第42話 激情

 火傷の後のないノアの顔と、元気なフィーネの姿に、王都の使用人たちは一様に驚いていた。


「フィーネの病は完治した。彼女は長生きする予定だ。俺はこれから、魔塔へ行く。くれぐれもフィーネが一人で外出しないように見張っていてくれ」

「私はずいぶん信用がないのですね」

 ノアはフィーネの不平をさらりと聞き流す。


「それからフィーネは特異体質で、警戒されると魔力の類がきかないときがある。何か無茶をしそうになったら、物理的に閉じ込めておいてくれ」

「承知いたしました」

 いち早く驚きの状況から立ち直ったフェルナンが答える。


「ええ! ノア様? あんまりです」

 驚くフィーネをよそに、ノアはひとり魔塔へ向かった。


 ◇


 王都はエリクサーが開発されたということで、にぎわっていた。開発者であるユルゲン・ノームがたたえられている。

「あのバカが」

 ノアは悪態をつきながら、魔塔の入り口をいつものように通り抜けようとした。


「お待ちください! 身分を証明できるものをお持ちですか」

 魔塔を警備する騎士に止められた。こんなことははじめてだ。


 いつもはぞろりとしたローブ姿だが、今日はシャツにズボンだ。とはいっても仕立てのよいシルクである。


 ノアは魔法による認証で身分のあかしを立てた。

「え? シュタイン閣下ですか?」

「そうだが?」


 ノアはフィーネのせいで、自分の顔がもとに戻ってしまったことを思い出す。怒りのあまりそのまま突っ走ってきてしまった。


 この顔では魔塔の者は誰もノアと気づかないだろう。

 だが、今はそれに構わず、ずんずんと魔塔のユルゲンがいる研究室に向かう。


 奥に進むにつれ、人が増え、あたりが騒然としてきた。

 そして、なぜか憲兵たちがぞろぞろといる。人垣の中にエドモンドの姿が見えた。

 中心にいるのはユルゲンだった。一足早くエドモンドがユルゲンを捕まえたようだ。


 そして、ノアはユルゲンを見つけたとたん走った。

 このすきを逃すわけにいかない。でなければ、ユルゲンは収監され手出しできなくなる。

 憲兵が気づきノアを止めようとする。しかし、風の魔法を纏ったノアを捕まえることはできない。


「ユルゲン、貴様、よくもデータを盗んだな!」

 叫んだ途端、ノアの拳がさく裂し、ユルゲンは吹き飛び、したたかに壁にたたきつけられた。


 それと同時に風の魔法も解け、ノアはその場で憲兵たちに羽交い絞めにされる。


「お、お前、ノアか? ノアだよな?」


 火傷のあとの消えたノアの顔に驚いたようにエドモンドが言う。彼は幼馴染なので、ノアの傷のない顔を覚えていたのだ。


「エド、俺は、そいつを殴り足りないのですが?」

 ノアは怒り心頭だ。


「ちょっと待て、ノア。それでお前の大切な人は助かったのか」

「はい、ギリギリのところで」

 ほっとしたようにエドモンドは息をつく。


「それはよかった。こいつは今から拘留するところだ。お前がさっさと自領に戻ってしまったから、証拠を集めるのに手間取った。せいぜい恩に着ろよ。それから、少し頭をひやせ」

「殿下、じゅうぶん冷えています」

 ノアがこたえると、エドモンドがノアを離すように憲兵に指示を出した。


「僕は無実だ! 言いがかりです。ノア・シュタインは僕にいわれのない暴行を働きました」

 その瞬間ユルゲンが叫んだので、ノアは再び彼に向っていき、思い切り蹴りあげたので、今度こそ憲兵たちに取り押さえられた。


 エドモンドは激昂する友人を前に、処置なしとばかりに頭を抱える。


「気持ちはわかるが、これから取り調べののち、裁判なんだ。いちいち、こいつの挑発にのらないでくれ。頼むから憲兵たちを魔法で吹き飛ばさないでくれよ」

 エドモンドがため息をついた。



 結局ノアも、「頭を冷やせ」ということで王宮内に拘留されることになった。聴取を受け一晩泊まる。周りは同情的でそれなりに居心地はよかった。


 翌朝エドモンド自身がノアを呼びに来た。

「おい、お迎えが来たぞ」

 ノアは解放されることとなった。


 今後は被害者として、裁判にも出廷しなければならない。研究以外に時間を取られるのは嫌だったが、ユルゲンを無罪放免になどできないので、全面的に協力することに決めた。


「ノア様、魔塔で暴れたってほんとうですか?」

 ノアがびっくりして顔を上げると、エドモンドの後ろから、フィーネとフェルナンが現れた。


「なんで、フィーネまで連れてきたんだ」

 渋い顔をしてフェルナンを見る。


「そんなフィーネ様を閉じ込めるだなんてできません」

 フェルナンが首をふる。


「しょうがないな」 

 緑の瞳をきらめかせるフィーネに、ノアは目を移す。

「それで、ノア様は何をして捕まったのですか? もしかして王都に来るときいっていた気に入らない人をなぐっちゃったんですか?」

 フィーネが真剣な表情で聞いてくる。


「まあ、そんなようなものだ」

「優しいノア様がそんなに怒るだなんて、その方いったい何をしたのですか?」

「エリクサーのデータを盗まれた。そのうえ、不完全なものを先に発表された」

「ええ! それはひどすぎます」

「本当にひどい目にあった。本来なら、あそこまで追い詰められずに、お前を治せたものを制裁を下しておいた」


「物理的に制裁を下して、捕まってしまったんですね。確かに、それは許せません。どうして私も誘ってくださらなかったのですか? お手伝いしましたのに」

 フィーネが少し悔しそうに言う。


「誘うわけがないだろう? そのうち裁判になるから、俺はしばらく王都にいることになるだろう」

 ノアは自領を愛しているから、早く帰りたかった。

 裁判が始まるとそちらに時間を取られ、研究も滞るし、元気になったフィーネの相手もしてやれない。非常に残念だ。


「それで、ノア様は本物のエリクサーは発表するのですか」

「近々発表するつもりだ。ユルゲンの作った中途半端な代物が幅を利かせては困るからな。だが、素材が非常に手に入りにくい。一般市民に広がるまでにはいろいろな障害があるだろう」

 ノアの言葉にフィーネは神妙に頷く。


「そうですか。それでノア様。話は変わりますが、私はこれから実家に行こうかと思います。私にも決着をつけたい相手がいるので」


 フィーネがきっぱりと言い放つ。健康を取り戻した彼女はずいぶん行動的なようだ。

「わかった。俺もついていこう」

「お疲れではないですか? 私一人でも大丈夫です。ノア様の分も文句を言ってきます」

 フィーネらしい提案にノアは笑った。


「お前は怒るときも穏やかなんだな」

「はい? 私、ものすごく怒っていますよ? どこが穏やかなんですか。ノア様は、ふんだりけったりではないですか。うちの実家には死に損ないの娘を玄関先に捨てていかれるし、研究は盗まれるし、私、許せません」

 フィーネは怒っている姿も魅力的だと思った。それにフィーネを送り込んでくれたことには逆に感謝している。


「フィーネ、まずは自分の怒りぶつけてこい」

 彼女の思う通りにさせてやりたかった。


「フェルナン。馬車をハウゼン邸へ向かわせろ」

 フィーネに手を貸し、共に馬車に乗る。


「えっと、それが、ノア様、ハウゼン家なのですが、すでに没落しているようです」

 フェルナンの言葉にノアはなるほど思ったが、フィーネは衝撃を受けていた。





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