006.ノックの音が

「もしもーし。ご在宅ですかー?」


 スタン・ロッドを手にした黒髪と対峙しているイオン、そしてズボンを下げたまま突っ立ている俺。

 まるでバーの店内だけ時が止まってしまったかのように、俺たち三人は息を呑んで見事に動きを止めていた。

 壁の鳩時計から飛びだした鳩だけが、ポッポ、ポッポ。と鳴いている。


(午前零時になった……例の回収人が来たのか)


 しかし、この来訪者が俺たちの敵になるのか味方になるのか、微妙なところだ。

 取り立て対象はそこで倒れているロジィと黒髪の姉妹であって、俺たちは関係ないはずだが、巻き添えを食らう可能性もある。

 どうしていいかわからなかったので、とりあえず、俺は音を立てないように静かにズボンを腰まであげた。


「ノックしてもしもーし」


 黒髪の女は店の入り口の扉に目をやり、そのあと俺たちを見て万事休すという顔をしていた。

 少なくとも、黒髪の女にとってもこの来訪者は歓迎すべき来客ではないのだろう。

 ドンドンドンというノックの音が強くなり、この膠着状態も長くはつづけられないだろうと思ったところで、黒髪の女は俺に目配せしてきた。


「おい、オマエがでろ」


 押し殺すような声で頼まれたが、俺は首をふった。

 他人の借金取りを追い返す義理なんてないし、ましてやこいつらは俺たちを殺そうとしていたのだ。


「もしアナタがあの人を追い返してくれれば、ワタシたちは二対一の状況でバトルを再開できるわ。勝てる保証はないけど、そのほうが勝算が高いんじゃないかしら?」


 イオンまで申し訳なさそうな顔をして俺に目配せしてきた。

 たしかにイオンと黒髪はお互いにらみあっていて、暇そうにしているのは俺だけの状態だったが、にしても本当に俺がいかなきゃいけないのか。

 そもそも何と言って応対すればいいんだ?


「明かりが点いてますよねー? いるのはわかってるんですよぉー。開けるつもりがないなら、扉を壊しちゃいますけど」


「あっ、あのー……」


 俺は慌てて返事をして扉に駆け寄った。

 借金取りの声は意外と幼く、まだ声変わりもしてない少年のようだった。


「やっぱりいたんですね。……ていうか、あなた誰です? あの姉妹のご家族ですか?」


 俺は中を見られないよう、NHKの集金人が来たときみたいに扉を少しだけ開けて応対する。


「いや、俺は家族とかじゃなくて。……このバーの常連客なんだけど、どうも今日はあの姉妹が出店してないみたいでね」


「はぁ。そうですか。じゃあ中にはあのおじさんだけですか?」


 おじさんというのが一瞬誰だかわからなかったが、おそらく最初にいたバーテンの小太りのおっさんのことだろう。


「えーと、うん。……そうだね。とにかく店のなかには野郎しかいないよ」


「へえ……。それじゃあそのおじさんでいいんで、呼んできてもらえますか? ぼくはあの姉妹に貸してた金を取り返しにきたんですが、逃げられちゃったみたいなのであのおじさんにツケを払ってもらいます」


 チクショウ。あの姉妹と店主のおっさんはグルだったのか。

 おそらくあのおっさんは俺たちの会話を盗み聞きして姉妹を呼び、こっそり自分は店の外に抜け出して、扉にかんぬきをかけたのだろう。


「いや、あのー、あれ? いま見たらあのおじさんもいなくなってるな。いつのまに消えたんだろう」


「それじゃあ店のなかには店員がいないってことですか?」


「うん、まぁ……そういうことになるね」


「お兄さんひとりだけ?」


「いや、俺のツレの女が一人いる」


「さっき店のなかには野郎しかいないって言ってませんでした?」


「その、アレが生えてるんだ。いわゆるふたなりってやつだよ」


「店員のいない店の中で、お兄さん方は何をしてたんですか?」


 整った顔立ちの少年は怪訝そうにこちらを見ている。

 苦し紛れの言い訳にも限界が来たようだった。


「とりあえず、中に入らせてもらいますね」


 嫌とも言えず、俺はせめて時間稼ぎをしようとまごついたフリをしながらもたもたと扉を開けた。

 緊張しながら少年を奥に案内すると、床で気絶していたロジィとその姉貴の黒髪の姿が見えず、イオンがソファに寝転がっている。

 イオンはなぜだか裸エプロンで、顔を上気させながら妖艶なポーズをとっていた。


「あ、あら~。お客さんが来たのね。せっかくいいところだったのに……。アナタ、続きは家に帰ってからにしましょうか?」


 少年は立ち止まると、白けた顔をして俺を見上げた。

 俺はその侮蔑するような視線に耐えながら、中年オヤジのように腹を叩いて豪快に笑う。


「たまにはシチュエーションを変えてみるってのもいいもんだな。次は深夜に学校のプールに忍びこんでみようか?」


「そういうのもいいわね。年甲斐もなくスクール水着なんて着ちゃったりして」

 

「家に帰ったらスク水とブルマを注文しておくよ。お前のケツに合うサイズのやつがあればいいんだけどな。あっはっは」


 少年は目を伏せてため息をつくと、くるっと踵をかえした。


「まあいいです。家には見張りをつけてありますし、どうせ荷物を取りに帰ってくるでしょう。お兄さん方も、火遊びはほどほどにしたほうがいいですよ。じゃ、ボクはこれで」


 俺とイオンは去っていく少年にじーっと視線を送り、少年が店の外にでたのを確認してから、ほっと一息ついた。


「やれやれ、あんなことを思いついたな。……というかあの姉妹はどこへ行った?」


 するとイオンが寝転がっていたソファの後ろから、黒髪がひょっこり顔をだした。


「この人がワタシに入れ知恵したのよ。まだ誰にも裸を見られたことないのに……」


「即興にしちゃ悪くなかったぜ。意外とそっちの才能があるのかもな」


 黒髪はカッター・ナイフと、切り裂かれたイオンの肌着をこちらに放り投げた。


「おいおい。すっかり呑気なムードになってるが、さっきまで俺らを殺そうとしてたのはなかったことになってるのか?」


「何をやるにせよ、ムードってのは大事だからな。これからもう一度気を取り直して再戦ってわけにはいかねぇだろ。どの道、あいつらはオレらのケツの穴の毛まで毟りとるつもりだ。そうなるまえにオサラバさせてもらうとするさ」


 黒髪は後ろに倒れていたロジィを起こし、ペシペシと頬を叩いている。


(いまここでイオンと一緒にこいつらをボコして、身ぐるみを引っぺがしてやってもいいんだが……)


 とはいえ、無事に家に帰れるだけで満足するべきかもしれないし、それになにより俺の肛門括約筋が限界に近づいていた。

 さっき小便はロジィの顔にひっかけたものの、肝心の大きいほうがまだ俺の体内に残っている。


「まあ、なんだ。貸しがひとつできたな。オレらの隠し家の場所を教えてやるから、何かあったらここに来い。酒くらいならおごってやるよ」


 黒髪はペンをさらさらと走らせ、その紙切れをイオンに渡した。

 そんなのいいからトイレを貸してくれと言いたいところだったが、それこそムードを台無しにしてしまうなと思い、言いだせない。


「ありがとう……って言うのもおかしいでしょうけど、また会いましょうね。今度はゆっくりお話ができるといいわね」


「じゃあな、せいぜいうまく逃げ切れよ。……俺らは蟻塚から来たんだが、こっからどっちに帰ればいいかわかるか?」


 黒髪はロジィをおんぶして、頭上を指さした。


「月から見て南東の方角に行け。休まず歩けば二十分くらいで着く」


 俺たちは黒髪に別れを告げ、バーを後にした。

 腹を抑えながら歩くその二十分は、俺がこの世界で経験するいちばん長い二十分になりそうだった。



 $  $ $



 コンコン、と蟻塚の六〇八号室をノックした。

 何の反応もかえってこなかったので、俺とイオンは顔を見合わせ、そっと部屋の扉を開ける。


(この時間だともう寝てるかな。シーナには明日何があったか話さないと)


 忍び足で玄関をあがると、廊下の奥にシーナがいた。

 寝間着姿だが目は冴えている様子で、眉間にぐっと皺を寄せ、通せんぼをするように仁王立ちしている。


「あれ、シーナ。起きてたのか」

 

 俺の言葉を聞いたシーナは、プンスカと鼻息を荒くする。


「起きてたのか、じゃないよ! いま何時だと思ってるの?」

 

「ごめんなさい、シーナ。この人は悪くないのよ。全部ワタシのせいで……」


 シーナはイオンの申し訳なさそうな声を聴くと、驚いた表情をしてから、やさしく包みこむようにイオンを抱きしめた。

 だが、それによってシーナはあることに気づいたようで、


「イオンちゃん、その格好で帰ってきたの!? 裸エプロンなんて破廉恥すぎるよ! 夜遅くまで二人で何をしてるのかと思ったら……」


 シーナは顔を赤くして俺をにらんだ。


「待て、早まるな。違うんだ……」


 俺は必死になって事情を説明した。

 イオンが<深化>していたこと、歩いているうちにゴースト・タウンのような町にたどり着いたこと、バーで姉妹と戦ったこと……。

 話しを終えるころには、シーナの目に涙が浮かんでいた。


「わたしったらとんでもない勘違いをして……怒ったりなんかしてごめんね。そんな危険な目にあっていたなんて」

 

「気にしなくていいんだ、俺たちの帰りが遅れたのは事実だしな。そんなことより、じつは俺はまだ危険な状態にあってな。その、色々訊きたいこともあると思うんだがひとまずトイレに行かせてくれないか?」


 シーナはピタリと泣き止んで、俺を見た。

 その表情はまさにあの姉妹が俺に向けた、こいつは何を言っているんだという表情と同じだった。


「トイレ? 人間用の?」


 あえて人間用の、と付ける意味が分からず、お前は何を言っているんだという顔でシーナと見つめあう。

 するとイオンが痺れを切らしたように、割って入った。


「あぁ、シーナ。そのことについても話しておかなきゃいけないわね。……この人は異世界から来た人間なの。信じられないかもしれないけど、本当よ。ワタシはこの目で見たもの、この人がおしっこをするところを」


 小便をしたところはシーナに隠すつもりだったのだが、その甲斐も空しくあっさりイオンに暴露され、俺のプライドがズタズタになる。


(だが……小便をしたことと異世界から来たことがどう繋がる? まさかこの世界の人間は排泄行為をしないのか? だとしたら俺はうんこをどこにすればいいんだ?)


「イセカイ……オシッコ……?」


 ただでなくても混乱しているところに爆弾情報が現れて、シーナの頭からぷすぷすと煙がのぼっているようだ。

 本来なら時間をかけてゆっくり説明するべきだろうが、まずは俺の体内にある爆弾を安全なところで処理しなければならない。


「シーナ、頼む。いまは何も訊かず俺の質問に答えてくれ。ここにトイレはあるのかないのか?」


「……トイレ? トイレなんかあるわけないよ、この世界のどこにも」


(チクショウ。俺の知る限り異世界転移モノでトイレに困る描写なんかなかったぞ。アイツらうんこはどうしてたんだよ?)


 俺は部屋のなかを見渡してうんこを収納できるものがないかと探したが、小便ならまだしも、人前で大をする気にはなれなかった。

 それをすると俺のなかの大事なものが失われてしまうような気がする。


「時間がないんだ、シーナ。知恵を貸してくれ。俺はどこにうんこをすればいい?」


「うん……? よくわかんないけど、うんこは外にすればいいんじゃない? だしたあとに砂をかければ、そのうち風化するだろうし」


 俺は絶望に打ちひしがれた。


(だが、たしかに外が砂漠であることは不幸中の幸いかもしれない)


 人に見られる心配もないし、誰かがうんこを踏んづける確率も低いはずだ。これがもし街中だったら俺の冒険はここで終了していたなと思いながら、覚悟を決めて外に出る。


「じゃあ、行ってくるよ。俺が帰らなかったら、そのときは何も言わずに察してくれ」





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