第3話 俺が君を守ろうじゃないか!


「とうちゃーく!ポールホーン。ポールホーン」


船内に響く到着を知らせる声。目的の場所に辿りついたタスクは他の乗客と一緒になって、出口へと向かった。


(いやー、心置きなく船に乗るってのも良いものだなぁ、安心して寝られる。スッキリスッキリ)


タスクはヤークを訪れる際は怪しい船を利用するか、貨物船に乗り込むのが常だった。というのも、ヤークは海に囲まれた島国。国へ入るのも国から出るのも金が掛かりすぎて、とても旅人の持ち金では往復分を賄えないことが殆どだからだ。だが、今回は、ヤークでの活躍もあり、呑み屋のシュウ婆さんの計らいで、宿泊付きの隣国遊覧船をタダで利用させてもらった、という訳である。タスクはこの今までに無い豪華な船旅に大変満足していた。

そして船から降り、ポールホーンの港にやっと足をつけると、一つ大きく伸びをした。


「くぅ〜!!っはあ…」


やはり外は空気が新鮮で気持ちがいい。そんな新しい土地の空気を全力で体感していた束の間、旅人の顔面目掛けて、一枚の古びた紙が海風によってぶつかってきた。


「ぶっ!!ちょ、何!?」


旅人は慌てて顔面に張り付いた紙を引っ剥がした。なんとも幸先が悪い。指名手配書だ。


-イツキ・サカキ

 クレイラグル王妃殺害容疑。

特徴:東国出身の顔立ち。中肉中背。少女を連れていると目撃情報あり。上級魔法使い。

生死は問わない。見つけたものには賞金…-


そこまで見て、旅人はその紙をぐしゃぐしゃに握りつぶして、海に投げた。全く、新しい土地で指名手配犯の貼り紙なんて縁起が悪い。長居はしないで、さっさと次の国に向かってしまおうと思った時だった。


「あああああああ!!!お前!!!」


青い空を見上げる最中、突然響いた怒号に驚けば、見覚えのある男が近づいてくるのが見えた。黒に近い濃紺の髪を風に揺らし、薄く灰色がかった青い目がきつく睨んでくる。


「あ、あの時の。えっと…リカさん?」


改めて見ると大きいものだなあ、とタスクは彼を見上げた。すると、彼は腰をかがめ、ずいっと顔を寄せてくる。


「ルな!ル!」


「…お久しぶりです。ルナさん」


「違う!ルカだ!ルカ!ル!!カ!!!」


「知ってますよ。冗談です」


タスクはハイハイと適当に答えた。そんな態度に腹を立てたのか、ルカはしかめっ面でプンプンいわせている。


「何だと!?お前ってやつは…。それにしても偶然だな。そういや、ポールホーンに向かうって言ってたもんな」


「…ええまあ。ルカさんもこっちだったんですね」


嫌な人に会ってしまった。本当に偶然かと疑いたくなったが、そんなの確かめるよりも、いち早くこの場から離れたい。そんな不機嫌丸出しのタスクに、ルカは聞いてもいないのに、自分のことを話してきた。


「ああ、俺は2日前にこっちに来たんだ。大きい旅行会社があるって聞いたからのんびり世界一周旅行でもしてやろうかと考えててね。ははは」


「へぇ、良いですね。それじゃ。ぐえっ!」


踵を返した瞬間、フードを後ろに引っ張られた。おかげで首が締まって危うく窒息するところだった。危ない危ない。何するんだこの野郎と、ルカを恨めしく睨めば、彼は爽やかな笑みを浮かべている。憎たらしいほど楽しそうだ。


「まぁ待てよ、お前、今暇?暇だろ?暇だよね。ていうか長旅で疲れてるだろう?一緒に飯でもどうだ?奢るよ。金はたっぷりあるんだ。あそこのレストラン予約してるから早速行こうじゃないか」


「結構です!!ていうか、あんな高級そうな店に汚い旅人が入れるわけないじゃないですか!!」


ルカが指を指した方向を見てみれば大理石の柱が印象的な建物が見える。冗談じゃない。あんな所で食べるご飯なんて食べた気がしない。


「大丈夫だ。俺の格好を見ろ。この間とそんなに変わらんだろ?見た目だけだ。そんなに高級な店じゃない」


確かに、言われてみれば、この間とそんな変わらない。というか、どこが違うか全く分からない。


「ほんとだ。ってうわああああ」


世界が反転した。腹にのしかかる圧力。ルカに担がれたのだ。そしてあっという間に店の中に連れて行かれてしまった。





「美味いか?」


ルカはたくさんの料理を前に、よく食べる少年をまじまじと見た。


「ええ、思いの外、美味しい、です…」


「だろ?好きなもの食べて良いぞ」


「…」


タスクもまた、目の前のつまらなそうにしている顔立ちの整った男をまじまじと見た。はて、今頃は中央大陸行きの船に乗り込んで、早ければ海の上だったはずなのに、自分はなぜこんなところにいるのか。ふと我に返って、パンへ伸びかけていた手を引っ込めた。


「……あの、何が目的です?というか、あなた、何者なんですか?」


やまびこの亭主に気をつけろと言われていたのにも関わらず、偶然?とは言え、ポールホーンに着くなり例の男と会って、食事までしてるなんて出来すぎていやしないだろうか。しかし、男の注文によって次々に出される料理は、一口食べれば、その旨味が長旅で疲れた体に十二分に染み渡り、いくらでも食べれる、というか腹がいっぱいでも食べたくなるような絶品ばかり。この誘惑には誰も勝てないであろうと思われた。


つまり、こればっかりは仕方ない。


「…」


いや、どうだろうか。腹がほんの少しばかり満たされたせいで正気に戻ったのが良かったのか、悪かったのか。この状況の奇妙さに気づいてしまった以上、彼の目的が分からないうちは警戒するに越したことはない。今からでも遅くない筈。でもご飯は美味しいから、それは許そう。逃げるのは別に食べ終わった後でも良いのだから、とタスクはフォークを手に取り、再び手を伸ばして今度は皿の上の蒸した芋に突き刺した。

するとルカは、少しやさぐれた顔で遠い目をして答えてくれた。


「別に。暇だったんだ。イツキもツバサも死んでるっていうし、やることも無いから、ここで贅沢してただけだ」


(……うわ)


確かに、誰から見てもわかるほど彼は凄く疲れた顔をしていた。女性に見えなくもない美人な顔が台無しな気もする。だから余計にだらし無く見える。


(あ、ちょっと髭生えてる)


「そしたらちょうどお前が現れた。そういえば、お前はイツキの事もツバサの事も知っている風だったのに、何も教えてくれなかったなぁと思ってな」


ルカはこめかみの位置で頬杖をついて睨むように笑った。綺麗な年上のお姉さんにされたならまだしも、男にこういう聴き方をされると、とても不気味に思えた。というか、不快だ。虫酸が走る。


「嫌です」


タスクは、そう言って口いっぱいに芋を頬張った。口の水分が持って行かれたせいかなかなか飲み込めず、もごもごと頬を動かしていると、そんなタスクをみてルカは笑った。


「はは、即答か。まぁ、そんなに警戒しなくても。ここで会ったのも何かの縁だ。イツキ本人に会えなかったのは残念だが、少し話をするくらい良いじゃないか?」


「…」


またあの目。何かを試すようなルカの眼差し。タスクはその視線に耐えられなくなってまだ口の中のものを飲み込めないまま視線をそらした。


(この人、ほんと何なんだろう)


いまいち男の目的がつかめないタスクは、眉間にしわを寄せたまま、またもぐもぐと口を動かす。

かつて、賞金首であるが故にイツキを狙う者は大勢いた。しかし、この10年の間にその数は減り、2年前に彼が亡くなってからは、街でイツキの手配書を見ることはあっても、めっきりそういう輩をタスクは見なくなっていたのだ。てっきり、時効にでもなったにかと思っていたが、そんな矢先にルカが現れた。

10年以上見つからなかった犯人を、この若さでわざわざ捕まえてやろうと考えるなんて、彼は少ない人生の貴重な時間を無駄にする気であろうか。


(または、ただの若気の至りか…。だとしたら、かわいそうな人だな)


もんもんとそんなことを考え、頭の中もいっぱいにしながら、せめて口の中の物だけでも飲み込もうとした時だった。


「まさか、本当は二人とも生きてるとか…」


「ごほっ…そ…それはあり得ません!」


タスクは咳き込みながら咄嗟に首を横に振った。ルカとしては冗談で言ったつもりだったのだが、彼はそんなタスクの反応を妙に思ったらしい。


「……なんか動揺してないか?まさか、本当に—」


僅かに身を乗り出し、ルカの瞳が好奇と希望の輝きを見せた。その瞬間、彼の言葉を遮るように、タスクはテーブルに両手をついて勢いよく立ち上がった。


「いい加減にして下さい。…帰ります」


大声を出しそうになるのを必死に堪えて、タスクは出来るだけ冷静に言い放った。本当なら今にも一発ぶん殴りたいところだったが、ここは店の中。早めに退散するのが良いだろう。

それに、腹もいくらか満たされたし、これ以上話すことはないと、タスクは静かに踵を返した。しかし、ほぼ同時に後ろに引かれる左手。横目で見れば、ルカの手が伸びていた。タスクはそれを振りほどこうと、勢いにまかせて腕を引いてみたが、その手は離れなかった。


「…」


「悪い。冗談だ。こちらの無礼が過ぎたよ。すまなかった」


頭を下げ、そう謝る彼の姿はとても真摯に見える。が、だからなんだというのか。


「…悪い冗談ですね。本当に」


「気を悪くさせるような事を言って悪かった。君の師匠だもんな。君がその人を大切に思ってる事は十分伝わったよ。俺は、ほら、その…話が聞ければそれで良いんだ。だから、座ってくれないか?」


「…」


ここで構わず帰れば良いものの、何故だかタスクはしぶしぶ席についたのだった。確かに腹は立っていたが、ルカの言葉に嘘はないような気がしたし、根は悪い人ではないという事は先日の船での一件でも分かっていた。


(…あの皿にのってるの何だろう。甘い匂いがする)


とまあ、色々考えながらもタスクの視線はある一点のみに集中していた。

色鮮やかな小さな切れ端がたくさん乗った大きな皿からは何やら他とは違ういい香りがする。

せっかく出された料理だ。これを残して店を出るのは、流石に作った人に申し訳ない。タスクが食べなければ捨てられる運命なのであれば、こんな美味しい料理、食べきるの一択のみだ。


(…)


タスクは再びフォークを持ち、目の前の大皿の南国の果物目掛けて突き刺した。それから大きな一口でそれを頬張る。


(…うま)


鼻から抜ける爽やかな香りと、甘酸っぱい味。今まで口にしたことのない味を堪能したタスクは天にも召される気分になって、それを飲み込んだ時、思わずため息が漏れた。なんたる幸せ。今しがた喉の奥に消えていった爽やかな味に思いを馳せていると、ふと、安堵した様子でこちらを見ているルカに気がついた。


「…」


バツが悪い。間髪入れず、再びフォークをのばし、もぐもぐと口を動かすタスク。

でもやっぱり彼の生暖かい視線がやっぱり気まずくて、タスクは彼から顔を背け、改めて彼の見てくれや荷物のほうに意識をそらした。


くたびれたコートに、汚れた革靴。腰には銃と、短剣。傷だらけの手持ち鞄。ボロボロながらも整えられた装備を見ても、それなりに長い旅をしてきた事は想像に難くない。おそらく生半可な覚悟でここに来たわけではないのだろう。


(すごい根性だよね…)


彼がよくいる賞金稼ぎだったとして、果たして話を聞くだけで、満足できるのか甚だ疑問であった。だってどうやったってイツキは生き返らないし、首はこの世にもうない。それにタスクの昔話を聞いたところで彼に何の得があるのか。これだけの時間と労力を払った上に報われなかったことへ、気持ちの整理でもつけたいのだろうか。そうだとしたら気の毒だが、すごく迷惑な話だと思った。


「で、イツキの昔話なんて聞いてどうするんです?二人とももうこの世には居ないから、賞金は誰も貰えない。あなたに何のメリットがあるんですか?」


タスクはまた果物を頬張った。


「別に賞金はもう良いんだよ。これはただの暇つぶし、って言ったろ?」


ルカは爽やかな笑顔でそう言った。


「…暇つぶし、ねぇ。本当にそれだけですか?」


「ん?どういう意味だ?」


彼の言うことを鵜呑みにする程、タスクだって馬鹿ではない。重要なのは彼がタスクにとって無害であるかどうかだ。だからこそ、彼がイツキ達に興味を持つ理由が知りたい。


「………例えば—」


「?」


その瞬間、わずかにルカの視線が鋭くタスクを映した。


「雇われてるとか?」


それは単なるタスクの思い付きだった。根拠はない。ただ、事実として、彼はイツキが死んだと聞いて肩を落としていた。つまり、イツキが生きていた方が、彼にとって得であったということだ。それは大抵の賞金稼ぎに当て嵌まるところであろう。

が、本当に金だけが目的ならばこんなわざわざ食事に誘うような回りくどい真似はしない気がする。

タスクがぐるぐる頭の中で考えを巡らせていると、ルカはゆっくりと口を開いた。


「…さあな」


何だ、この返事は。タスクは何だか腹が立ってきて、彼を睨みつけた。


「…この嘘つき」


タスクがそう言っても、ルカは平然として眉ひとつ動かさず、テーブルの紅茶を手にとり優雅に口をつける。


「誰に雇われてるんです?」


タスクは思わず前のめりになって尋ねた。この際雇われてるとかそうじゃないとか関係ない。彼の目的を知るためならカマなんていくらでもかけてやる。

だが、ルカは変わらず平然としていた。


「そんなの言うわけないだろ。馬鹿か、お前は?」


たぶらかすように話す彼はどこか楽しそうだ。腹立たしい。タスクは粘着質なジトッとした目で彼を睨んだ。


「…あなた、どっかの国のスパイなんですか?」


「直球だなぁ。はは。まぁ、言える範囲で言うとするなら、…そうだなぁ。ただのしがない情報屋、かな」


対してルカはカラッと笑う。


「情報屋…何それ。バカにしてんですか!?」


「みたいなもの、だ。金さえ積まれれば何でもやる」


「…ああ、そう」


冗談のようにしか聞こえないが、あり得なくはない話。だが、もし、彼の言っていることが本当のことなら、こうもあっさりと自分の素性を言うだろうか。はたまた揶揄われているだけか。


「そう怒るなよ。イツキも、奴が連れ出したガキも、もういないと知れば雇い主も諦めがつくだろう。俺は前金も貰ってるし、あとは報告だけさ」


「…それ、本気で言ってるんですか?」


警戒心丸出しのタスクに対し、ルカはカップを再びテーブルに戻し、やれやれと首を振る。彼は呆れながらも話を続けた。


「本気も何も、探してた人物がこの世にいないんじゃ、ただの時間と金の無駄だろう?つまり、俺の任務はここで終了。とは言え、こんな東の果てまで遥々きたからには何か収穫が欲しいってところだろ?是非、お前の話を旅の土産にしたい。あと、それで報告書を仕上げようと思っている。じゃないと依頼主も納得しないだろうしな。せめて墓の場所くらいは見ておきたいところだ。あとは、俺の個人的な趣味」


「…随分勝手な。良い加減に—ぐっ!」


言い返そうとしたその時、いきなり、手を引かれたかと思えば、苦しみとともに、甘く爽やかな香りがタスクの口いっぱいに広がった。ルカがデザートのフルーツタルトをタスクの口に押し込んだのだ。甘酸っぱいフルーツに香ばしい生地。思わず顔が綻んでしまいそうになるくらい、なかなかの美味なのだが、フォークを持って不敵に笑うルカにタスクは恐怖を覚えた。


「勝手でもこうして美味しい料理を君はたーくさん食べてしまったわけだからね」


ぐっ。と先ほど飲み込んだものが喉に詰まった。


「…お金、持ってるの?」


そして、無事、胃に落ちる。


「…奢るって言ったくせに」


「タダで、とは言ってない」


悪い笑みだ。無理やり連れ込んでおいてそれは無い、と思いつつも、下心無しに料理を奢る男がいない事も当然といえば当然であろう。料理を出される前に帰れば良かったのだ。タスクは後悔した。


「…人が悪いですよ。詐欺です、詐欺!」


「大丈夫だ。安心しろ。俺はあくまで話が聞きたいだけだ。嘘でも構わないさ」


「嘘でもって…」


流石にそれは冗談だろうと鼻で笑ったが、ルカは案外本気だったみたいだった。まっすぐな眼差しでタスクに微笑んだ。


「言ったろ?俺の任務はほぼ終わってるって。これは、おまけだよ。あと暇つぶし。作り話で良いからなんか聞かせてくれないか?それで報告書作るから」


「だったら自分で適当な話、でっち上げれば良いじゃ無いですか?」


「苦手なんだよ。残念なことに俺の創作能力は10歳以下だ。まぁ、ここにあるデザート、食べたくないってんなら?別に帰ったっていいさ。あとは俺が全部食べるから」


その笑顔の下には食べかけのタルトがある。フルーツをコーティングする甘いシロップがキラキラと宝石の如く光っていた。


「……ちっ」


タスクはルカからフォークを奪い取り、目の前のフルーツタルトをまた口いっぱいに放り込んだ。

何だかうまく丸め込まれた気しかしないが、もういいだろう。別に減るもんでもないのだ。うだうだ考えるのも面倒くさい。それに、タルトに罪は無いし、このタルトは美味い。もうそれで良いのだ。だってこんなに美味しいんだもの!


「…では、このタルトに免じて、恩着せがましい貴方に少しだけお話ししてあげましょう」


スイーツはどんな欲望にも勝る。


「はは!そうこなくっちゃ」


ルカは随分と楽しそうに笑う。だが、タスクは少しも楽しくない。おかげでフルーツタルトが今にも無くなりそうな勢いだ!


「話せる範囲で話しますけど…あんまり期待しないで下さいね。国に追われた事情とか、その辺は私にもわかりませんし。ただ一緒にいたってだけなので」


10年も一緒にいたわけだけれども、幼かった頃のことは曖昧だし、イツキは指名手配になった理由や原因を教えてはくれなかった。そもそも、イツキは感情を表に出すタイプの人ではなかったし、寡黙な人だったから、今思うと、タスク自身、ある程度大きくなってからは、そう言った話題は避けていたような気がする。


「ああ、それについては大丈夫だ。こっちだって何も調べずに彼を探してたわけじゃ無い」


「そうですか…で、何から話しましょうか?」


タスクはまたフルーツタルトを頬張った。


「そうだな…それじゃ、まず、君の事を教えてくれよ。年齢と、出身はどこなんだ?あと、できれば名前も教えて欲しい」


「…」


「なんだ、その顔は」


「イツキのこと聞くんじゃ無いんですか」


「報告書の信憑性を上げるためだよ。君は奴の弟子なんだろ。…君がどういうやつか知ることは、イツキがどんな人だったのか知るヒントになる。これから語られるのは君というフィルターを通したイツキの話だ。世間では悪として語られる奴でも、君の視点からだと当然、印象が変わってくる。俺はそういうことも考慮して、客観的にイツキという人間を知りたいんだよ」


「気持ち悪いですね」


彼の言うことは一理あるし、理解できたが、タスクは正直引いていた。伊達に長旅を続けていた訳じゃなさそうである。何というか、執着というか執念というか、イツキに対するこのねっとりとした粘着質な感じが気持ち悪かった。


「まあ、半分仕事で半分趣味だからな」


なおさら気持ち悪い。

と思ったが、その言葉は水と一緒に飲み込んだ。というか一体全体どうして、これほどまでに執念深くなれるのか。タスクが微妙な顔をしていたせいで、ルカの方も痺れを切らしたらしい。はぁ、と深くため息をついて、がっくしと肩をおとした。


「…じゃあ、イツキと知り合ったきっかけを教えてくれ」


「……」


「どうした?」


「あ、いえ。そこから聞くのかと…」


戸惑いながらも、まともな質問にどこか安堵している自分がいた。根負けしてくれて助かったと言えばそうなのだが、意図して質問の変更を待っていた訳では無いので、正直拍子抜けだった。


「えっと……イツキと知り合ったきっかけは、…家が近所だったからじゃ無いですかね?」


「家が近所?」


「ええ。彼には物心ついた時から世話を焼いてもらってましたから、私にとっては親同然でしたし、郷の掟で修行が必要だったので、旅に出てからはずっと師匠って呼んでました」


「なるほど…。それで?君からみてイツキはどういう奴だったんだ?」


「そらぁ、とにかく強い人って感じでした。町のチンピラとか、それこそ賞金稼ぎに絡まれても一瞬でぶちのめすし。旅の間は鍛錬もしてくれました。厳しくて、何度も泣かされましたね」


懐かしい思い出がよみがえって、タスクは頬がすこし綻んだ気がした。見上げた横顔が脳裏に浮かんだ。


「普段は無口でいっつも難しそうな顔して、怖いけど、でも、物凄く情の深い人でしたよ。厳しくて喧嘩もいっぱいしましたけど、困った時は絶対助けてくれるし、優しい面ももってました。顔に似合わず歌が好きで、良く子守唄も歌ってくれましたしね。師匠でもあったけど、父親としても尊敬できる人でした」


「…そうか」


こぼすように相槌をするルカの顔は何故かどこか悲しそうに見えたが、タスクはあまり気にもとめず、ぼんやりかつてのイツキの姿を思い浮かべていた。


「だから、なんであの人が指名手配になってるのか分からなくて…」


タスクは子供の時、『悪い人なの?』と、無神経にもイツキに聞いたことがあった。

イツキは笑って何も答えなかった。でも代わりに強く抱きしめてくれたのをタスクは今でも鮮明に覚えている。苦しかったが、暖かかったような気がする。


「世間では悪人って言われてても、私から見た彼は優しくて、かっこいい人でしたよ」


「優しくて、カッコいいか…」


「…ええ」


先ほどよりは、ルカの雰囲気が柔らかく見えた。すると、彼は頭をボリボリと掻いて今度は申し訳なさそうな顔をする。一体何を考えているのだろう。彼は案外、冷静に見えるが、情に熱いタイプなのかもしれない。


「…で、失礼を承知で聴きたいんだが、確かレーベン山脈で亡くなったって言ってたな?その時の事を詳しく教えてくれないか?」


「…」


どうやら、買いかぶり過ぎたらしい。確かに、失礼というか無神経な質問だ。申し訳なさそうな顔になるのも頷ける。


タスクは掛に頬杖をついて、遠くを眺めた。別に話す義理もないのであるが、イツキが亡くなったことが世に知れれば、もう彼の指名手配書を見る必要がなくなるかも知れない。そう思ったら、別に良いかと思えた。


「ええ。旅の途中に滞在した山小屋で襲われて、なんとか麓の村まで逃げ延びたんですがね…。でも、最期は穏やかでしたよ」


もう2年も前の話なんだから。


「…複数に襲われたのか?」


「いいえ、一人です」


タスクは首を横に振ると、窓辺にかかる、赤い飾り絨毯をぼんやり見た。施された金の刺繍がまるで炎の揺らぎをなぞっているみたいだった。


「たった一人?…顔は見なかったのか?」


「……ええ」


胸が詰まるような感覚。思わず胸元を強く握りしめた。目の前が赤く熱くなって、燃え上がる炎の中に誰かの悲鳴を聞いた気がした。


「そうか…。ところで、ツバサも同じ時に亡くなったって確か言ってたよな?」


「へ?」


その瞬間、はっとして、視界が現実に戻った。ルカのブルーグレーの瞳が冷たい。どうやらタスクは短い白昼夢をみていたらしい。


「違うのか?」


「あ、ああ。いや、そうなんですけど…」


「なんだよ」


「いや、またあの子の話が出てくるとは思わなかったので…」


なんだか歯切れの悪いタスクを見て、ルカは首を傾げる。仲でも悪かったのか。もしくは好きだったのか。何れにせよ、この子供が、近しい人物を同時に亡くしたことに変わりはないのだ。この歳の子にとっては辛過ぎる経験だったろうに。


「…確か、血の繋がってない娘だって。彼女も一緒に旅をしてたんだろ?」


「え、ええ」


「そうか。てことは、イツキはお前とツバサ、二人の子供を連れて旅してたってことか…。すごいな」


「そうですね。よくよく考えてみれば…。あの頃はそれが普通だったから気付かなかったけど、子供を連れての旅って、かなり大変だったと思います」


今考えると当時のイツキがいかに凄い人物であったか感心する。今の大人のタスクだって、幼い獣人の子を旅に連れて行く選択は出来なかった。


「だよな。それで?その、ツバサはどんな子だったんだ?」


「ツバサですか…。うーん、そうですね…。なんて言うか、男勝りで気が強いって言えばいいんですかね…。イツキが厳しく接してた、ってのもありますけど。喧嘩も良くしてたし」


すると、それまで穏やかに語っていたタスクの顔が、だんだんとあからさまに嫌悪感にみちたものになっていった。


「なんせ、ツバサは頑固ですから。人の言うこと聞かないし、我儘ばっかりで、イツキに迷惑かけて。そんでもって負けず嫌いの癖に、稽古はさぼるから弱っちいし、負けるとすぐ泣く。…正直今思うと、ほんっと、可愛くない子でしたね」


偉い態度の変わりようである。タスクの口から出てくる刺々しいの言葉に、ルカも顔が引きつった。仮にも一緒に育った今は亡き幼馴染では無いのだろうか。


「なんか、やけに気持ちこもってんな…。お前、その子に恨みでもあるのか?」


「まぁ、恨みっていうか、なんていうか。こう、思い出すと無性にムシャクシャするというか…かなり面倒くさい子だたんですよ。前師匠と買い物に行った時なんか、お金もないのにあれ欲しいこれ欲しいだのワガママ尽くしだし、思い出すだけでこう…修行サボって、お絵描きしてたら人さらいにあったりとか、あああ、それから…」


タスクの悪口は止まることを知らない。幾ら何でも言い過ぎではなかろうかと思いながらも、ルカは止めることもできず、口をあんぐり開けたまま目の前の悪口生産期にただただ圧倒されていた。それでも悪口は少年の口から泉のごとくあふれ続けるので、次第に笑いが込み上げてきた。


「…ぷっ!ははははは!あはははは!!わかった!分かったから!!どんだけ酷いガキかは充分伝わったってあははははは!!!」


腹を抱えて笑うルカ。そんな彼を見て、タスクは眉間にシワを寄せた。たしかに自分で言っていた悪口だ。しかし、他人に笑われるのはどうも居心地が悪い。それが、この男ならなおの事。タスクはしかめっ面でルカを睨んだ。


「…ほんと、なんでこんな事話してんだろ」


「ん?」


「…いえ。で、他に何か聞きたいことあります?」


小さすぎて聞こえなかったらしい。タスクは構わず話を元に戻し、いつの間にか最後の一切れになってしまったフルーツタルトを口に放り込んだ。すると、ルカが妙な事を言ってきた。


「…そうだなぁ。これはただの噂なんだが…」


フォークを咥えたままタスクが、ふと視線を上げれば、ルカが前のめりにこちらを見つめていた。


「イツキは本当は大した魔法が使えなかったってのは?」


「……そんなにかしこまって聞く様な事ですか?はあ…」


深いため息が漏れる。タスクは紅茶の入ったカップを手に取った。香り高い紅茶を飲み込み、そしてルカに向かってほくそ笑んだ。すると、彼は鳩が豆鉄砲を食った時の様な素っ頓狂な顔をしていた。


「イツキは私の知る限り最高の魔法使いです。じゃなきゃ、今頃捕まってましたよ」


「…それも、そうか」


「ええ。ただ、人間が魔術を積極的に使うのをあまり好ましく思ってなかったみたいですが」


「…ん?それは、変だな」


「は?変?」


「西ではイツキは大罪人として有名だが、魔導技術を一般社会に持ち込むきっかけを作ったのも彼だ。古代クルルの魔導技術書の解析が進んだのも彼の功績が大きい」


「え、そうだったんですか?魔道技術って…」


タスクは驚いた。イツキにそんな一面があったなんてこれっぽっちも知らなかったからだ。


「そんな人が、人に魔術を使わせたくないって…何か心境の変化でもあったのか?」


「さあ?…でも、ある意味納得かも」


「どう言う意味だ?」


「イツキは下手くそな魔術を見つけるとどうしても許せないみたいな所はありましたね…。単に職人気質だっただけかも。それに、自分なりの拘りを持ってました。普段の生活も殆ど魔法や魔術に頼らないで普通の人みたいに生活してましたし、『力は必要とされるべき時に使われるべき』っていうのが彼の口癖でしたよ」


「ふーん、なんか勿体無いな。折角力があるのに」


「……そう思いますか?」


「お前がどう思ってるかは知らないが、少なくとも俺は、使えるものがあるなら有効に使うべきだと思うね。もちろん使い方には十分気をつけなきゃいけないがな」


「…そうですか」


タスクは冷たく応え、また何食わぬ顔でまた紅茶をすする。タスクのその態度がルカをムキにさせたらしい。


「お前、あの人の弟子なんだろ?そういや、俺、お前が船で魔法使ってる所をみたぜ」


ルカが吐き捨てる様にそういう時、ティーカップを持ったタスクはお茶を吹き出しそうになった。


「は?」


「なんだよ。そんな怒ることかよ」


「……一体、何を見たんですか?」


「何をって…お前が歌って、鳥を操って」


開く動向。固まる体。ルカの言葉にタスクの心臓は早くうち、手には汗が滲む。しまった。見られていたらしい。あの時、ルカは完全に気絶したと思っていたのに、甘かった!


「っ!!」


「おい、こら、逃げるな」


咄嗟のことだったにも関わらず、ルカはまたタスクの腕を捕まえる。本日2回目の逃亡失敗。驚くべき反応速度だ。

そういえば、彼はヤークの自警団と楽しそうに手合わせをしていたくらいだ。やはり、ただの賞金稼ぎではなかった、と言う訳だ。


「離してっ!」


タスクはその腕を割と本気で振り払おうとしたが、やっぱりルカの握る力が強くビクともしない。


「まだ話しの途中だ」


(ちっ!なんなの、こいつ!!)


こうなったら手加減無用である。タスクは勢いよく足を振り上げた。また気絶させてやるつもりで回し蹴りをした。だが、それもまた、すんでのところで足首を掴まれて受け止められてしまう。焦りを見せるタスクに対し、ルカは涼しい顔をしていた。


「っあんまり、暴れんなよ。行儀が悪いぞ」


「くっ!!やっぱり!!強いのに何で賊になんか捕まってたんです!?」


あの時、船にルカさえいなければ、こんな無駄な時間を食うこともなかったのだ。


「あの時は酔ってたからな。船の上でも二日酔いだったし」


「なっ!?」


「どうだ、驚いたか?」と言わんばかりの得意げな笑顔。一気に頭に血が上ったタスクは腰の刀に空いた左手を掛けた。


「おい!!」


その時だった。突然、頭に響く大きな声。頭を引き寄せられた、と思ったほぼ同時。耳元で叫ばれたせいで脳が揺れる感覚がした。


「取り敢えず、座れ。みんな見てるぞ」


耳を刺すような怒号から、静かに諭すような彼の言葉。タスクは咄嗟に我に帰った。振り返れば、たくさんの目。静まり返る店内。店中の客が彼らを見ていた。

そりゃそうだ。側から見たら子供が大人と喧嘩をしてるようにしか見えない。おまけに、さっきのルカの怒号、タスクの振り上げた足は掴まれたまま。


「…お、おさわがせ、しました…」


そう謝罪の言葉を口にしたタスクの脳裏には何故かヤークのババアが浮かんでいた。

タスクは刀から、ルカはタスクの足から手を離し、大人しく座る両者。音も立てずに彼らが座るのを見守ると、店の客達はまた飲み食いと会話を始めた。


「…」


再び騒がしくなる店内。


「…隠すようなことなのか?」


そんな中、ルカは先ほどよりも小さな声で尋ねてきた。タスクへのせめてもの気遣いなのだろうが、今更なんだというのだ。


「…それなりに、珍しいですからね」


俯いたまま、小さく呟く。その声は不貞腐れているようにしか聞こえない。だが、無神経にもルカは構わず続けた。


「やっぱりな!俺が知ってる魔法とは全く違うから驚いたぜ」


得意げに話すルカが恨めしい。タスクは相変わらず膨れっ面だ。


「…」


「なんだよ?なんかまずい事言ったか?俺…」


「……一つ質問させてください」


それまで俯いていたタスクは顔を上げた。それを見たルカもまた、真剣な面持ちになる。タスクの目が先程よりも鋭く、はっきりとした光を帯びていたからだ。


「聴こえたんですか?あの歌が」


「聴こえたって…まぁ、旋律だけぼんやり。海風が強かったし、あの時は意識も朦朧としてたから、はっきり覚えてるわけじゃないが」


「……良い耳をお持ちでいらっしゃいますね」


タスクは恨めしそうにそうボヤいた。


「なんだ、その含みたっぷり嫌味な言い方は」


「…」


するとタスクはルカを睨みつける。ルカもタスクを睨んだ。


「なんだよ?」


「……」


何がしたいのだろう。お互いがお互いをそう思っていたのだが、先に根負けしたのはタスクの方だった。


「はあ。…貴方には魔力を感じる良い耳が備わってると言う事ですよ」


面倒になって、タスクはまたため息をつくように静かに言葉にした。そのうちに、ルカの顔を見るのも嫌になり、肘をついて目線をそらした。


「じゃあ、お前は魔法使い、ってわけだ」


「違います」


「魔法が使えるのに?」


「私が使えるのは貴方が見たアレだけです。たった一つの魔法しか使えない者を魔法使いと呼ぶのはいかがなものかと」


まるで見下した様なタスクの目。ルカはすこしムッとして尋ねた。


「…なんだよ。じゃあ、お前はなんだって言うんだ?」


「…」


タスクは頬杖をついたまま動かない。とも思えば、徐に姿勢を正し、両手を膝の間で柔らかく組んだ。タスクは絡めた指をぼんやりと理由もなく眺めていた。そして、ようやく切り出した。


「…船で貴方が聴いたあれは、私たち一族に伝わる古い魔法の歌なんです。その歌の魔力を引き出せるものを総じてヨビコと呼んでます」


「へぇ。じゃあ、お前はその、ヨビコってわけだ。イツキもそうなのか?」


「はい、そう言う事です。では、さようなら」


「いやいや、まてまて!!まだ話は終わって無い。じゃあ、つまり、イツキの弟子ってのはそのヨビコの師弟関係って事か?」


立ち上がろうとする前に、腕を掴まれひっぱられる。今度もタスクは渋々座るしかなかった。


「そうなりますね。イツキから教わったのはほんの数曲でしたけど。大方は一族の大婆様から手ほどきを受けました」


「その大婆様って誰なんだ?」


「私たちの故郷の人ですよ。村長みたいなもんです」


「へぇ、お前とイツキの故郷…一体どこにあるんだ?」


「…山奥」


「どこの山奥だよ」


「…」


タスクはルカの腕を緩く掴んで外そうと促した。決して逃げるわけでは無い。ルカも察してくれたのか、力が緩んだ。


「時に、『キノル・コルヤ』はご存知で?」


掴んでいた手を離しながら、突然の脈絡のない話にルカはキョトンとする。『キノル・コルヤ』とはこの世で知らぬ者はいない、創世記の話を纏めた本の名前だ。そして、同時に聖書として扱われる事もある本の名前でもある。


「え、ああ、あのマリエナ教の」 


と言ったら、タスクは少し顔をしかめた。


「そうでもありますけど、私が言ってるのは古典の方です」


「古典って…殆ど御伽噺みたいなやつだよな。確か…色んな生き物がでてきたり、世界に奇跡と災いをもたらしたりとか、短編集になってるやつ。何話かは、子供の頃聞かされた伝記で知ってるよ」


「ええ、それです。その最後のお話の『ルークルの魔法使い』に出てくる場所がそうです」


「はぁ……はあ?」


タスクの言う『キノル・コルヤ』といえば、世界各地で親しまれているお伽話を、ある作家が、一つの本にまとめた童話伝記集のようなものだ。しかしオリジナルは一部のマリエナ教徒の暴動により焚書になり、現存するものはごく一部だという。とは言え、元は世界中の口伝を纏めたものなので、各地に似たような話が今も存在し、現在では再編集した新約版も出版されている。通称:古典。それらは全て同じ神話に基づいていると言われている。


タスクの言う『ルークルの魔法使い』というのは、ルークルと呼ばれる理想郷について書かれた話だ。主人公の男は、旅の果てについに理想郷を見つけたが、悪い魔法使いによってそこを奪われ、唯一理想郷に繋がる洞窟をも隠されてしまう。男は生涯をかけてその洞窟を探したが、結局見つからずじまいだった、というのが一般的に知られている話である。この話はマリエナ教徒の聖書にも残っている話だから、知っている者も多いが、ラストは全く違うので、しばしば分けられるのだ。


「実在するのか?」


だが、そんなのただの昔話だ。少なくとも、ルカを含む一般人にとってはそうだった。


「ええ。まあ、その話と同じ場所かどうか定かじゃないですけど、私たちの村に伝わる伝記と『キノル・コルヤ』の最後の話はとても良く似ていますよ。ルークルには許されている者しか入れない、ってのも同じです」


「はは、馬鹿にしてんのか?」


茶を飲みながら答えるタスクをみて、ルカは茶化すように笑う。タスクにとっては、なんとなく分かっていた反応だった。


「信じないならそれで良いですけどね。とにかく、郷の決まりなので場所は教えられません」


「む。そうか…」


ルカは何やらまた少し考えるような難しい顔をして、ティーカップを手にした。そして、ハッとしたようにタスクに尋ねる。


「近々そこに帰る予定はないのか?」


ルカの目がキラキラしている。急に楽しそうな顔になってどうしたのだろうか。タスクは無表情で答えた。


「しばらくは無いですね」


するとムッとするルカ。


「…たまには帰ったらどうだ?」


下心スケスケな要求にタスクは苦虫を潰したような顔になった。


「なんで貴方にそれを言われなきゃならないんですか?」


「ん、その様子だと本当に帰ってないな?よし、決まりだ、君の故郷もとい、イツキの故郷に帰ろう!」


「嫌です。というか、帰るにしても貴方は連れて行きませんよ!?てゆうか、入れませんから、貴方」


「連れないなぁ」


「…それより、貴方の方はどうなんですか?故郷はどこなんです?」


話題を逸らすついでに、どさくさに紛れて聞いてみた。実はさっきから気になっていた事だ。タスクは緊張で少し身体が硬くなるのを感じた。


「ん?俺の話か、ああ、そうだな。聞き出されるだけじゃつまらないもんな。いいだろう。俺の故郷は、ここからずっと西に向かった所のバルディアって所だ」


「聞いたことありませんね」


「西はしょっちゅう国の国境が変わるからな。まあ、川はたくさんあるが、ここみたいに山はそんなに豊かじゃない。でも、栄えてて人は多いし、街は整備されている。文明的にも進んでて世界の最先端にいるとは思うぞ。そこらの街とは比べものにならないほど、便利なもので溢れかえってて、夜でも明るい」


「へぇ…、夜でも明るいって凄いですね」


「政府が街灯を全主要道路に設置したんだ。国の間を繋ぐ道路も整備して、そしたら、店も増えてな。たくさんの人で賑わってるよ」


実に興味深い話である。タスクは単純にもっとその街の話が聞きたいと思った。すると、ルカは旅人の方を見ると少し間をおいて聞いてきた。


「興味があるなら、一緒に来るか?」


「いえ、結構」


即答だった。興味があっても一緒に行くとなるとまた別である。ルカはなんだよと残念そうに呟くとテーブルの上の食べ物を口に放り込んだ。その様子を見ながらタスクは思考を巡らせる。

西の方といえば例のイツキを追っていたクレイラグルもあったはずだが、ルカの言う通り、あちらは戦火が絶えなくて国が誕生しては消え、の繰り返しだという。きっと彼の故郷のバルディアもそう言った国の一つなのかもしれない。

そんなことを考えていると、何か思いついたようにルカが口を開いた。


「んー気が変わった。このまま帰るのは辞める。俺はやっぱりイツキの故郷に行きたい。連れて行ってくれ」


またか、とタスクは思った。


「しつこいですよ。無理なものは無理。ダメなものはダメ。婆様の許しがあればまだしも、そう簡単に知らない人を入れれるほどうちの法律は甘く無いです」


「…」


タスクがきっぱりとそう言えば、会話が途切れた。言い返さないルカ。代わりに彼はタスクをじっと睨みつけている。一体何であろうか。タスクは顔が引きつった。


「何ですか?」


「ところで君、これから何処へ向かうんだ?」


「何ですか?急に」


「俺はどうしても、イツキの故郷に行きたい。この目で見てみたい。だから、君に恩を売ろうと思う」


「はぁ?」


何を言ってるのか、タスクが口を挟む間も与えず、ルカは続けた。


「君の旅を手伝う。金なら沢山あるんだ。飯には困らない。寝床も困らない。それに俺は強いだろう?用心棒にもなる。いい事尽くしじゃないか!俺を雇うってのはどうだ?」


「…」


何言ってるんだ、この男。さっき食べたものに毒でも入っていたのだろうか。


「…雇われ側がお金出してくれるなんて珍しいですね。てゆうか、貴方、情報屋だかよくわからない仕事の方は?報告はどうするんです?すでに他に雇われているんでしょう?」


「それは、大丈夫だ。今の時代、連絡手段の取り方は様々だからな。紙の書類で十分だろう」


「なんて、適当な…」


全く呆れたものである。そこまでしてイツキについて、ルークルについて知りたいのか?この男は。


「なぁ、頼むよ。見合った働きをしたら、俺をイツキの故郷に連れて行ってくれないか?」


「…何度も言いますが、ルークルには許可が下りたものでないと案内できません」


「それじゃ、」とルカは身を乗り出した。


「見合った働きをしたら許可を貰えるようにルークルの人に掛け合ってくれないか?それで許可が下りなかったら素直に諦める。頼む」


ルカは手を合わせてタスクに頭を下げてきた。ものすごいしつこさ。なんたる執念。何度も断っているにも関わらずこの調子だ。乾いて取れなくなった生卵の染み並みの粘り強さだ。一体何が彼の興味をここまで駆り立てるのだろう。


「…ふぅ、仕方ないですね。分かりました。それじゃ、報酬に見合う働きをお願いします。用心棒さん」


全く、今日は根負けしてばっかりだ。が、どうせ、ルークルから許可が降りる訳がないし、困った時はこいつから逃げればいい。それまで、利用できるだけ利用してやればいいのだ。この時のタスクはそう思っていた。

しぶしぶ許可したタスクであったが、それでもルカはまるで宝物でも見つけた子供のように明るく笑った。


「了解だ!!!これから宜しくな!えーと、ご主人?はは」


ご主人とは。言われなれないその呼び名は何だかむず痒くて、タスクはため息をついた。


「…タスクです。そう呼んで下さい」


「了解だ。タスク君」


「…」


すると、ルカは上機嫌になって急にタスクの頭をつかみガシガシと力強く撫で回した。


「ちょ、何するんですか!?」


お陰で、ふわふわの髪の毛がボサボサになってしまった。


「長旅になるんだろ?好きなもの頼んでもっと食え食え!!そして、もっと色々教えてくれ!」


「…」


髪の毛を両手で直しながらタスクはルカをみた。カラッとした笑顔がこちらを覗いていた。全く、仕方がない。


「…それでは、遠慮なく!!」


大量の注文がなされ、その日、今年1番の売上高を更新したのは、また後から分かる話である。

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