魔王登場

 どうやら僕は森の中の川に落ちたようだ。

 幸い、川の底は割と浅かったので溺れ死ぬことはなかった。が、当然びしょ濡れだ。

本当なら着てるもの全部脱いで乾かすべきだがそんなことは頭の片隅にもなかった。

 だって想像してみてほしい。さっきまで自分の部屋で寝ていたのにいきなり川の中に落ちたのだ。パニックにならないほうがおかしい。


 夢中で辺りを駆け巡った。ここを抜けようとか人を探そうとか何かしらの目的があったわけではない。

落ち着いたほうがいいとはわかっていても体が勝手に動いていた。


 ようやく足が止まったのは体力をかなり消耗した後だった。もともとスタミナがなかったので10分前後しかたっていないだろう。しゃがんで木にもたれかかろうとして___前方に明かりが見えた。


 はるか遠くにだが複数、たぶん松明だ。誰かが来る。10人はいるんじゃないか?

 とっさに木の後ろに回り込んだ。ひょっとしたら隠れずにこちらから出向いたほうがいいかもしれない。でも万が一あっちに敵意があって捕まった瞬間殺されでもしたら…。そう思い始めたらそれしか考えられなかった。そもそもこんな真夜中に森の中を歩き回っているなんてふつうありえない。絶対に合わないほうがいい。


足音はやがてこっちに近づいてきて、そして去っていった。ふぅ、心臓が止まるかと思った。

 どんな奴らかは見ていないので全く分からない。余計なことして捕まるわけにもいかなかったからな。何か話し合っていたみたいだけど聞き取るには少し遠すぎた。


 先ほどよりは落ち着いてきたので今の状況を分析してみることにした。

 まずパジャマを着ているだけで持ち物はゼロ。で、どこかもわからない場所に一人でいる。これは非常にまずい。どうしてこんなところにいるのかはともかくどうにかして生き延びなければならない。だが、道具や食料の有る無しで劇的に生存率が変わる。今のままでは数日生きられるかも怪しい。このあたりに食べられるものがあるかすら分からないからだ。


ようやく自分がずぶ濡れなことに気付いた。裸足だったので両足は泥だらけなうえにいくつか擦り傷ができている。気持ち悪くて仕方ない。このまま寝たら風邪をひきそうだが、正直もう疲れて何もしたくない。今日のところはもう木の上で休むことにしよう。落ちないか不安だが…。よし、もうひと踏ん張りだ。


 この高さならまぁ大丈夫だろう。万が一猛獣がいたとしてもそう簡単には襲われない…いや木に上るやつもいるから絶対ではないけどそんなことを言ったら現状どこも安全じゃない。


 はぁやっぱ寒いな。こんなのでうまく眠れるかわからんが、おやすみ。


 その後1分もかからずに爆睡した。自分が思っていたよりも肉体的にも精神的にも限界だったらしい。



___翌日


うぅ、首が、というか全身が痛い。そりゃ固いところで寝てりゃそうなるわな。まだ寝足りないのか全身がだるい。風邪気味になっちまったか?


 …なんて言ってる場合じゃねーな。これ絶対にやばい状況だ。


 俺は今、囲まれている。全身皮鎧とか金属鎧とかで覆われてる屈強な男たちに!みんな槍とかメイスとか物騒なもん持ってるんですけど!どう見ても本物じゃねーか!ってゆーかここどこだよ!?


 どっかの屋敷の広間だということは分かる。若干質素な気もするがそれでもセレブとは縁遠い俺にとっちゃ十分豪華だ。かなり古そうだが。ついさっき目を覚ましたらここの真ん中で横たわっていた。たぶんこいつらかその仲間が俺が眠っている間に森から運んできたに違いない。くそっ、こんなことならやっぱり体に鞭打ってでもどっかに移動するべきだったな。


 ……今気づいたけど、こいつら人間じゃなくね?角生えてるし眼が赤いんですけど。


 まさか…いや、でも……ここって…。あっ、あれだ、まだきっと夢の中にいてこうしてほっぺたをつねっても、…痛ってぇ!夢じゃねー!じゃあやっぱり…。


 「さっきから何をしているのだ?」

 「あ、いや、何でもありません。ちょっと目を覚まそうと思って」

 「……そうか」


 金属鎧の一人がもともと険しい目つきをさらに険しくして質問してきた。そりゃまぁ、いきなり自分の顔を引っ張ってたら怪しむわな。装備からしてこいつがこの中ではリーダー格か?


 俺を囲んでるのが全部で6人、両サイドの壁で直立不動の姿勢をとっているのが5人ずつ、計16人か…。まず逃げられるようなスキはないし、下手に動いたりしゃべったりしたりしたら殺されるかもしれない。とりあえずこのままじっとしているのが得策なのだろうが…、それでもこれは確認しておかねーとな。


 「あの…、ここはいったいどこなんでしょうか」

 「それはこれから陛下がお話になる。もうしばらく待て」

 「あ、はい、わかりました」


 現在地については答えてもらえなかった。が、今のでいくらか分かったことがある。


 まず、「陛下」がここに来て話を終えるまではおそらく殺されることはない。その後も殺されることはないという保証はどこにもないが。

 次に、予想はついていたが、ここにいる奴らはその「陛下」にお仕えしている存在、騎士とか兵士とかそのあたりだろう。

 後、なぜかは知らんが全員俺のことを警戒している。眼が犯罪者を逃がさんとするものよりも強敵を迎え撃とうとしているもののそれに近い。中にはわずかにおびえたような表情をしている奴もいるからな。


 そして…、「陛下」、角、赤い目、中世ヨーロッパみたいな鎧や装備、…やっぱりここは…、


 異世界だ!


 この場合、召喚それとも転移だろうか。転生ではないはずだ。見た目全く変わってねぇし。

 一度でいいから行ってみたいと思ったことは何度もある。チートスキルや装備で無双ハーレムやりてぇとか考えていた。が、実際にそうなるともうどうすればいいのかさっぱりわからなくなる。幸い下手に騒いだら殺されるという恐怖心のおかげでパニックになる一歩手前まで精神を落ち着かせることができた。あのまま森の中にいたら発狂して走り回っていたかもしれない。


 「これより陛下との対面である。失礼のないようにせよ」


 リーダー格の男にまた声を掛けられいったん思考を中断することにした。ひとまず「陛下」と話をしてみないことにはこれからの方針は決められないからな。


 えーっと、とりあえず正座はまずいかもしれないし、よくあるような片膝を立ててこうべを垂れる姿勢で待っていればいいかな?


 にしてもどんな奴なんだ「陛下」ってのは。ラノベじゃ角が生えてんのは魔人とか有角族とかだったりするから魔王とか亜人王とかそのあたりだろうな。


 前方左側の扉が開き、誰かが入ってきた。多分この人だな。頭下げてるからまだ顔はわからんな。


 「おもてを上げよ」


 俺はゆっくりと顔を上げた。そこにはアンティーク系の縦長の椅子に腰かけた一人の老人がいた。ふむ、やっぱり頭に2本角があって赤い眼だな。白髪に深いしわだらけの顔だが腰は曲がっておらず、眼光が鋭い。あれが王としての威厳というやつかもな。海千山千って言葉が似あいそうだ。


 「我こそは魔王ギレン=イバルブルク=グリングルド。よくぞ参られた、わが勇者よ」


 なるほど魔王か、で俺が勇者と。こりゃたぶん召喚だな。まぁ主人公が勇者として召喚されるのはテンプレ中のテンプレ……ってあれ?確かに王様が世界の危機のために勇者召喚するのはよくある話だけど、それをふつう魔王がやったりしねぇよな?


 「そなたを連行するような真似をさせたこと、そして我々の都合で勝手に召喚したこと、深く謝罪しよう」


 そう言って魔王ギレンは深々と頭を下げた。ここにいる全員が驚きを隠せていない。王様ってそう簡単に頭下げちゃいけないようなもんだからまぁ当然の反応だな。


 えっとこっちもなにか話さないとダメかな。敬語に気を付けて…丁寧に丁寧に。


 「失礼ながら魔王様。わたくしはまだ状況をうまく飲み込めておりません。いくつか質問をしてもよろしいでしょうか」

 「うむ、構わぬ。我に答えられる範囲であれば何でも聞くがよい」


 こうして魔王ギレンとの対話が始まった。

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