第13話 実験体として働きます

 ノアの後について本邸である古城を出ると、隣にある堅牢な石造りの建物に入った。どうやらそこが彼の研究室兼実験室のようだ。


「実験用の建物は、領主館とは別棟なのですね。不便ではないですか?」


 領主館は立派な城でとても大きく、健康なら探索を楽しみたいくらいだ。


 それなのにわざわざ外に研究棟を持っている意味がわからなかった。ノアなりのこだわりがあるのだろうか。


「実験中に事故があったら、家の者に被害が及ぶだろ。だから、研究棟は別にした」

 とてもまともなことを言ったので、フィーネは目を見開いた。


 やはり、噂はただの噂であって、彼はまともなのだろうかとチラリと思ったが、フィーネを実験体と呼んでいる時点で変人だと思いなおした。


 窓が小さく採光の少ない廊下をノアの後ろについて歩き実験室に入ると、品のよい執事がお茶の準備していた。実験室からは、明らかに浮いて見える白い清潔なクロスを敷いたティーテーブルがある。


「ロイド、下がっていいぞ」

 一礼して、ロイドと呼ばれた執事は下がる。


 壁一面に棚がしつらえてあり、フラスコやビーカー、ロートに水晶など、いろいろな器具が並べられている。その他、薬瓶や乾燥させた薬草が種別ごとに並べられていた。まるで店の倉庫のようだ。

 薬草独特の香りがするが、とりたてて不快なものではない。


「そこに座って」

 フィーネは何かが違うと思いながらも、ノアが指さすティーテーブルに腰かける。


「あの、私は被験体としてきたのですが。なぜ、お茶とお菓子があるのですか?」

 テーブルには湯気を立てる紅茶とおいしそうな焼き菓子が用意されている。


「ああ、準備に少し時間がかかるから、茶でも飲みながら待っていろ。お前の体に負担をかけて、実験前に倒れられたら困る」


「はい、お気遣いありがとうございます」

 実家でもされたことのないもてなしに、フィーネを目を瞬いた。


 口調はぶっきらぼうで、表情は動かないが、やはり優しい人なのだろうか、それともこれから過酷な実験が始まるのだろうかと、フィーネの心は揺れる。


 考えても答えは出ないので、フィーネは茶を飲むことにした。

 

 深い色合いの濃く淹れた紅茶の横にはクリームと砂糖が添えられている。

 たっぷりとクリームを入れて飲むと、コクがあってとてもおいしい。

「こんなおいしい紅茶は初めて飲みました」

 感心したようにフィーネが言う。


「ロイドはうちで紅茶を入れるのが一番うまいんだ。それから、コーヒーも」

 コーヒーは他国から最近入って来たものだ。ノアは意外に新しい物好きのなのかもしれないとフィーネは思った。


「ノア様はコーヒーも飲まれるのですか?」

「ああ」

 ノアは生返事をする。彼は実験用のワゴンの上に、慎重に水晶を設置しているところだった。


 集中しているようなので、フィーネはノアには構わず、おいしそうなマドレーヌを手に取る。生地はしっとりしていて、一口食べるとバターの芳醇味わいが口いっぱいに広がった。

「おいしい」

 紅茶を飲みながら、フィーネはほうっと息をつく。


 家では具合が悪くて休んでいると「さぼっている」だの、「親の注意が引きたいのか」など言われてきたが、ここでは実家よりも高価なポーションで治療までしてくれて、ゆっくりと静養させてくれた。


 さらに実験室には、極上のお茶においしい焼き菓子まで準備されている。至れり尽くせりだ。


(実験体、悪くないかも)

 フィーネは口元をほころばせた。


「おい、準備ができだぞ」

 ノアがごろごろとティーテーブルの前に実験用と思しき金属製のワゴンを押してきた。


「私は何をすればよいのですか?」

 フィーネは少し緊張を覚えた。


「水晶が三つ並んでいるだろう。左から順に手をかざしていってくれ」

「これ、魔力検査ですか? 私に魔力はありませんが」

 不思議そうにフィーネが首を傾げる。


「お前が受けたのは、国でやっている集団検査だろ?」

 この国では七歳になると、一律に魔力検査を受けることになっている。


「はい、その時魔力なしと判定されました」

「あれは簡易検査だ。すり抜けてしまう魔力もある」

「え?」

 フィーネは初めて聞く話に目を瞬いた。


「魔力がないのに。重度の魔力枯渇症などになるものか。いいからさっさと水晶に手をかざせ。俺の推測が正しいかどうか、見極めたい」

 不愛想で、黒髪はぼさぼさで、顔の左半分はケロイドで痛々しい状態だったが、フィーネはもう彼を恐ろしいとも醜いとも思わなかった。


「はい」

 素直に手をかざしていく。一つ目は反応なし、二つ目はわずかに光りが揺らいだ気がした。そして三つめは触れた瞬間スパークして慌てて手を放す。


「きゃあ、これ、なんですか?」 

 ノアは痛いことはしないと言ったのに、手にはほんのわずかにしびれが残った。


「やはりな。これは珍しい。お前は合格だ。実に興味深い」

「はい? 何に合格したのですか?」

 ノアが何を言っているのか、さっぱりわからない。


「俺の実験体としてだ。素晴らしい。研究のしがいがあるな。仕方がない。手元に置いておくために婚約してやる」

 ノアの無表情から紡がれる言葉に、フィーネは顔色を変えた。


「ええ! そんな! 私と婚約してしまったら、ミュゲと婚約することになります。実家に資金援助するつもりですか?」

 フィーネはがたりと椅子から立ち上がる。 


「それは実家への復讐のために、俺とは婚約しないということか?」

 無表情でノアが問う。


「もちろん実家には資金援助してほしくはないのです! ですが、少し違う気がします……」

 復讐とは全く別の次元で抵抗があるのだ。


「思い人でもいるのか」

「いません!」

 即答だった。フィーネはほとんど外に出ることがなかったので、男性との出会いもない。


「ではどうして? 俺のことを生理的に受け付けないとか」

 フィーネはノアの言葉に目をむいた。


「そんな失礼なこと思っていません! 私自身ではなく、姉のミュゲとして、あなたと婚約するのが嫌なんです。それだけは絶対に嫌です!」

「なるほど」

 ノアが考え深げに、顎に手をやる。


「それで、お前の姉は入れ替わって、どうするつもりだったんだ?」

「さあ、私が死んでしまえば問題ないと思っていたのではないですか?」

「お前の兄姉は馬鹿なのか?」

 ノアの言葉は率直だ。

「少なくとも、私よりは利口かもしれません」

 フィーネが真面目腐って答えると、ノアが噴き出し腹を抱えて笑いだした。


「お前、面白いやつだな」

 ひとしきり笑いの発作が収まるとノアがそんなことを言う。

「ええ? そこ、笑うところですか? 面白いところなんてどこにもないですよ?」

 フィーネはほんの少し気を悪くした。


 その後いくつかの測定機にかけられた後、フィーネはノアに解放された。

「これは、いったい何の実験ですか?」

 お茶を飲んで、椅子にすわったまま測定機にかけられただけなので、何の負担もなかった。


「今はまだ推測の域を出ない。はっきりわかったら伝える」

 ノアは慎重なようだ。しかし、フィーネにしてもノアの研究にそれほど興味がなかった。


 そんな事より気になるのはこれからの住みかだ。

「ノア様、私は実験体の身なので、いつまでもあのような豪華なゲストルームにいるわけにはいきません。お部屋を移っても構いませんか?」


「ああ、好きなところに移るといい。部屋はいくつも空いている」

 そう言って彼は測定結果に見入っていて、フィーネを振り返ることはなかった。

 ノアは、慣れた様子で棚から、乾燥させた薬草を取り出し、ビーカーをセットし始めた。心ここにあらずといった感じだ。研究に集中しているのだろう。


 フィーネは彼の邪魔にならないように実験室を後にした。

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