第35話 舞踏会 明暗

 ノアが、がしっとフィーネの手を取る。

「フィーネ走れるか」

「ちょっとなら。でもごめんなさい。やっぱり、自信がありません!」

 そう答えるとふわりと体が浮いた。ノアに抱き上げられたのだ。

 ノアはごった返す会場を走り抜ける。


「ちょっと待ちなさいよ!」

 ミュゲが大声を出し、追いかけてくるお陰で、とても目立ってしまった。

 そこへ紳士が割り込んだ。

「お嬢様。どうなさいましたか?」

 そうミュゲに声をかけたのはエドだった。ミュゲは彼を第二王子とも気づかずに上から下まで、ぶしつけな視線を移動させる。

「いいわ。踊ってあげる」

 そんなミュゲの声が聞こえてきた。

 もうフィーネには興味失ったようだ。もともと確信はなかったのだろう。


「あの、ノア様、大丈夫みたいです。エド様が助けてくださいました」

「そのようだな。強引に誘ったんだ。それくらいはしてもらわないとな」

 二人は庭園まで逃げてきた。


「ノア様、もう大丈夫です。おろしてください」

 フィーネは恥ずかしくなって、ノアに頼む。

「ああ、そうだな。お前は軽く気付かなかった」

 そう言ってノアがフィーネをおろす。


「お姉さま、相変わらず遊んでいるのですね」

 ぽつりとフィーネが言う。

「ふん、どうしようもない奴だ。それにギラギラとしていて、研究棟の裏に生える毒キノコようだ」

 ノアの口の悪さにフィーネは噴き出してしまった。


「ふふふ、ノア様は変わっています。姉は殿方に持てるのですよ」

 フィーネが笑いながら言う。


「しかし、あれでは縁談は決まらないだろう。妻には選ばれない」

「え?」

「男性側には選ぶ権利があるからな」

「まあ」

 フィーネはノアの辛辣な言葉を聞いて目を丸くした。しかし、ミュゲを擁護しようという気にはなれない。


「そんな事より、フィーネ、何か願いはないか? 舞踏会でしかできないこと」

 フィーネはノアを見上げる。


「ここなら、誰もいません。ノア様、仮面を外してください」

「ふん、別にお前の願いなら人がいても構わんが」

 そういってノアは仮面を外した。いつもの仏頂面が見える。


「よかった。ノア様の表情が見えないとなんだか別人のような気がして、不安で」

「変わっているな。それとも、この顔になれたのか」

 ぶっきらぼうな口調で聞いてくる。

「ふふ、私、ノア様のお顔大好きですよ。見ていると安心します」 

「なっ、何を言い出すんだ!」

 途端にノアは赤くなり、もう一度仮面をつけようとする。

「駄目ですよ。ノア様、まだお願いはあるんですから」

 フィーネはやんわりと彼を止めた。

「お前、すっかりわがままになったな」

 ノアの言葉にフィーネは、ころころと笑う。

「ノア様が、強欲になれっていたんじゃありませんか」

「強欲って、お前、それはちょっと違うぞ」

 あきれたようにフィーネを見る。

「私、せっかく舞踏会に来たので、もう一曲覚えたいんです。ダンスって楽しいんですね」


「わかった。では会場へ戻ろう」 

 ノアは仮面をつけずに、フィーネの手を引いて会場へ戻ろうとする。そんなことをすれば彼はさらし者になるだろう。彼はどこまでも人がよい。


「ノア様、違うんです。ここで教えてもらいたいんです」

「え?」

「私はノア様の足を踏んでしまうかもしれないので。それにほら、会場から曲がきこえてきているでしょ?」

 庭園から見える煌煌と明かりに照らされた会場からは、楽団の奏でる音楽が流れてくる。

「確かに。この曲でいいか?」

「はい、挑戦してみます」

 フィーネが頷く。


「そんな固くならなくていい。フィーネは、基本ができている。曲に合わせて体を揺らしていればいいんだよ」

「ええ? そんな簡単なものなのですか」

「お前が楽しいと感じることが大事だ」

「なるほどです」

 ノアがそういうのならばと、フィーネは素直に頷いた。

 その後、二人は夜の庭園で、ひっそりとダンスを楽しんだ。


 またフィーネの心にひとつ、彼との楽しい思い出が刻まれた。


 ◇◇◇


 ミュゲは明け方頃、家に帰りついた。

 狙いをつけた物腰の柔らかな品のよい男性には、さらりと逃げられてしまい、ミュゲは不機嫌だった。


 そのうえ会場にフィーネのような白金プラチナブロンドの女がいたから、絡んでやろうかと思ったが、こちらも長身の男に連れられ逃げられた。


「やっぱり、駄目ね。仮面舞踏会じゃあ」


 本来なら、メイドに湯あみの準備をさせるところだが、そのメイドが呼んでも来ないし、舞踏会に行ったのがばれると面倒だ。

 一応御者には口止めをしておいた。


 大した気晴らしにもならなかったと、ミュゲは着替え、鏡台に座り髪をくしけずる。


 するとその瞬間、ドンという腹に響くような破裂音がして、ミュゲの体は、爆風に投げ出された。


 一瞬気を失っていたのだろうか。

 目を覚ますと、部屋は半壊していた。ミュゲは呆然とする。

 ゆっくりと部屋の惨状に視線を巡らせると、ミュゲの横には血の付いたガラスの破片が飛び散っていた。


 ぽたりぽたりと床に血が落ちる。

 恐る恐る己の頬に手をやると、ぬるりとした感触がすると同時に鋭い痛みを感じた。

「痛っ! うそでしょ? これって……夢よね?」

 震える声でミュゲは呟く。


 ミュゲは昨晩、マギーが抑制剤を飲むのを見届けなかったのを思い出した。


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