第19話 調印式 その二。
極東アーガイル平和式典の調印式。
かつてないほど、大きな国々を巻き込んだ世界平和への道。その第一歩が、この王宮の大広間で行われている。
殺到したマスコミは五千を超えたが、その中から有名企業や力ある行政などが選出されて今では三十に抑え込んだ。
そして式典の始まりを合図する鐘の音が鳴る。
吟味に吟味を重ねたこの式典の大目玉、調印に全てをかけてきた。
だから、あとは各国首脳代表がそれにサインをすればいいだけの話。
だが、集まって頂いた方々に謝辞を述べたり、この式典の意味を説いたりする時間がもどかしく感じた。
それでも必要な作業と割り切って、俺は周囲に警戒を強める。
人前に出る時間が長くなればなるほど、リリ様の危険が強まる。
さっさとサインだけして、終わればいいのに。
と思ってしまうのは俺が軍人だからかもしれない。
その前にあるお言葉など、どうせ市民には届かないのだから。
悲嘆に暮れる毎日だった。
それをようやく成就させるときが来たのだ。
あの戦いで死んでいった人たちは、それが平和につながると信じて死んでいったのだ。
これ以上の排斥は許さない。
これ以上、誰も死なせたくない。
アーバイン、カリノ、トール。
みな忘れられぬ同士だ。
彼らの思いが報われるのだ。
「戦争責任はどちらにあるのですか?」
ガリアノ帝国とサンノビアン共和国。そのどちらに非があるのか。
それは――。
「むろん、敗戦国には損害賠償を要求します」
戦争は勝ったものが正義と言われる。
でもその実、丸く収めた経験はないのだ。
戦争で奪ったものは二度と戻らない。
人間性も、人の叡智も。暴虐者の前ではただのきれい事で終わる。
正しさなんて、人の数だけある。その中から、純粋に正しいと言えるのはごくわずずかとも言えよう。
正義は双方に存在し、それは互いに受け入れられない。
それが世界の常識。戦争の
誰が正しい訳でもない。
ただ一つ言えるのは戦争は多くの人の命を奪い、悲しみを、嘆きを、祈りをもたらす。
過去幾度となく繰り広げてきた戦争は偉大な指導者が現れ、数十年で崩壊する。そして繰り替えす。
もう二度とこんな世界にはしない、と謳いながらも。
完璧な人間なんていないように、完璧な戦争もまたありえないのかもしれない。
ふと思いを巡らせていると、質疑応答が終わったらしく、調印式最大の見せ場であるサインをするシーンに移る。
「これで平和になるのね」
感慨深そうに呟くメイリス。
「そうだ。そして平和を維持しなくてはならない」
「あの作戦は?」
「調整中だ。少なくとも、俺たちが直接出向く訳にはいかない」
「分かった。でも本当に平和になるのかな……」
メガホカルンルンも来ているのか。まあ、ドールの代表だものな。
じっとリリ様を見ているのが気になるが……。
メガホカルンルンの側仕えが何やら耳打ちをしているようだが。
にたりと笑うメガホカルンルンの目を見てぞわっと、言い知れぬ恐怖を感じた。
そしてべろっとと舌なめずりをしている。
は虫類かなんかか? キモいな。
まあ、代表に向かってこう言うのもなんだが……。
でもあいつが
ホッと安堵しているのもつかの間。
ようやく調印を終えた誓約書が皆の前に晒される。
そこには八条の大項目と、小項目からなっている。詳しく解説されているものは辞書と同等の厚みと重さがある。
それだけ重要な書類とも言えるが、これを完璧に理解している人はいないんじゃないか?
ま、お偉いさんの考えた書類だ。不備はないだろうが……。
時代とともにこれも変わっていくのかもしれないな。
ふと歴史に思いを馳せる。
人間は幾度となく戦乱の世を築き上げてきた。
そして何も学ばなかった。
流された血や涙はこのための、儀式の飾りに過ぎない。
いつになったら、本当の意味で戦争は終わるのか。
それは誰にも分からない。
分からないが、戦争は繰り返してはいけないのだと思う。
尊厳や誇りを持って戦っている兵士には聞かせられない話だが。
アンネのように言葉で示す人はいないのだろう。
純粋すぎる人は過去の歴史上、排除されてきた。
それはあまりにも神格化されてしまうからだ。
神に頼りたくない、あるいは神を信じない者によって排除されるのだ。
もっと現実を見ろ、と。
そうして神も、神自身もいずれ戦争の火種になる。
でなければ宗教戦争など起きはしないのだ。
神が争いを生むなら、それはもう神じゃない。呪いだ。
誰もが呪い呪われ今の時代を生きている。
それはもう善悪お構いなしに。
呪縛でがんじがらめになった人々はまた反発を生む。
そしてこの調印式の後ろでうごめくいくつかの組織がある。
それを抑え込むのも、俺の仕事だ。
だから、戦う。戦ってこの平和を守る。
どこかの国が一方的に搾取するように。
そんな世の中が当たり前になっている。
誰もが、自分の国こそは、と出し抜こうとしている。
人としての尊厳を手に入れても、まだ人は欲望を満たそうとしている。
それではダメなのだ。
本当の平和を手にするなら、人々の意識を変えていかなくちゃいけない。
そうだ。意識の変革だ。
それがなければ、何も変わらない。
同じ過ちを繰り返す。
時の文学者たちが訴える言葉も、科学の進歩も。
全ては国の発展のため、他国を、他人を、出し抜くために使われている。
それが悲しい。
悲しいから、悲しくなくするために生きていたはずなのに。
いつの間にか、そんなことさえも分からなくなり、呪縛に取り込まれていく。
《国のため》と。
そんな平和が長く続いた歴史はない。
考えて行かなくちゃいけないんだ。
何が本当の幸せなのか。何が本当の平和なのか。
それを知らずして世界は、戦争は語れない。
俺には帰る家がなかった。
だから戦場で生活をしてきた。
この調印式のあと、俺はどうすればいいのか分からない。
それでも迎え入れてくれる人がいる。
アーノルド、メイリス。そしてリリ。
俺は彼ら・彼女らに何ができるのだろう。
調印式が無事終わり、そのまま夜会へと移行する。
マスコミの機材は片付けられて、パーティ会場と様変わりする大広間。
お化粧直しに皆が個室に案内される。
若干、十六才でこの国を治めるには無理があるだろう。
そう思っていたが見事にやり遂げていて、感心した。
やはり王族の血か。
そう考えてしまう前時代的な発想も、知識と知恵のなさから来るのだろう。
俺はそんなにインテリじゃない。
全てを理屈で片付けることができないことも知っている。
気持ちも、心もある。
でも、俺はそんな世界の中で社会の潤滑油として、歯車として生きる道を選んだ。
それに間違いがあったとは思えない。
思えないが、他にも道があったのかもしれないと思うと胸が痛む。
ここまでしたきたことが正しいのかも分からない。
それでも平和への一歩が進んで良かった。
「大丈夫? ブラッド」
駆け寄ってきたのはメイリスだった。
「あ、ああ……大丈夫だ」
「そうは見えないけど?」
「……」
なんだろう。もうやることもなくなってしまって、虚無感にとらわれているのかもしれない。
もう戦わなくていいんだ、と。
「大丈夫だよ。わたしがいる。わたしがついている」
メイリスは母のように穏やかな笑みを浮かべてブラッドを抱きしめる。
その様子を遠くから観察しているリリ。
「泣いていいのよ。だから人は泣けるんだ」
俺はメイリスの言葉を聞き、嗚咽を零す。
落ち行く涙はカーペットに小さなシミを作りあげていく。
「我は……」
小さく呟いたリリはそのまま化粧直しに入る。
かけてやる言葉が思いつかなかった。それになんで泣いているのかさえ分からなかった。
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