍従から万一のためと渡された銭の袋を押し付けた。
「少々お待ちを」
妓女が慌ただしく奥へ消えたのを見送って、紅運は兄を
「何でもできるくせに金勘定はできないんだな」
「精進します……これでは不足でしたか?」
白雄が耳飾りを付け直したとき、二階から皿の割れる音がした。どろりとした重い空気が流れる。白雄は紅運に
「待ってくれ、速すぎる」
飛ぶように駆ける兄の背を追いながら、紅運が二階に
「白雄、一体何が……」
房に踏み入った紅運の頰を短剣が
「紅運!」
紅運の前に立ち
「賊か……!」
中央に立つ
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