第32話 それぞれの秋
今度は恵が廊下を歩いていた。
「あれ恵さん、今日は食堂の担当ですよね」
「そうなの。夕方から忙しくなりそうだから、部屋でちょっと休んでいたの」
「接客は忙しいわよね、頑張って。また夕食の時間にゆっくりね」
「そうね」
とにっこり微笑んだ。
「ところで、舞さんも大変でしょう? 神崎さんと斑鳩さんのお手伝いはどうなっているの」
やはり彼女もそのことが気になるらしい。
「うん、まあ。それなりに、いろんな仕事をしてる」
折り紙で鶴を折っているなんて言えないけど。
「ほとんどが雑用だけどね……」
「ハンサムな男性二人に挟まれて、なんだか楽しそうでいいわね」
上目遣いにこちらを見た。
「そんなことはないわよ。それより恵さん、石黒さんと最近仲がよさそうだけど……」
「分かる?」
「やっぱり……あのね、彼に付き合おうって言われて。まあ……私も今のこの状況でどうしたらいいか悩んだんだけど……」
口で言うほど悩んではいない。勿論付き合うことにしたのだろう。
「そうだったの、それで? どうするの」
「まあ、ここでは目立たないようにしようって相談してオーケーしたの。だから……このことは内緒にしておいてね」
「もちろん、誰にも言わないわよ。私口が堅いんだから」
ここで彼氏ができるなんて羨ましい。一緒に生活していれば、起こりうることだけど。秘密にしてと言ってはいるけど、自慢したい気持ちも見え見えだ。あんなに素敵な彼と付き合っているんだから、本当は隠したくないでしょうね。いいなあ~~、ちょっと内気で控えめな恵ちゃんと、スポーツマンでさっぱりした性格の石黒さん、よく似合ってる。
一人だけ単独行動になってから、自分の知らないことが起きていて、みんなと距離が離れていくようで寂しい。恵に手を振って窓の外に目を移す。次第に秋も深まっていって、人恋しくなる季節だ。
「ねえ舞さん」
今度は穂香さんが部屋から出てきて、呼び止められた。
「なんか疲れてるみたいねえ舞さん。神崎さんの秘書と斑鳩さんのお手伝い、大変なんじゃない」
大変なのは気持ちの方だ。いろいろ迷うことがあるので、表情にも出てしまうのかな。
「仕事の方はそれ程大変じゃないんだけど、ちょっと気は遣うかも」
「そうだと思うわ。斑鳩さんのあなたを見る目、普通じゃないしね」
普通じゃない!
どんな目付きで見ているのか?
「どんな風に見えるの、穂香さんから見た彼の目付きって?」
「あら、わからない」
接近して耳元で小声で言う。
「あなたに気があるのよ絶対。熱い視線を送ってるわよ」
「そんなふりをするのが彼のやり方で、本当は違うの」
複雑な二人の関係を説明するのは難しい。
「へえ、彼のこと詳しそうね。だったら大した演技力ね」
「そうそう、私に気があるように見せかけているとすれば演技よ」
「あらまあ、どうしてそんなことをする必要があるんだか、理由がわからないけど」
「彼には彼のやり方があるってこと」
「ふうん」
彼の演技力は大したものなのだ。今度は気があるそぶりをして、私をだまそうと狙ってる……あれ、誘惑してるのは私の方だったのに……彼の方も私を誘惑してるって、どうなってるの。とてもややこしいことになってる。
「あのね、恵さんは……」
と言いかけてから、しまったと口をつぐんだ。このことは内緒だった。
「恵さんが……何か」
「別に、何でもない」
「あら、ひょっとして石黒さんとのこと?」
「本当に何でもないってば!」
「やっぱりわかるわよねえ舞さんにも、二人ともとっても楽しそうだものね。私だけが取り残されちゃったみたいだけど、まあいいわ」
「そんなことは……ないわよ」
とは言ってみたものの、他の人たちのことはよくわからなくなっている。彼女にしてみれば、私は羨ましい立場にいるのだから、寂しそうに言われるのも無理はないのかもしれない。
ここへ来て、もう一か月が過ぎていた。あと二か月、これからの方が時間の経過が早いような気がする。ああ、一日一日を大切にしなければ何も得られないで帰ることになってしまう。
頑張れ舞!
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