第18話 調印式 その一。
極東アーガイル平和式典の調印式当日。
街は人で賑わい、活気に満ちていた。
その煽りを受けたいくつかの料理店や金物屋などが、所狭しと露店を展開させて、街行く人々の足を止めている。
そんな中、リリ様はお化粧をするため、白んだ空の中、メイクさんと話し合っていた。
その様子をつぶさに監視している俺とメイリス。
先ほどからにまりと笑うメイリスに少し心揺さぶられている。
「しかし、なんじゃ。この風体は」
リリ様は困ったように頬を掻く。
「でも似合っていますよ」
メイクさんが困ったように呟く。
「ほれ。ブラッドはどうなんだ?」
ちょっと前から文句を言っては俺に尋ねてくるようになった。
なんだか女子って分からん。
でも俺はそれを見て、感想をもらす。
「ま、似合っているんじゃないか?」
「ふーん。お主はこのメイクが好みか」
「え。いや、俺ならもっと幼さを強調しても良いと思うが」
「ほう。ならアメリア。そうしてくれ」
「はい。かしこまりました」
メイク担当のメイド・アメリアが請け負っているのだ。
メイドって何でもできてすごいな。
「なんですか?」
アメリアはトーンの落とした声でこちらを見やる。その目には蔑みのような眼差しが含まれており、ゾクゾクしてしまう。
なんだろう。
この人も結構怖いのだろうか。
「いや、すごいなって思っただけだ」
「家事育児。メイドのやることはたくさんあります。もちろん世話係としていついかなるときも対応できるようにしていますからね」
自慢げにその大きな胸を張るアメリア。
「ま、頼りになるよ」
眉根を寄せてメイクに戻るアメリア。
何か気に入らないことでも言ってしまったのだろうか。
でもこれ以上はやぶ蛇だな。
しかし――。
調印式はこの城の大広間で行われる。
車で到着した貴族たち、そしてドールなどを始めとする近隣諸国が城内に入ってくるのだが、一般市民に開放されている区画は短く、せいぜい、車を降りる各国首脳などを見るのがやっとだ。
それでも市民は集まるものだから、節操がないとも思う。
集まってきた市民で群青雪崩が起きても困るので、止まらずに周囲を回るように伝え通達してある。
こちらの警備も大変だが、王女殿下の警備もしなくてはいけない。
アーノルドはすでに式典のある大広間で警戒に当たっている。
これだけ大規模な式典もそうそうないので、色々なところで俺とメイリス、アーノルドの部下が警戒している。
他にも民間の傭兵部隊にも収集がかかり、街中を警戒するほどだ。
人の多いところにはどうしたって反発する者も現れる。
それを抑えるのが仕事であり、生きがいである。
俺たちはテロを防ぐ。そして安定で安心な平和を築いていく。
そのための部隊だ。
それをお認めになったのもリリ様ご本人だ。
「しかし、我の警護でそのドレスか?」
「あら。いけませんか?」
メイリスの衣服を見てリリ様が口を悪くする。
「ああ。いけんな。青いドレスは水を連想させ、冷たい人と意味に聞こえる」
「そうなんですか。でもわたし、これ以外もっていなくて」
「アメリア」
はーっと長いため息を吐きながら、リリ様はメイドを呼ぶ。
「はい。かしこまりました」
あの短いやりとりで全てを察するメイドの力に圧倒されていると、アメリアはメイリスを連れて隣の部屋へと消えていった。
「しかし、あの娘によくよく好かれておるの。ブラッド」
「ええ。困りました」
「そんなお主にご褒美をやろう」
「? なんですか?」
「そこで四つん這いになれ」
「……はい?」
「そこで四つん這いになれ」
聞き間違いではないらしい。
どういった了見でそうさせるのか……。
「はよせい。誰か来たら困るじゃろ」
少し恥ずかしそうにしていることから、とても大事なことなのだろうと察する。
俺は言われた通りに四つん這いになる。
と、ふわりと柑橘系の匂いを漂わせたリリ様がその形の良いお尻で俺の背中にのってくるではないか。
「え。リリ王女様!?」
「いいではないか。これも婚約相手のよしみだ」
「えぇ……」
そんな馬鹿な。
こんな話があってたまるか。
俺はすぐに立ち上がろうとするが、リリ様を落としかねない。
どうしたものか。
「ほれ。ご褒美は終わりじゃ」
そう言って尻をどけるリリ様。
「本当にありがたいことで」
「やっぱり、お主も好きよのう」
クスクスと含み笑いを浮かべるが、そういう意味じゃない。
否定する言葉が詰まってなかなかでない。
その時、廊下の扉が開かれる。
「はい。終わりましたよ」
メイドのアメリアが入ってくる。その後ろに隠れるようにしてついてくるメイリス。
薄緑色のドレスに身を包んでおり、可憐な印象を際立たせている。
そのままでも絵になるというのに、ワンポイントのアクセである梅の花が映える。
「梅の花には高貴や上品という意味合いがあります。それに似合うお方になりなさい」
「は、はい……」
やや気分が消沈しているメイリス。
何があったんだ……。
それを聞く勇気もなかったから、俺は黙って見届ける。
「そ、そんなに似合っていないかな?」
俺の視線が気になったらしい。
「いや、よく似合っている。悪くないチョイスだ」
それに――と続ける。
「梅の花言葉は《忠実》とか、《忍耐》という意味もある。よく似合っているよ」
ボッと頭から煙りを上げるような音がしたメイリスは、恥ずかしそうに両手を頬にあてて、ふるふると首を振っている。
なかなかに可愛らしい行為だが、俺はこれ以上言葉にしてはいけない気がした。
なぜならリリ様がこちらを睨んでいるからだ。
その高圧的な視線に耐えられず、俺はメイリスから視線を外す。
落ち着いた様子でアメリアがリリ様のメイクを仕上げる。
「これでどうだ? ブラッドよ」
リリ様が完璧なメイクを施され、こちらを見やる。
「さすがです。素敵ですね」
たおやかに微笑むリリ様。
「さすがリリ王女さま」
メイリスも「おおー」と歓声を漏らしながら褒め称える。
「うむ。くるしゅうない」
そう言って照れくさいのか、顔を背けるリリ様。
アメリアも納得いっているのか、クスッと微笑みを浮かべる。
「先ほどはあれほどまでに苛烈だったのに……」
メイリスは何やら頬を膨らませてアメリアを睨むが、本当に何があったんだ?
しかし女子同士言えないこともあるだろうな。
インカムがアーノルドの声を届ける。
『こちら大広間。問題ない。クリア』
『こちら廊下。問題ないっす。クリア』
「了解。リリ様、移動されてもよろしいようですよ」
俺はリリ様の隣に寄り添うと、その手をとる。
廊下には警備兵が数人。
歩いていくうちに、大広間の扉が見えてくる。
ここでいよいよ皆の前で平和への願いと祈りを込めて、調印される。
そう思うと、俺の今までの苦労も吹っ飛ぶ思いだ。
なにせ、この十八年間ずっと戦場にいたのだから。
そして皆、平和になると信じて戦って死を迎えたのだ。
俺にはそれを完遂する義務と責任がある。
だから、今度こそ、平和を求めて。
俺とメイリスは観音開きの扉の前に立つと、こくっと頷いて、扉を開ける。
開かれた扉は採光用の窓から
メイドが鬼になって清掃をしたこの広間にも、埃が残っているのだと思うと、不思議な感じがした。
俺たちが立ち入ると、そこはもう別世界だった。
長机に椅子。
制限を受けた多くの報道陣に囲まれて、アーノルドの姿が見える。
この日をどれだけ待ちわびたか。
俺は高鳴る思いを胸にリリ様の後に続く。
一歩を踏み出す。
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