第36話 魔塔 蠢く
ついにユルゲンは、ノアの研究室に出入りしている男性魔導士の弱みを握った。
その男、ヨアヒムはもともとノアをよく思っていなかったようで、すぐにユルゲン側に寝返る。
「私より五年も遅く魔塔にやって来たのに、あっという間に頂点に立った。学友で幼馴染でもあるエドモンド殿下の後押しもあったらしい。立派な研究室、潤沢な資金さえあれば、だれも功績をあげられる。私にも家門の力と王家とのコネさえあれば」
ヨアヒムはそう言った。ユルゲンも男の言うことには半分同意だが、ヨアヒムは才能豊かとはいいがたい。この男にコネや資金があったとしても成功することはないだろう。
おりしもユルゲンはノアが王都に出没したという噂を聞いた。
ユルゲンはさっそく男を魔塔でもっとも人気のない裏庭に呼び出す。
二人は四阿に腰かけた。
「ノアが最近ここに帰ってきたようですね。何を研究していたか知っていますか?」
ユルゲンは丁寧に尋ねる。いちおう相手は高位貴族だ。
「画期的な移動方法を研究中とのことだが、詳しくはわからない」
所詮はその程度の男。
研究員と言ってもノアの研究室では末端の存在だ。
だが、ヨアヒムがノアの研究室に出入りできるというのは、ユルゲンにとってありがたい話だ。
「それで彼は今研究室にいるのですか?」
探りを入れる。
「いや、つい最近までいたが、自領に帰った」
辺境の領から王都までは通常往復約二か月かかる。馬を頻繁に替え夜を徹して駆けてもその半分はかかるはずだ。
「ならば、僕をノアの研究室に入れてくれませんか?」
にっこり微笑んで言うユルゲンの言葉に、男は目をむいた。
「馬鹿な! そんなことをすれば私は首になる。確かに協力するとは言ったが、それだけはできない」
ヨアヒムが首をふる。
「なら、あなたがノアの研究データを破棄、もしくは改ざんして来てください」
「何だって? 断る! 私の研究者としての人生が終わってしまう。悪い噂やスキャンダルを探せと言うならまだしも、他人の研究に手を付けるのはご法度だ」
男は驚いたように目を見開いた。
「あなたには断れない。伯爵家に入婿したのに女がいたとはね。知られたらどうするんです? 大丈夫です。あなたはうっかりノアの研究室のロックを開けてしまっただけ。後は僕がやる」
ユルゲンは自信満々に言い放った。
「そんな言い訳が通用するわけないだろう?」
真っ青な顔でヨアヒムは言った。実に気の小さい男だ。
ノアの研究データの改ざんや、破棄は今に始まったことではない。さかのぼれば、学生時代にもユルゲンは数度手染めている。
しかし、ユルゲンが捕まったことは一度もない。彼のやり口が巧妙だということもあるが、ノアは研究馬鹿で犯人を見つけ出す手間や時間を惜しみ、すべての時間を研究に注ぎ込む。
残念ながら、魔塔に入ってからは警備が厳重でなかなか彼の研究に触れることができなかった。せいぜい社交の場でさりげなく彼の悪口を流すのが関の山。
表面上は平等だった学生時代と違い、今のノアは遥か高みにいる。
だが、今回は内通者も見つかったし、きっとうまくいく。
◇◇◇
王都から戻り、領地の研究棟でノアは再び研究に没頭した。
もちろん、王都でもフィーネと遊んでばかりいたのではない。
魔塔で研究データを確認し、コネと財力にものをいわせ希少なアイテムも確保した。実験も行い、魔塔にしかない文献や古代の魔導書も当たった。
自分ならば、フィーネに奇跡を起こせるかもしれない。そんな思いが、彼を突き動かしていた。寝食も忘れ研究に没頭する。
そこへノックの音が響いた。
ロイドが茶と軽食と、手紙を三通持って立っている。
いつも感情を表に出さない彼の顔が曇っていた。
ノアは紅茶を飲みながら、手紙をあらためる。一通目はミュゲ宛、二通目はノア宛、そして三通目はフィーネ宛だった。
ノア宛とフィーネ宛の手紙は早馬で来たので、出した日付にずれはあるが、ほぼ同時に三通は届いたらしい。
「この家にミュゲはいないからな」
ノアはそう言いて、差出人がマギー・ハウゼンになっている手紙の封を切る。
手紙の内容は、マギーが魔力過多症を発症したため抑制剤に金がかかり、家計がひっ迫しているとのことだった。すぐさま資金援助が欲しいとのこと。要は金の無心だ。
ノアはあきれるが、ロイドにはフィーネに知らせないようにと命じる。
次にノア宛のドノバンからの手紙を読む。
内容はミュゲとフィーネの入れ替わりのわび状で、いかなる罰も受けるというものだった。それから、三女の魔力過多症のことにも触れていた。そのせいでフィーネは魔力枯渇症になってしまったのではないかとワーマインの推測が書かれている。
ハウゼン家はもう間もなく没落し、爵位も返上するので、次女の骨は拾ってほしいという。
最後にミュゲ宛の手紙は、長女ミュゲが無理やり三女に書かせたもので破り捨ててほしいと詫びていた。
「なんという手前勝手なことを」
ノアは怒りのあまり手紙をぎゅっと握りしめた。
もう一通フィーネ宛の手紙があるそれもドノバンからだ。
一瞬封を切ろうとも思ったが、私信である。
迷った末、ノアはしばらく預かることにした。
フィーネの精神状態に良くない内容だったら困ると判断したからだ。今の彼女に生きる気力を失ってほしくはなかった。
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