017:さよならは言わないで

「いってらっしゃい。なにもしてあげられなくてごめんね。必ずハルトと迎えに行くから、そしたらまた三人で一緒に暮らそう」


 イオンはこれからどこかに移送されるようで、その日の朝には署長のマーガレットが何人もの警官たちを引き連れてやってきた。

 別れの言葉を考える暇もなく見送りをすることになり、連行に来た警官たちの前でシーナはイオンと熱い抱擁を交わしている。


「シーナったら大げさね。なにも今生の別れってわけじゃないんだから」


 イオンは本当にそう信じているようだったが、これから記憶を消されるというのにどうしてそこまで明るくいられるのか不思議でならなかった。


「迎えに行くって言ったって、つぎに会うときお前は俺たちのことを忘れてしまっているんだろ? またはじめましてからやり直さなきゃいけないんじゃないか」


「えぇ、そうね。最初は少し混乱してるかもしれないけど、事情を話してもらえればすぐに納得すると思うわ」


「そうすんなりと事が進んでくれればいいが。ひょっとしたら、新しいお前は俺たちの顔面に唾を吐きかけてくるかもしれないだろ」


「そんなこと起こりっこないわ。心配しすぎよ」


 俺はいたって真剣だったのだが、イオンはくすっと笑って返事した。


「なぜそう言い切れる? 記憶を失くすことが怖くないのか?」


「だってワタシはアンドロイドなのよ。記憶を失くすと言っても、工場出荷時の状態に戻されるだけよ。初期設定まで変わるわけじゃないわ」


「しかしそうは言ったって、何を経験したかによって性格や考え方も変わるだろう。いままでの思い出が惜しくないのか?」


 この期に及んでイオンを失うことが耐えられなくなり、俺は時間稼ぎをするように矢継ぎ早に質問した。

 周りにいる警官たちはすぐにでもイオンを連行したいようだったが、マーガレットは俺たちの会話を邪魔せずに最後まで見守ろうとしてくれているみたいだ。


「もちろんワタシだって、アナタやシーナと過ごした時間はかけがえのないものだと思ってるわ。でも……これまであえて話さなかったけど、あのゴミ捨て場で目覚めてシーナに拾われるまでのワタシは、とても悲惨な一生を送っていたのよ。それこそ、死んで生まれ変わりたいと思うくらいに」


 俺は思いもしなかった言葉を耳にして立ちつくした。

 たしかに、イオンは俺と同じように、あのゴミ捨て場にいるところをシーナに保護されたと言っていた。

 しかしそれまでイオンがどんな一生を送り、なぜあのゴミ捨て場に捨てられていたのかは謎のままだった。

 どうせイオンのことだから、何かしょうもないドジをしてあそこに落ちたのだろうくらいにしか思っていなかったが……。


「なにそれ。そんなのいま初めて聞いたよ? なんでわたしに相談してくれなかったの」


「ごめんね、シーナ。べつに隠すつもりはなかったんだけど、暗い話をしてシーナを悲しませたくなかったのよ」


「だからって、こんなときに言わなくたって……。やっぱりこの一週間のあいだに、逃げずにたくさんお話しておけばよかったね。そしたらもっとちゃんとイオンちゃんのことを知れたのに」


 シーナはイオンの服の袖をつかみ涙ぐんでいる。

 イオンは後ろ髪を引かれているようだったが、シーナの頭を撫でると、意を決したようにマーガレットに目配せをした。


「……もういいのか?」


「えぇ。行きましょう」


 周囲にいた警官らがイオンを取り囲み、部屋の外にエスコートする。

 俺はどうしていいかわからずに立ちつくしていたが、やがて我に返って、あわてて廊下に飛びだした。


「イオン!」


 警官たちの背中でイオンの顔を直接見ることはできなかったが、それにもかまわず俺は声をあげた。

 いまこの瞬間に自分の本心を伝えておくべきだと思った。


「俺もお前と同じなんだ。シーナにあのゴミ捨て場で拾われる前、いやもっと前から自分の人生にウンザリして、死んで生まれ変わりたいと思ってた。けど……」


 ふりかえる様子はなかったが、イオンが足を止めて俺の言葉に耳を傾けているのはわかる。


「だけど、お前に出会えていまの自分を少しだけ好きになれるような気がしたんだ。だからたとえ人間に生まれ変わったとしても、お前はお前のまま、俺たちのところに帰ってきてくれ」


 どれだけイオンに思いを伝えたところで、数時間後にはこの記憶さえ忘れてしまうのだろう。

 しかしそれでも、イオンの心の奥深くに何かが残ってくれると信じたかった。


「……えぇ、約束するわ。だからアナタは必ず、シーナと一緒にワタシを迎えに来てちょうだい」

 

「あぁ。約束する」


 俺の言葉を聞いたイオンは、再び警官たちを引き連れて歩きはじめた。

 俺はその後ろ姿をしばらく見守ったあと、部屋にもどり、泣いているシーナの背中をさすりながら考えた。


(イオンは記憶を失くし、俺は生殖能力を喪失するのか……。次は俺の番だな)



 ◇ ◇ ◇

 


 俺は洗面所でパンツを下ろし、鏡に映る自分の股間を物悲しげにながめた。

 イオンの記憶に比べれば、こんなの些細なものだと思っていたが、いざ失う直前になると、やはりそれなりの情も湧いてくる。

 どうせ使い道のない肉棒といえど、酸いも甘いも共にしてきた俺の人生の相棒でもあるのだ。


(せめて最後くらい、オナニーをして行き場のない精子たちを自由にしてやろうか……) 


 さっき感動の別れをすませたばかりなのに、と思う部分もあったが、性欲と理性は相反するものである。

 特にこの一週間は、イオンとシーナと同じ部屋に籠っていたので、一度も自慰行為に耽ることができなかった。

 ラノベの主人公ならともかく、俺は生身の人間であり、うんこもするしオナニーもするのだ。

 

「ハルト、大丈夫?」


 自分のムスコに手をかけようとしたところで、コンコン、と洗面所がノックされて俺はあやうく飛びあがりそうになる。


「あ、あぁ……少し動揺してるが、もう落ち着いたよ」


「やっぱりイオンちゃんのこと、心配だよね」


 シーナは俺がイオンのことで思い悩んでいるのだと捉えたらしく、ドアの向こうで心配そうにしている。

 もちろん俺だってイオンのことは心配なのだが、それはそれとして、自分のムスコのことも考えないではいられないのだ。


「さっきはわたしも取り乱して恥ずかしいところを見せちゃったけど、きっとイオンちゃんなら大丈夫だよ。だからハルトも元気だして、ね?」


「あぁ……そうだよな。どのみち俺たちにできるのは、イオンを信じて待つことだけだ」


 だからこそオナニーでもして時間を潰そうかと思ったのだが、さすがにドアごしに会話しながら、というわけにもいかないし、シーナに心配をかけたくもないので外にでようかと迷っていると、


「ハルト! ハルトはいないか!」


 腹の奥底から響かせてるような図太い女の声が聞こえて、誰かが部屋に入ってきたかと思えば、洗面所のドアが勢いよく開け放たれた。


「お、おい! 待て!」


 俺があわててパンツを上げようとするのもむなしく、勃起した生殖器が二人の眼前に晒される。

 幸いにもシーナは盲目のためノーダメージだったが、扉を開け放った張本人であるマーガレットは目を逸らすことができない。


「お、おぉ……」


 不意打ちを食らったマーガレットは、こんなときどんな顔をしていいかわからないようで、顔を赤くして嘆息を漏らしている。


「待てって言っただろ! というか、イオンを連行しにいったんじゃなかったのか? なんでお前がここにいる!?」


「人の顔を見ながら勃起させるな! まずはその男根を小さくしてから話せ!」


「無茶言うなよ。というか、シーナの前で勃起とか男根とか言わないでくれるか? もうちょっとオブラートに包んで言ってくれ」


「そんなぶっといモノをどうやって包めと言うんだ!」


「二人とも何でおちんぽの話をしてるの? あ、そっか……。これからマーガレットさんがハルトのおちんちんをちょんぎるんだっけ」


 シーナの話で現実に引き戻された俺は、しゅんと男性器を縮こまらせた。

 てっきりイオンのように手術室で処置をされるものと思っていたが、この様子だとマーガレットが自前のレーザー・ブレードで一太刀くれるのかもしれない。

 せめて麻酔くらいは使ってくれないと、このあとでイオンを迎えにいくことが困難になるのだが。


「その件についてなんだが……」


 マーガレットは俺の股間を見ながら、急にもじもじすると、やがてため息をついて九十度に腰を折ってお辞儀した。


「本当にすまなかった。我がラスベガス・メトロポリスを代表して、公に謝罪させていただきたい」


「はぁ……?」


 俺が何のことかわからずに困惑していると、マーガレットはしぶしぶといった様子で両膝をつき、床に額をこすりつけてお手本のような土下座を披露した。


「いやいや、いまの『はぁ……?』はそんな謝罪ですむと思ってんのか? って意味じゃなくてだな。ちゃんと説明してもらわないと、何で謝られてるのか理解できないんだが」


「重ね重ね失礼した。我々の――否、私マーガレット・オブライエンの失態は、無実の人間を犯罪者と決めつけ、自白を強要した挙句、あろうことか取り調べ中に暴行を加えようとしてしまったことだ」


「その無実の人間ってのは俺のことだよな? 俺の罪ってのはつまり……」


「男根所持罪だ。正確に言えば生殖能力保持法の第三条、『何人も、生殖能力を製造又は改造し、所持してはならない』……。だが貴様の男根は――いや貴殿の男根は、製造や改造されたものではなく、生まれながらに所有している、本物の男根だった」


 ようやく誤解が解けたようで何よりだと言いたいところだったが、俺がこの世界の住人でないことがバレた可能性もある。


「俺の身体を調べあげたのか。……どこまで知っている?」


「貴殿がラスベガスに来たとき、義手を取りつけるオペをした医療会社からのデータが届いた。その結果は驚くべきものだったが、もう隠す必要はないだろう。我々は、貴殿の正体に辿りついている」


 マーガレットは顔をあげると、ニヤリと不敵な笑みをうかべた。

 俺はシーナと顔を見合わせ、ごくりと唾を呑みこむ。


「その正体は――?」

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