第2話 辺境領にて
魔塔を去って四か月後ーー。
ノアは辺境にある公爵領で魔導の研究にいそしんでいた。報奨金のお陰で研究施設の設備はほぼ完ぺきといってよかった。
そして研究につかれると、彼は領主館の敷地にある研究棟から出て、森林に囲まれた湖のほとりを散歩する。
ここではほとんど人目もないので、仮面をつけたり、フードを目深にかぶったりする必要もない。
ノアは素肌に風をあび、湖を渡る水気を含んだ空気と新緑の香りを吸い込んだ。
鏡のような湖面に映る美しい森林と青い空を眺めながら、温かい日差しの中で、食べる昼食は格別だ。
ガーデンテーブルには真っ白なクロスが敷かれていて、カモ肉や野菜、卵などがはさまれたサンドイッチが所狭しと並べられていた。ノアはとりわけカモ肉が好物で、そればかり食べる。
「まあ、ノア様、野菜も食べなければいけませんよ」
ノアの前に影が差し、鈴を転がすような声がする。それと同時にまろやかで深みのあるコーヒーの香りが漂ってきた。
「ノア様の左隣に座ってもいいですか?」
淹れたての熱いコーヒーの入ったカップを差し出すのは、日に透けるプラチナブランドの見目麗しい令嬢だ。
彼女はノアが辺境の領に戻った二か月後に単身ここへやってきた。
投資に失敗した貴族家が資金援助欲しさのために、婚約者にどうかと娘を押し付けてきたのだ。
いつもなら追い返すのだが、彼女には深い事情があり、ノアは仕方なく手元に置いている。
「勝手にどこにでも座ればよいだろう」
ぶっきらぼうにこたえるノアに、彼女は笑いかける。
「ノア様の左半分はとってもきれいなお顔立ちなので癒されます」
「お前、失礼な奴だな」
ノアの右半身は顔を含めて焼けただれた痕があり、引きつれていて正視に耐えないほど醜かった。左半分だけとはいえ、顔を褒められたのは子供の時以来だ。
「気にしないでください。私、余命半年ですから、気の毒な娘だと思って捨ておいてください」
悪びれもせず、彼女は明るく軽やかに笑う。
「まったくあきれたやつだ。なにかというと自分の余命を逆手にとって」
ノアがぶつぶつ文句を言う。
驚いたことに、この娘は病身であるにも関わらず、王都から辺境にある公爵領まで、ひと月もかけて馬車でやって来たのだ。追い返したりしたら、弱って帰路で死ぬだろう。
「それはノア様が、お優しいからですよ。だから私のようなものに足元を見られるのです。ああ、そういえば、もう余命半年もないかもしれませんね。ふふふ、ここの暮らしが穏やかですっかり忘れていましたけれど」
彼女はそう言って、スコーンを口にして、クリームがたっぷりと入った濃く淹れた紅茶を飲む。
「優しかったら、魔導の研究者などしていないし、成功も収めていない。そもそもお前は婚約者ではなく、俺の実験体だからな」
不愛想な表情をうかべ、ノアが答える。
「はい。その実験体の私は、おいしいアップルパイが食べたいです。アツアツのアップルパイの上にひんやりしたアイスクリームが乗っていたら、なおいいです」
「くっ、仕方がない。もうすぐ死ぬ気の毒な奴だから、お前の夢をかなえてやろう」
ノアが不本意そうに言う。
「嬉しいです。ノア様。あなたのそういうところ、大好きです」
そういって彼女は陽だまりのように明るく笑った。
「ぐっ!」
ぱっとフードで顔を隠して、ノアは黙り込む。
昼食後、二人はガーデンテーブルに並んで座り、輝く湖面を飽くことなく眺めた。
領主館のポーチに捨てられた貴族令嬢は、不思議な女性だった。
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