第2話 鬼上司
客観的にみても、私には、特に悪いところはないはずだと舞は信じている。むしろ標準以上だと思っていた外見に、毎回ケチをつけられ、痛恨の日々を送るなんて何たる不条理。世の中不公平、と舞の怒りは絶頂に達し、それとともに絶望感も増大するばかり。だが、入社以来半年間、舞の心を知ってか知らずか、豪のいびりはとどまるどころか、エスカレートするばかり。
あ~~~あ、舞ちゃ~~ん、どうすればいいのよ……。
今日も節約のために手弁当とマイボトルを持参し、颯爽と出社した……つもりだった。まずは、制服に着替えるために更衣室に向かう。
すると……いつものように、あの声がする……
ああ~~この声、何度も聞いてるから斑鳩豪だってすぐわかるのよっ!
逃げたい~~~~! もう、たった今ここから逃げ出したい~~~!
「ねえ?」
聞こえないふりをしようか。
「ちょっと、君だよ」
仕方なく振り返る。
「えっ、私ですか」
「君しかいないでしょ、八雲君。若いのに耳が遠いいのかな?」
と語尾を上げて発音するのも気に食わない。
余計なお世話だ。と振り向く。ねちっこい視線が上から下まで舐め回す。その眼はぐるりと一周し、顔のあたりでぴたりと止まった。
なに、今度は顔のこと。
「そんなダサい服装で会社に来られちゃ、わが社の品位が下がっちゃうよ~~。それにそのメイク、どうやったらそんな顔に仕上がるのかなあ。逆にすごいや!」
「斑鳩(いかる)課長、そんなことをおっしゃられても……私は……これで精いっぱいやってるんですっ」
「へえ、それでもちゃんとメイクしてるの?」
「はい……?」
「給料が安いから化粧品を買うお金もないってこと? わが社に嫌味を言ってるわけじゃないよね。それとも僕に? 若いのに、おばさんみたいだよ!」
ぐっと怒りを飲み込む。もう爆発しそう。助けて。
あんただって二十台でしょ。若いのになんていうけど、大して年齢変わらじゃない! 私だってかわいいといわれる女優の写真をスマホでチェックしたり、化粧品店で恥を忍んでマネキンになり顔中ぬったくられてもじっと座って、努力してるんだよお。社長の御曹司だからってこんな悪態許されるの!
と言えたらどんなにすっきりすることか。だからこれは心の声だ……。
「はあ……」と声が出てしまった。
「あれ、何か不満でもあるの。口が曲がってるなあ。受付に座るんだから、もっといい表情をしてもらわなきゃ。そしてにこやかにね」
「そうですけど、元々こういう顔なんですよっ、うう……うう……」
みじめ~~。
怒りのボルテージが上がってきた。どうしよう、どこまで耐えられるか。顔が赤くなってきたのが自分でもわかる。
「おやおや、まるで茹蛸みたいだな。益々不細工になるぞ」
「そんな……ああ……いくらなんでも言いすぎです!」
ああ……私の女子としての誇りがずたずたに壊されていく~~~。哀しいよお。
「僕は正直に君の欠点を指摘してあげてるんだ。ありがたいと思ってくれなきゃなあ」
「もう、私無理です!」
「無理とは?」
今に至っても、ちっとも理解してない。女の気持ちが全くわからない。
この馬鹿~~~、御曹司~~~、死んじまえ~~~。
ということが度々繰り返され、もうこれ以上この会社に通うことは精神的にも肉体的にも限界だ、と自分で判断して退社することにした。せっかく就職が決まり喜んでいた親には黙っている。御曹司にいびられたという理由はどうせ正当化されないだろうと、結局自己都合ということになった。
さらにその気持ちに追い打ちをかけるように、最後の日に、入り口のソファに悠然と座る猪狩から声をかけられた。
「何だもう退社しちゃうのか。いじめがいのない奴だ」
「そんな、いびっていたことを認めるんですね!」
「お~っと訴えるなんて言わないでよ。新しい職を見つけようって魂胆だろうけど、このご時世君、なかなか次は見つけられないだろうね」
「見つけてみせますぅ!」
もう今に見てろよ猪狩!
「せいぜい頑張れよ~~。ああ、どうしても見つからなかったら、僕に頼めばまたこの会社に戻れるかもね。だって、僕社長の息子だからな、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」
「……ひどい……」
斑鳩の思惑通り顔は真っ赤になり、目には涙があふれ……。会社を後にした。
なりふり構わず大きな紙袋を下げ、歩く。あまりの形相に道行く人が振り向くが、仕方がない。
泣き寝入りかっ、ひどい、ひどい、ひどすぎる。この敵はいつかきっと取ってやる。でもどうやって、私のようにお嬢様でもなく対等に渡り合うこともできないこの身で、どうやってあの男に仕返しができるのだ。
しばらく途方に暮れていた。
だが、時間というのはありがたいもの。数日間家にこもってぼうっとしていると、無性にやる気がわいてきた。このままではいけない。絶対に次の就職先はもっとまともなところにしなければ、そして街で会ったらあいつをぎゃふんといわせるんだ、と固く心に誓い、お風呂で体を磨くのだった。
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