第14話 水族館の迷子ちゃん。
スルスルと衣擦れの音が扉越しに聞こえてくる。
ストッキングをはいているのだろうか。
それとも、上着か。
「もう良いぞ」
リリ様の言葉を聞き、俺は扉を開ける。
そこには白いブラウスに、デニムのスカートといった、おおよそ王女様がするような格好ではない姿でたたずんでいた。
「え。リリ王女、本気でその格好で?」
俺はうろたえながらも、訊ねる。
「いいではないか。お忍びなのだし。それよりも早く朝食をもってこんかい」
「あー。はい。分かりました」
俺は慌てて厨房に向かう。
食事を持っていくと、リリ様は机に向き合い、食べ始める。
「しかし、お忍びでデートというのは頂けないかと」
俺は勇気を振り絞って言葉にする。
「あら。悪いかしら?」
「い、いえ……」
「彼は紳士よ。気にすることはないな」
リリ様は不適な笑みを浮かべて目玉焼きを頬張る。
「いや、ですが……!」
「何を気にしておる。嫉妬か? 見苦しいぞ」
「い、いえ。そう言う訳では……」
「ならよいだろう?」
「は、はい……」
食事を終えると、リリ様は約束通り、ヘイリスと一緒に水族館に向かう。
最終的に頷いてしまったのは俺の弱さだ。
これでは何も守れない。
ふるふると頭を振るうと俺は、メイリスの運転するジープに乗り込み走り出す。
「まったく、水族館だなんて。戦時中にほとんどの魚を逃がしたって聞くわよ」
「そうだな。そのあと、魚を入れているらしいけど」
戦災以降、めまぐるしい復興が始まっているが、水族館や動物園といった大きな娯楽施設は紛糾している状態が続いている。
ふと外を見やると、キラリと光る何かを見つける。
なんだ? 光り? 合図?
その光りは前の軍用ジープに向かっているように思えた。
ジープが水族館にたどり着くと、リリ様とヘイリスはおり、館内へ向かう。
二人とも楽しそうに笑みを浮かべているではないか。
なんだよ。もう。
俺はメイリスを連れて館内に向かう。
「しかし、アーノルドはどうしているんだ?」
「わたしに聞かれても。なんでも調査中としか言わないので」
「まあ、秘密主義のあいつらしいな」
「そうだね」
乾いた笑いを浮かべるメイリス。
最初にリリ様とヘイリスが見ているのはカニだ。
「カニの足は十本と八本があるのだけど、これはズワイガニがカニの仲間で十本。そしてタラバガニはヤドカリの仲間だから八本なんだ」
「へぇー。よく知っていますね」
リリ様がクスクスと笑みを浮かべる。
そのあともヘイリスによる雑学とそれを聞き届けるリリ様のデートは続く。
「この魚は威嚇するために目の下が光るんですよ」
「光る? なんで?」
「なんでも発光バクテリアというのを住まわせているらしいです」
「へぇ。一緒に共存しているのね」
「そうなんですよ。利害が一致した者同士、助け合って生きているのです」
「ふーん。何が言いたいのかね?」
「いえいえ。僕たちも助け合って生きていけるというだけですよ」
「……ならよいが」
キラキラと銀色に光る魚たちは、まるでこの前見たような絵に似ていると思った。
魚はこんなにも綺麗なのに、何故人は争い続けているのか。
その後もマボヤ、ドチザメのいるエリア。
マアジ、イシダイ、マイワシ、ホシエイなどがいるエリア。
この終戦のさなか、よく頑張って集めている。いるが、水槽がかなり余っている。
見るからに被害を受けている。
「ねぇ。ママ」
甘えるような声を上げる一人の少女。
しかし、その子は一人のようだ。
「ママー? ママっ!」
どうやら迷子のようだ。泣きじゃくっている。
俺はメイリスに視線を送ると、メイリスはふっと微笑み、その少女に寄り添う。
「一緒にママを探そうか?」
「うん」
泣きわめきそうになるのを我慢してメイリスに寄り添う。
「
「何言っているのよ。軍人は市民を守るために働いているでしょう? ならこれも
メイリスの正論に俺は肩をすくめる。
「しかし、リリ様から離れる訳には……」
「それもそうね」
メイリスはリリ様に駆け寄ると口を開く。
「この子の親を探してくれませんか?」
「……我が?」
目を見開き、すぐに笑みを浮かべるリリ様。
どうしたんだよ。あのドSなリリ様はどこにいったんだ。
「いいだろう。娘よ、どんな母なのだ?」
「ん。お姉ちゃんとおんなじ髪色と、目をしているの」
ぐずつきながらも丁寧に答える女の子。
「娘よ、名は?」
「ルルース」
ルルースを見つめるリリ様の顔が一瞬怖かったように思えたが、気のせいだろうか。
小さな子どもはルルースというらしいが、どこかで聞き覚えがある気がする。
あれはまだ小さい頃……。
「ブラッド、いくよ?」
こちらを見て声を上げるメイリス。
「あ、ああ……」
俺とメイリス、それからリリ様とヘイリスはルルースの親を探すために歩き出す。
ちなみにヘイリスは親探しに対して積極的だった。
前に出て他の女性に話しかけるのだった。
「受付で聞くしかないか?」
俺がそう言うと、みんなコクリと頷く。
「すみません。せっかくの休日に、このようなことになって」
ヘイリスは自分が悪い訳でもないのに、頭を深く下げる。
「ヘイリスのせいじゃないな。我がそうしたくてしたのだ。気にするでない」
ホント、あのドSッぷりはどこ吹く風か。
「わたしたちも気を回せずに、すみません。せっかくのデートだったのに」
「デート?」
メイリスの発言に可愛らしく小首を傾げて疑問符を浮かべるリリ様。
どうやら本人としてはデートの自覚がなかったらしい。
「そうか。これがデートって奴だったんだな」
うんうんと頷くリリ様。
その明るい声を聞いて項垂れる俺。
まるで浮気しているのが分かっていない。
そんな気がした。
でも俺はなりたくて婚約者になった訳でもない。
……そのはずだ。まだ俺の気持ちは分からないが、それでも浮気であることに変わりない。
ぶすっとしていると、メイリスが肘でぐりぐりと押しつけてくる。
「なに、ぼーっとしているの。一緒に行く!」
「あ、ああ。すまん」
俺は慌ててメイリスの後を追う。
受付に行くと、そこにはリリ様そっくりな女性が立っていた。
いや、まるでリリ様が大人になったかのような……。
「お姉様……?」
リリ様が目を見開き、その女性に話しかける。
「『お姉様』って……」
俺は思い出した。
小さい頃、人形にルルースと名付けていたことを。
それがリリ様との思い出ではなく――。
「リリ、久しぶりね」
彼女はこちらに向き直り、自己紹介する。
「ララ=アスターよ。よろしく」
快活そうな笑みを浮かべて、俺たちを見やる。
「あら。ブラッド君じゃない?」
「はい。その通りです。しかし驚きました」
「ふふ。私、無理言って王家から離れたものね」
クスクスと笑みをたやなさいララ。
「そうよ。父様がものすごく心配なさっていたのに、連絡の一つもよこさないから」
リリ様が珍しく優しい声音で訊ねてくる。
「ルルースを助けてくれてありがと」
「ママ~」
ルルースを抱えるとララは俺たちを見渡す。
「いい人に恵まれたわね。リリ」
「そんなことないわよ。脳筋とインテリばかりで」
呆れたようにため息を吐くリリ様。
どうやら俺たちのことは理解はしているらしい。
って。俺は脳筋か?
俺ってそう思われていたのか。
確かに筋トレはかかさないが。
「いいじゃない。下手な男よりもよさげよ」
ララは順に俺とヘイリスを見やる。
「ふーん。なるほどね」
何かを納得したララ様。
「今日は本当にありがとうございました」
そう言って上品にペコリとお辞儀をするララ。
その上品さはリリ様と似ている。
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