第37話 それぞれの思い
ノアが領地で研究にいそしんでいるころ、王都の魔塔では、ユルゲンが暗躍していた。
ユルゲンは協力者の男に、ノアの研究室のドアのロックを無理やり外させた。
もちろんユルゲンは、自分がいた痕跡を残さない魔導具であるマントを身に着けている。
これでこの研究室にどのような仕掛けがあっても感知される危険はない。
皮肉なことに、このマントはノアのアイデアから生まれたものだ。だが、彼が実用化を拒んだため、他の者が作り出した。
自分のアイデアで自分の首を絞めることになろうとは思いもしなかっただろう。ユルゲンの口元が歪む。
ユルゲンは意気揚々とノアの机に近付き、引き出しを開け、データを引きずり出す。ノアは研究に関しては几帳面なので、どこに何があるのか非常にわかりやすい。
彼の言によると、研究には事故がつきもの。自分がいつ死んでも誰かが引き継げるようにとのことだ。つくづくおめでたく、思いあがった人間だと思った。
(命がけで研究だと? 馬鹿げている)
ユルゲンにとって魔塔での研究は、名誉であり、出世への近道だ。
片っ端から、目を通したが、ノアは学生時代よりもずっと高度な研究をしていた。
認めたくはなかったが、彼の研究していることの半分もユルゲンには理解できない。
それがどうしようもなく腹立たしく、ユルゲンはデータを改ざんし、適当に選んだものを捨てていく。
ノアを天才とは認めたくはなかった。ましてや地道な努力でのし上がってきたなど、さらに認めがたい。
その中で、唯一完成間近とわかる研究があり、ユルゲンの目を引いた。
「まさか? そんなバカな……これは伝説上の薬。あいつは神にでもなったつもりか?」
処方を仔細に見ると、今ある薬より数段効能が上のものができそうだ。
ただ使っている素材に問題があり、その多くが毒である。そのため成分を安定させるのがむずかしい。ここさえ、クリアすれば作れるかもしれない。
自分なら、このデータを生かせる。ユルゲンはそう確信した。
この薬が完成すれば、魔法伯の称号を得るのを夢ではない。ユルゲンは迷いなく、ノアの血のにじむような努力の結晶である成果をやすやすと掠め取った。
そしてこの研究室に入ってから気になっているのが、鍵付きの棚だ。術式の全くわからない高等魔術がかかっていて、ユルゲンには歯が立たない。
盗むことができないのならば、破壊してしまいたかったが、それすら不可能だった。
そこまでしてまで守るほど貴重なアイテムが入っているということだ。
しかし、迷っている時間はない。ノアの研究室に忍び込んだことがばれたら、魔塔を辞めさせられるどころでは済まない。
それこそ身の破滅だ。未練を感じつつもユルゲンはノアの研究室を後にした。
「おい、遅かったではないか。ばれたらどうする?」
手引きをした男は真っ青な顔で震えていた。滑稽である。
「ふふふ、大丈夫ですよ。それなりの成果はありましたから」
にやりと笑う。
「まさか、貴様、研究データを盗ん――」
ユルゲンが男の口をふさぐ。
「おやおや、人聞きの悪い。僕にそんな口をいいのですか?」
「なんてやつだ。私は何も知らん」
男は走り去っていった。その瞳に侮蔑の色があるように見えたが、きっと気のせいだろう。あの男も一蓮托生だ。
ノアは幸い辺境にある自領に帰っている。
ユルゲンが王都で早期に完成させ発表すれば、魔塔での成功は約束されたも当然だ。
データはすべてユルゲンが持っている。ノア・シュタインがいくら盗まれた主張しても誰も信じる者はいないだろう。検証すべきデータはユルゲンの手の内にあるのだから。
◇◇◇
王都から戻ってしばらくすると、フィーネは寝込む日が多くなっていった。
ノアはここのところずっと忙しくしていて、あまり長い時間顔を合わせることもなかった。
フィーネが寝込んいるところにポーションを届けに来て、体調を確認すると、彼はすぐに研究棟にこもってしまう。
フィーネは最後の時をもう少し彼と一緒に過ごしたいと思っていた。
その日も彼はすぐにフィーネの部屋を去ろうとする。
フィーネはそんな彼の背中に問いかけた。
「ノア様、私は魔力枯渇症になるまで、いったい何に魔力をつかって何をしていたのでしょう? 私の魔力は癒しの魔力なのでしょうか?」
ずっと疑問に思っていたことだ。
「少し違うと思うが、まだはっきりと結論はでていない」
「私の魔法の正体はわからないのですか」
研究はあまり進んでいないようで、フィーネはがっかりした。
ノアはそんなフィーネをみて、咳払いする。
「お前の魔力は特殊で未知の部分がまだまだ多いのだ」
「ノア様、そのデータを見せてもらうことは可能でしょうか?」
「お前に? データの見方はわかるのか」
「わかりませんが、少しでも自分のことが知りたいのです」
ノアはしばらく考えているようだった。やがておもむろに口を開く。
「わかった。そのうちまとめておこう」
フィーネは、体調がよく起きていられるときは魔導の勉強をすることにした。
わからないところは多少魔導の知識のあるロイドに質問したり、書庫の文献をあさったりする。
その他は、ほぼベッドの中で、過ごす日が増えていく。小康状態がすぎると、病気は見る間に悪化していった。
ノアは研究に没頭すると何日も実験棟こもって出てこないことがあると、以前から屋敷の者たちに聞いていた。
最期の時に会えないのは少し残念だと思うが、研究は彼にとってなくてはならないものなのだろう。それにこの国にとっても彼の研究はなくてはならいものだ。
フィーネは少しずつ彼と過ごしてきた楽しかった数か月を思い出した。
一緒に食事をし、散歩をし、ピクニックをしてボート遊びをする。
それから、王都での豪遊、植物園での愉快な思い出。
「ああ、最期にノア様ともう一度、ボート遊びしたかったな」
フィーネが口から、ぽつりと本音が零れる。
「フィーネ様、そんなことをおっしゃらないでください。きっとまたボートで遊べますよ」
ベッドのそばにいるマーサがそんな慰めを言ってくれる。
「ふふふ、そうですね。今日はそんな夢を見られたらいいなあ。
ここへ来た時には死ぬときには『死期を悟ったら、猫のように消えます』だなんていっていたのに、今はこうして皆に見守られて、ぬくぬくとベッドに横になっている。私は幸せ者です」
フィーネは笑う。
「フィーネ様、そんなことおっしゃらないでください」
「そうですよ。フィーネ様、ノア様がきっとどうにかしてくださいます」
フィーネはマーサの涙を見て目を見開いた。ロイドまで眼鏡をはずして涙を拭いている。
「やだ。マーサさん、なかないでください。ロイドさんまで」
そんな彼らを見てフィーネの方が慌ててしまう。
「マーサさんではありませんよ。何度言ったらわかるのですか。フィーネ様」
「そうですよ。私のことはロイドとお呼びください、あなたは伯爵家のご令嬢で、ご主人様のとても大切な客人なのですから」
「ありがとうございます。ここに来る前は、私が死ぬ前に泣いてくれる人がいるなんて、思いもよらなかった……」
フィーネの瞳から、ぽたりと一粒の涙が零れ落ちた。
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