アルケミラ魔術学院2

 



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




 図書館の前で出会った少女と二人で、講師のファルクスがいる研究室に向かうことになったナイアル。

 森の地面の上に石畳を敷き詰めて出来た歩道の上を、学院の本館に向かって歩いて行っていた。

 ここアルケミラ魔術学院においては、全ての道は中心となる本館から各方面へ放射状に広がるように設けられており、森にある図書館などの主要な施設同士をつないでいる。

 逆に言えば、歩道をたどりさえすれば、確実に本館へ至れると言うことだ。

 図書館を後にしたナイアルら二人も、歩道に沿って幾分か歩かないうちにすぐ、赤屋根の巨大な城館へたどり着いた。

 ちょうど本館の右側から入る形で、本館とその中庭を囲む柱廊に足を踏み入れると、そのまま柱廊に沿って本館をぐるりと回り込むようにして進む。

 道順に沿って進めば正面玄関の前を横切って、反対側にある湖の方向に抜けられるはずであった。


 学院の中心であるということもあり、本館の周囲はやはり一番人混みしている。

 あちらこちらに長衣ローブ姿の魔術師達が見て取れた。

 ナイアルのように資料を抱えて急ぎ足で歩く学生もいれば、柱廊の柱の陰で固まって話し込んでいる者達もいる。

 中庭には長椅子ベンチに腰掛けて本を読んでいたり、噴水の側で寛ぎ談笑している者達の姿も見えた。

 長く偉そうな口髭を生やして、裾や袖口を刺繍で飾った豪華な長衣ローブを着用した魔術師は、どこかの教室の教授だろうか。

 黒以外の長衣ローブを着た外部の魔術師達の姿も、ちらほら見かけた。

 赤や黄色といった鮮やかな色合いの彼らの長衣ローブは、学生達の中に混じると目立って見える。


 途中クスクス笑う女学生の一団とすれ違った際に、ナイアルは背後を流し見して少女の姿を確認。

 ちょくちょく確認しないと、すぐ引き離してしまいそうになるのだ。

 幸いにも少女はまだ付いて来ていた。

 人とすれ違うたびに危なかっしくよろめいてはいたが、一定の距離を空けて仔犬のようにナイアルの後ろをつけて来ていた。

 女学生たちがそんな少女の姿を通り過ぎる際に興味深そうに眺めていく。

 ナイアルは少しだけ鼻を鳴らすと、少女が付いてこられるように歩調を緩めながら、ゆっくりと人混みする本館の前を通り過ぎて行ったのだった。




✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




 ファルクスの研究室は、学院本館前の湖の畔を少し行った先にある。

 湖縁にに沿って敷かれた遊歩道をしばらく進んだ後、横道に逸れて森の中へ入る。

 湖畔の外れにある森の中。

 その周辺には三階建てから二階建ての背の低い塔や、崩れかけの小屋がいくつかが半分森の中に埋もれるように建てられていた。

 学院の中でも研究室や教員の住居といった建物が、まとまって建てられている区画のひとつだ


 蔦と苔に浸食され緑色っぽくなった建物が、地面から生えるようにして建てられている様は、新種のキノコか何かのようにも見える。

 どれも廃墟同然の有様だったが――しかし、煙突から元気良く昇る白い煙が、未だにそれらの建物が健在であることを示していた。


 ナイアルは迷う事なく、そのうちの1つに向かった。

 崩れかけか、それとも既に崩れているのかわからないぐらいの小屋で、屋根を突き破るようにして塔が一本建っている。

 茅葺屋根の上には雑草が青々と茂り、家自体がその重みで沈み込んでいるような印象を受けた。

 扉の前には手摺りのない縁側テラス

 そこに張り出した木製の階段を、ナイアルは二、三歩で駆け上がった。

 湿った床板をギィギィと軋ませながらナイアルは扉の前に立つと、拳で扉を叩く。


「先生!先生!……ファルクス!頼まれてた資料、持って来たよ!」


 そして遅ればせながら、這い上がるようにして縁側テラスの階段を登って来た少女の姿を、横目でチラリと見てから追加で叫ぶ。


「――あと、おまけも!」


 そこまで言ってから扉を叩くのをやめ、一歩退いて耳を澄ました。

 扉の向こう側からドタバタと、誰かが動く音と、そしてそれがだんだんと近づいて来るのが聞こえくる。

 音は扉のすぐ後まで来たところで、鳴り止んだ。

 しばらくして、ギィ…という音と共に、遠慮がちに扉が開けられた。

 ――屋主が半分だけ顔を覗かす。

 その目がナイアルの姿を捉えるとすぐ、扉は音を立てて大きく開放された。


「やあ、ナイアル!すまないね、わざわざ取りに行ってもらう事になって……」


 ひょろっと長い手足に寝癖の付いた短い金髪の男が、鼻を啜りながら姿を現した。

 浮揚術講師のファルクスだ。

 休職中のホークビット教授の不在の間、教授の浮揚術の教室クラスを代理で受け持っているのが彼である。

 まだ若いながら実力のある魔術師で、学生たちからも一目置かれていた。

 実際代理とはいえ一介の講師が教室をひとつ任されることなど、そうあることではない。

 だが本人はそのことを鼻にかける様子もなく、分け隔てなく学生たちと接していた。

 いつも気さくに振る舞う彼の、学生たちによる人気は非常に高かった。



 しかし今ナイアルの前で、扉にもたれ欠伸を噛み殺している姿からは、そんなやり手講師の面影は微塵も感じられなかった。

 髪が寝癖でボサボサになっていて全体的に雰囲気がだらしない。

 着ている長衣ローブは皺だらけで、体からは変な薬品と思わしき臭いを漂わせていた。

 普段の授業では、もう少しマシな恰好をしていて背筋もピンと伸びているのだが……

 いかんせん今のままでは威厳のへったくれもなかった。


「ここは静かなところは良いだけど、図書館が遠すぎるのが玉に瑕だよ。おかげで資料を取りに行くのにも一苦労だ……」


「しょうがないよ、新しい魔術とかが失敗して、火とか付いたら大変だし――はい、これ」


 鼻を啜りながら愚痴るファルクス。

 ナイアルはその手に持っていた資料の束を渡した。

 ファルクスは羊皮紙を受け取る。

 中身を確認しようと羊皮紙を広げかけ――何気なく視線を横にやった時、そこには佇む少女の姿を見た。


「………」


 二、三度瞬きまばたきを繰り返してファルクスは固まる。

 しばらく少女の方を見つめて後、再び羊皮紙に視線を戻した。

 しかしまた顔を上げて二度見すると、今度は少女の顔をまじまじと凝視しながら――叫んだ。


「……あれぇ!?レ、レア!なんで外にいるんですか!?」


「あれぇじゃないよ……図書館のとこで迷子になってたんだよ」


 ナイアルがあきれた声でそう答えた。

 どうやらファルクスは、少女がいなくなっていたのに今更気づいたらしかった。

 図書館はここからほぼ対角線上にある学院の反対側だ。

 そんなところまで少女が遠出している間、家の中にいないのに気づきもしていなかったとは――ちょっと気づくのが遅れたというレベルではない。


(……というか遅れすぎて家に戻って来ちゃってるし)


 相変わらず変なところで抜けている。

 罰が悪そうに黙り込む少女にかわって、ナイアルはファルクスに向かって説明することにした。


「声をかけたら、どうもホークビット教授を探してるみたいだったんだけど……その時ファルクスの名前も出したから、とりあえず連れて来てたよ」


「そうか!ありがとうナイアル!助かったよ」


「……もしかして気づいてなかったの?いなくなったの」


「ん?何を言ってるのかなナイアル?いなくなってないだろう?いなくなる前に見つかったじゃないか!」


「いやそれは――まぁいいや……」


 ナイアルは言おうとして途中で諦めた。

 ファルクスには、もっと他に聞きたいことがあったからだ。

 ナイアルは声をひそめてファルクスに顔を近づける。


「ファルクス、それでこいつ誰なの?なんか教会の印章持ってるし……」


「……それが僕も詳しくは知らないんだよ」


「え?」


てっきり一緒に


「もしかしてホービット教授の娘とか……?」


「……わからない、聞いても何も教えてくれなくてね」


 ナイアルの疑問に、頭を掻きながら困ったように言うファルクス。

 どうやらファルクスすらも知らないらしい。


「五日くらい前かな?突然学院へやって来て、ホークビット教授からの言伝で、自分が迎えに来るまで学院で面倒をみてやって欲しいとだけ……」


 ファルクスは肩をすくめる。


「それきり教授とは連絡が取れない」


 それからファルクスは、少女に歩み寄ると腰をかがめる。

 少女と目線の高さを合わせて、目を真っ直ぐ見ながら、諭すように話かけた。


「レア、危ないから勝手に出歩かないで欲しいと、お願いしましたよね?」


 レアと呼ばれた少女は悪戯が見つかった子供のように、ばつが悪そうにファルクスの視線から目逸らす。

 そして不満そうに呟いた。


「……だって、退屈なんだこれもん。それにファルクスの部屋、なんか臭うし」


 それから向き直り、ファルクスを見上げて視線を真っ直ぐ見返しながら訴える。


「ねぇ、ホークビットは?なんでいないの?」


「ですから、教授は今、学院に居られないと言っているでしょう?教授と連絡がつかない以上、詳しいことは僕もわからないのですよ」


 対してファルクスは困ったように首をかしげながら、彼を見つめるレアにそう返した。

 声音の調子からして、恐らく何度も言い聞かせている事に違いない。

 言ってからファルクスは言葉尻に、さらに一言付け加える。


「それに、僕の部屋は臭くはありませんよ……少しだけです。――ねぇ、ナイアル?」


「………」


 同意を求められてナイアルは返答に困ってしまった。

 少なくともファルクスの長衣ローブの状態は、数週間は洗濯してないようにも見える。

 それに加えて何とも言えない薬品のような刺激臭が、やんわり開いた扉の間から漂い出てきていた。

 とりあえずナイアルは、無言で明後日の方向に目を背けた。

 こういう時は何も言わないに限る。



「でも、学院を案内してくれるって約束したのに……」


 レアは俯いて最後にそう一言小さく呟いた後、それきり黙ってしまった。

 その様子にナイアルは少しだけ同情した。

 どうやらレアというこの少女は、教授のことを相当に信頼しているようだ。

 せめて音信不通ではなく手紙や言伝の1つでも有りさえすれば、また事情も違ったろう。

 おそらく慣れない土地で一人きり、狭い家の中に閉じ込められているとなれば、外に出て新鮮な空気を吸いたくなる気持ちもわからないでもない。


「困ったな………案内してあげたい気持ちは山々だけど」


 ファルクスもまた困ったように頭を掻きながら言った。


「僕も授業の準備とかいろいろ忙しくて難しいし……」


 ファルクスは顎に手をやり、「……うーん」と唸りながら、考え込むような仕草をする。

 そして勝手に1人で納得したように、「うん!」と拳で手のひらを叩くと――、



「――そういうわけで、ナイアル。頼まれてくれないかい?」


「なんで俺!?」


 しれっと肩に手を置きながら言ってくるファルクスに、ナイアルは目を剥いた。

 肩の手を振り払う。


「いや大丈夫、少し一緒に学院の中を付いて回ってくれるだけで良いからさ」


「いやいや、無理無理!俺忙しいし、そんな暇ないよファルクス!」


「忙しい?そんなはずないだろうナイアル。君、とってたい教室クラスが幾つか終わって暇だって……この前、自分で言っていたじゃないか。要はその分の空いた時間を使ってくれれば良いだけさ。時間は僕も調整するから」


「……うっ!……い、いやでも!空いた時間は自分なりに、もう使い方は決めていて――」


「頼むよ。……何なら僕の教室クラスの単位、考えてあげても良いと言ったらどうする?」


「えっ!?本当に……!?」


 ナイアルの心の中の天秤が揺れ動く。

 ファルクスの提案は魅力的だった。

 確かにナイアルは今、単位の取得に飢えていた。

 それならば時間を使う価値もあるかもしれない、とナイアルは思い、考えが揺らぐ。

 ファルクスはその隙を見逃さない。


「それにね、ナイアル。それだけじゃないよ」


 ファルクスは、ずいっと一歩、ナイアルに近づいて来て話を続ける。


「――君は今、学びに詰まっているね?」


「……は、はぁ!?な、なんだよいきなり!」


「いや、行き詰まりは感じているはずだよ。そうじゃなければこんなに単位一つで右往左往するはずがない」


「……うっ!確かにそうだけど――でもそれは、別に俺だけの話じゃないだろ!」


「でも魔術の修得が、思うようにいかなくなってきてるのは、間違いないよね?」


 さらに一歩、ファルクスが近づいて来た。

 ナイアルはファルクスの圧に押されて後ずさる。


「……それは間違いないけど」


「そういう時はね、ナイアル。視点を変えてみるのさ」


 ファルクスが顔近づけて、さらに圧をかけてくる。


「……魔術を知らない彼女の純粋な視点から、学院を見て回れば、新しい何かが見えてくるかもしれない。僕はそう思うよ」


「えぇ……」


(すごいフワッとした言い方……)


 ナイアルは嫌そうに顔を顰めてファルクスと、その背後のレアを交互に見る。

 すごく体良く少女の世話を、押し付けられているような感じがする――いや実際、押し付けられているのだろう。

 しかし一方で、ナイアルには、ファルクスの言い分にも一理あるようにも思えた。

 ナイアルが魔術に関して行き詰まりを感じていることは、事実であるからだ。

 ファルクスの顔とレアの方を交互に見ながら唸ったした後、ナイアルは観念したように両手を上げて言った。


「わかった、やるよ……」


「そうか!ナイアルなら引き受けてくれると思っていたよ!」


 ファルクスは嬉しそうにナイアルの肩をばしばし叩きながら、そう言った。


「じゃあ、さっそく今日から頼むよ!……レア、聞いていましたね?この彼が学院を案内してくれます。その間に僕は、部屋の換気を済ませるのと、まだ比較的洗濯した長衣ローブでも探しておきましょう!」


 それから、くるりと身を翻すと小屋の扉を再び開いた。

 扉の隙間に身体を滑り込ませる際、ファルクスはもう一度ナイアルを振り返る。


「では、よろしく!」


 最後にまた一声、ナイアルに声をかけた後、扉は音を立てて閉められた。

 後にはナイアルとレアという名前の少女、二人だけが取り残される。


「………」


「…………」


 ファルクスが去った後の扉の前で、しばらくお互い見つめいながら無言で佇む二人。

 そのうちにレアの方が遠慮がちに、その白く細い腕を差し出してきた。

 レアが今度はナイアルの目をまっすぐに見つめながら言う。


「レアだよ。よろしくね?学びに行き詰まった人」


「………ナイアルだよ」


 何だかこいつも性格に難が有りそうな予感がするなと、そう思いながらナイアルは苦笑する。

 そして差し出された白い手の指先に触れるようにして握手した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る