第14話 フィーネのスローライフ1

 フィーネは研究棟から城に戻され、豪華な客室でのんびりと一日を過ごした。


 その後も時々何かの数値を測りに、あの研究棟に連れていかれるだけで、次の日もあくる日もやることが全くなく、フィーネにはおいしい食事と高価なポーションが与えられた。


 マーサとロイドが言うには、ノアは一度研究に没頭してしまうと、研究棟か出てこないということだ。


 ここへ来る前、実家にささやかな仕返しをして、世をはかなみながら野垂れ死にするシナリオしか思い描いていなかった。


 しかし、今は日がな一日世話をされ、何もやることがない。なんだか段々この贅沢な生活をむずがゆく感じるようになってきた。

 実家ではこれほど大切に扱われたことはないし、自分のことはすべて自分でやって来た。


 それに、よくよく考えると、ノアはハウゼン家の被害者のようなものだ。

 彼は家族の争いに巻き込まれ、ミュゲと偽ってフィーネを押し付けられている。

 そのうえ、フィーネを追い出さないということは、ハウゼン家の資金援助をするつもりなのだろう。


「ああ、私がノア様の魅力的な実験体でなければ……」


 そうは思うものの、今更実家への復讐を考えるには、ここでの生活は快適過ぎる。


 そしてミュゲは、こんな至れり尽くせりの生活が送れるとは露ほども思っていなかっただろう。

 それだけでも「ざまあ、見ろ」だと、自分に言い聞かせ、納得させるしかなかった。

「でも、やっぱり、もやっとするわ」

 フィーネは独り言ちた。


 ノアは実験体として、フィーネには価値があるというが、実際には研究棟に行っても、ノアの指示通りに測定機に手をかざすだけだ。


 ノアが数値を測りデータを取っている横で、フィーネはロイドの淹れた最高級のお茶を飲み、おいしいフィナンシェや生クリームののったシフォンケーキを楽しむ。


 フィーネからしてみれば家族は許せない存在であるが、ノアからすればフィーネもその家族も同じようなものだろう。よくよく考えてみれば、彼に家族への復讐を頼むなど筋近いもいいところだ。


 やはり、この好待遇は申し訳ないと思う。

 ノアも研究棟から帰ってこないことだし、高価なポーションのお陰で、すこぶる体調もいい。


 ほんの少し申し訳なく思ったフィーネは、引っ越しすることにした。

 幸いここには使われていない小屋がいくつかある。誰の手も煩わせることなく、一人暮らしをするのもいいかもしれない。


 ◇


「フィーネ様、なにゆえ、そちらへ?」

「そうですよ。どうか城にお戻りくださいませ」

 ロイドとマーサが慌てて止めたが、フィーネの覚悟は決まっていた。

「大丈夫です。どこに住んでもよいと、ノア様に許可を取っております。どうか私のことは気にしないでください。皆さんにあまりご迷惑おかけしたくないので」

 フィーネの偽りのない本音だった。


 ロイドが入れるお茶は最高においしいし、マーサも献身的に世話をしてくれた。そのおかげで今は家の周りだけなら散歩もできる。 


 しかし、彼らにも仕事があるのだから、いつまでも世話になっているわけには行かない。体が動くようになったので、フィーネは来るときに馬車から見えた小屋に引っ越すことにしたのだ。


 ノアのくれるポーションのお陰で、咳も吐血も減った。久しぶりに体が軽く感じる。

 

 フィーネは実家からもってきた少ない荷物をまとめて小屋にうつると、さっそく小屋の掃除を始めた。少し動いただけで息は上がるが、もともと体を動かすことは好きなので、気分が悪くなったり、吐血したりということもなかった。


 それに、小屋は長く使われていないと聞いていたが、きちんと管理されていて埃だらけということはなく、すぐに住環境は整った。


 面倒見がよく、世話好きな使用人たちが、新しいシーツやタオルを持ってきてくれた。

「わざわざすみません。ありがとうございます」

 ノアに雇われているという点では、彼らと同じ立場なので、フィーネは丁寧に礼を言う。


「フィーネ様、お食事はこちらにお運びしますね」

 そうは言われても、さすがに心苦しく感じる。


「いいえ、大丈夫です。本邸に食べに行きますから。本当に私のことは心配しないでください」

 こぢんまりとした木造の小屋は、城の豪華な客間よりずっと落ち着いた。

 窓からはさんさんと日が降り注ぎ、目の前の新緑が目に染みる。


 こんなふうに自由にひとりで暮らすことに憧れがあったのかもしれないと、フィーネは改めて実感した。


 肩にショールをはおり、広い庭を散策することにした。木の生い茂る小道を歩いていると、木の葉越しに柔らかい日差しがふりそそぎ、近くで鳥のさえずりが聞こえてきた。今度はパンくずをもって小鳥に餌をやろうとフィーネは計画した。


 ほんのりと水気を含む土との上をしばらく歩いていくと、ぱっと道が開け花畑が広がっていた。野生のヒヤシンスが群生している。その先にきらきらと輝く湖が見えた。

「すごい! 素晴らしいわ!」

 走り出したい衝動にかられたが、さすがにそれは苦しかったのであきらめた。


 湖畔まで行きたかったが、ここらだと距離がある。フィーネの体力では無理だ。のんびりと美しい景色を眺めた後、フィーネは群生するヒヤシンスを摘んで小屋に帰り、早速部屋に飾りつけた。


 屋敷の周りにはフィーネの知らない様々な植物があった。ふと野の花の名前を知りたいと思う。

 大きな屋敷だし、書庫もあるだろう。植物図鑑をさがしてみようかと思いついた。

 明日、ロイドに聞いてみよう。フィーネは心の中にそうメモをした。

「死ぬ前にこんな快適な生活が送れるなんて思ってもみなかったわ」


 フィーネはその晩、特に食欲も感じなかったので、その日は夕食をとらずに眠ることにした。 

 散歩して歩いたせいか、すっと深い眠りに落ちていった。

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