016:監禁
そうして俺たちは、ちょうどクリスマスまでの一週間をラスベガス・メトロポリスの地下施設で監禁されることになった。
いくら警察の監視下にあるとはいえ、悪党をおびき寄せる餌として利用されるわけだから、二十四時間気の休まることのない生活が続くのだろう。
と、思っていたのだが。
「ふぇぇ……。いけないことだってわかってるのに、気持ちよすぎて手が止まらないよぉ。これで最後にするから。ねぇ、お願い」
「本当に最後にするんだぞ。おかわりはもうないからな」
俺の言葉を聞いたシーナは目を輝かせると、犬のように荒い呼吸をしながら恍惚の表情をうかべた。
俺はやれやれとため息をつき、ベッドに寝そべっているシーナのところへポテチの袋を放り投げてやる。
「まさかシーナがたった一週間で、こんなに堕落しちまうとはな」
「だってずっと食事は栄養補給のために摂るものだと思ってたから、こんな不健康で悪魔的なお菓子が世の中に存在するだなんて知らなかったの」
「心なしか顔も丸っこくなってきた気がするような……」
「うぅ……シーナはもう快楽を貪るだけの雌豚に成り下がってしまいました。どうか昔のわたしのことは忘れて、動物だと思って躾けてください」
シーナは泣いているのか笑っているのかわからない顔をしながら、その手を休めることなくポテチを平らげようとしていた。
これらの軽食は、部屋の外にでられない俺たちを気遣って、警官たちが差し入れに持ってきてくれたものである。
(監禁とはいうものの、もとから引きこもりの俺にとっちゃ何の負担もないというか……下手すりゃ元の世界にいたころよりもいい暮らしができてるかもしれないな。そう考えると、俺のような人間はやはり刑務所に入るべきなのか?)
ネットに接続できないという唯一の問題はあったが、それをのぞけばこの監禁生活は引きこもりにとってユートピアのようなものだった。
だが、そんなぬるま湯的な幸福が長続きするはずはない。
窓のない部屋で曜日感覚も忘れて、自堕落に過ごしているうちに、あっという間に 月日は流れクリスマスが訪れようとしていた。
明日になれば、俺たちの監禁生活は終了し、イオンは記憶を初期化するために連行され、俺は去勢手術を施されるのだ。
「ふぅー……これで最後かしら? まさかこのご時世に、こんな大量の紙の契約書にサインさせられるだなんて」
ベッドにいる俺とシーナをよそに、テーブルで独りカリカリとペンを走らせていたイオンが、うーんと伸びをして立ちあがる。
イオンが書いていたのは、記憶を初期化し人間として生まれ変われるための手続きに必要な契約書だった。
「けど、おかげで今日はゆっくり眠れそうだわ。ちょっとお風呂に入って来るわね」
イオンは体をほぐして席を立つと、支給された着替えとタオルを持ってシャワー・ルームに入っていく。
ベッドに寝そべっているシーナは、相も変わらず無言でポテチをパリポリと食べている。
(クソッ、俺は一体何をやってたんだ? 本当ならこの一週間のうちに、今後のことについてあれこれ考えておくべきだったのに、気づいたら食べて寝てだらだらしてるだけで終わっちまった)
目の前の問題を先送りにしてしまうのは子どものころからの悪い癖だったが、今回は文字通り、イオンの生死と俺の精子がかかっているのだ。
百歩譲って去勢されてしまうのはしょうがないにしても、イオンの記憶が消されるのは受け入れ難い。
宿題を放置したまま夏休みの最終日を迎えるような気分でいると、コンコンとドアをノックする音が聞こえて、俺は我に返った。
「夜分遅くに失礼しまーす。引きこもりの野郎どもに、サンタさんからのプレゼントを持ってきたっすよー」
そう言って部屋に入って来たのは、安っぽいサンタのコスプレをしたツインテールの女だった。
あれはたしか、ソミンとかいう名前の婦人警官だ。
「働かざる者食うべからずとはいえ、今回の作戦に協力してくれた感謝っつーことで、あたしらからのメリクリでチキンを用意してきました。見てくださいよ、コレ。ほぼ丸ごと一羽っすよ」
「ありがたくいただきたいところだが、こんな夜中にそんな脂っこいものは……」
丁重に断ろうとしたところで、シーナが目をうるうるさせながらこちらを見ていることに気づいて、俺は口をつぐんだ。
「まぁまぁ、遠慮なさらず。おかげさまでウチもそれなりに成果をあげられたみたいで、署長もご機嫌、ボーナスもウハウハ、あとは家に帰ってパコパコするだけの最高のクリスマスをプレゼントしてもらったんすから」
ソミンはそう言うと、クリスマス・ソングを口ずさみながらテーブルの上に巨大ななタンドリーチキンを置いた。
「俺たちは七日間引きこもってただけだが、本当に犯罪者をおびき寄せられたのか
?」
「お二方は一歩も外にはでなかったでしょうけど、あのアンドロイドのちゃんねーがときどき表に姿をだして、まだ警察署のなかで保護されてますよってアピールをしてくれてましたからね。どうやって情報を掴んだのか知りませんけど、違法な賞金稼ぎの連中が毎日のように警察署にやってきましたよ。もれなくウチの署長にボコされてましたけど」
「少しは社会貢献できたってことか」
「えぇ……そうっすね。あとはその股間にぶら下げてる棒をちょんぎるだけで立派な市民になれるっすよ」
ソミンは皮肉めいた笑みをうかべると、それじゃおじゃましましたと言って部屋の外にでていった。
俺はしばらく無言で考え事をしていたが、やがて意を決して、いままで避けてきた話題について言及することにした。
「なあ、シーナ。あっという間にクリスマスがやってきたな」
「そうだね。最初はどうなることかと思ったけど、何事もなく一週間経っちゃったね」
「明日になれば、俺は文字通りのタマなし野郎になるわけだ」
「ハルトのおちんちん、ちょん切ったあとはどうするんだろう? ひょっとしたら、博物館にハルトのタマタマが飾られるかもしれないよ。いまのうちにこっそりわたしの名前でも書いておいてもらおうかな」
冗談めかしているが、シーナは俺が何を言わんとしているのかすぐに察したみたいだった。
「そして明日になればイオンは……記憶を消去され、人間として新たに生まれ変わるんだよな?」
「……そうだね。ハルトが自分のタマタマにばいばいするみたいに、イオンちゃんはアンドロイドとして過ごした記憶にさよならしなきゃいけなくなる」
「だが、それでいいのか? たとえキンタマがなくたって、俺は俺のままだと思うが……記憶を失ったイオンは、はたしてイオンと呼べるのか? 記憶を初期化するってのはつまり、死ぬことと同義なんじゃないか?」
シーナはポテチを食べる手を止めて、黙った。
この一週間のあいだにそういう素振りはみせなかったが、内心ではやはりシーナもイオンのことについて四六時中考えていたらしい。
「……それはわたしにはわからないし、誰にもわからないことだと思う。そもそも、この世界ではアンドロイド自体が絶滅危惧種だし、ましてや、じっさいに人間として生まれ変わったアンドロイドの話なんて聞いたことすらないから。身柄を拘束されたアンドロイドは、生きて帰ることができないってことだけはみんな知ってるけど」
「壊されるよりは記憶を失うほうがマシ、なのか? というかアンドロイドから人間に生まれ変わるって、具体的に何をするんだ? 機械から記憶を消したってそのまま人間になれるわけじゃないだろう」
「機械の体から人間の体に、イオンちゃんの意識を移植するの」
「記憶を消して意識だけを移植するのか? 記憶が消えれば意識も消えるんじゃないのか?」
俺はたてつづけに質問したが、明確な答えを期待しているわけではなかった。
シーナの言うように、アンドロイドはこの世界でイレギュラーな存在なようだし、詳しいことは一般市民にはわからないようになっているのだろう。
おそらくシーナも俺と同じように、わからないなりに自分のなかで結論をだそうともがいているのだ。
「わからない……わからないけど、もっと早くこうして三人で話し合えばよかったね。結論がでなくても納得いくまで話し合ってれば、後悔のないクリスマスを送れたかもしれないのに」
シーナは目を伏せながら、ポテチの袋に手を伸ばした。
ひょっとしたら、シーナの体重がこの一週間で増えたのは、そのストレスを暴食によって発散しようとしていたからかもしれないと思った。
俺もシーナも、イオンがイオンでなくなってしまうのが怖くて現実から目を背けていたのだ。
「結局のところ、これはイオンの問題というより俺たちの問題なのかもしれないな。記憶を失くしたイオンをイオンと呼べるかどうか」
「明日の手術を終えたあと、見た目はまったく同じでも、まるきり性格の違うイオンちゃんになってるかもしれない。そしたらわたし、いままでみたいな接し方ができる自信がないよ……」
シーナはいままでためこんでいたものを吐き出すように、肩をふるわせながら涙を流した。
俺はベッドの隣に座り、シーナの背中をさすりながら考えた。
(いままで仲良くしてきた相手が別人になってしまうかもしれないんだから、不安で当然だよな。それに何より、当の本人だって明日の手術が心配でたまらないはずだ。そんな様子はおくびにもださなかったが、もしかしたらいまもシャワーを浴びながら声を押し殺して泣いているのかもしれないし……)
俺がちらりと風呂場のドアをながめると、ちょうど風呂からあがってきたイオンがでてくるところだった。
イオンはだいぶリラックスした様子で、上機嫌に鼻歌をうたいながらドライヤーで髪を乾かしはじめた。
(……うらやましいくらい能天気な奴だな)
俺はやれやれとため息をついて、シーナに声をかける。
「まぁ、あいつなら大丈夫さ。きっと真面目に心配してるのがバカらしくなるくらい何食わぬ顔で帰ってきてくれるよ」
シーナはそうだね、と泣いているのか笑っているのかわからない顔でうなずいた。
俺たち三人はクリスマスを祝いながら大きなチキンを平らげて、ひとつのベッドで夜を明かした。
翌日の朝、イオンを連行するために何人かの警官を引き連れてきたマーガレットが俺たちにあるニュースをもってくるのだった。
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