005.転生者の特権

「ッハァー……煽りのつもりで言ったのに、まさかマジモンの無職とは。このご時世に一文無しなんて、それこそアンドロイド並みにレアだぜ」


「同じレアでも、こっちの価値はゼロだけどな。ヒモ生活なんて、恥ずかしくねぇのかよ?」


 二人の少女が前屈みになり、俺を見下ろして罵倒している。

 こちとら十年近く前から事あるごとに同じような文句を聞かされて育ってきたのでいまさら心に傷を負うことはない。

 しかし、さっき食らったスタンガンのダメージで腹の筋肉はヒクヒク痙攣していたし、おまけに身動きがとれないように手錠で拘束されるなど、肉体的には散々な目に合っていた。


「ごめんなさい。ワタシがバーに行こうなんて言いださなければ……」


 イオンは俺と背中あわせに手錠で拘束されたまま、さっきからうわ言のように謝罪をくりかえしている。

 どうやらイオンのほうは、精神的ダメージが肉体のそれを上回っているようだ。

 初めての外出でこんな悲惨な目に合わされれば、取り乱してしまうのも無理はないかもしれない。


「まあ、気にするな。お前に誘われなければ俺がバーに行くことなんて一生なかっただろうし、いい思い出になったよ」


 俺は虚勢を張りながら、すすり泣くイオンをなぐさめた。

 白髪の女はそんな俺たちを見下ろし、けっと唾を吐いてから酒のボトルをぐびぐびとあおりはじめる。


「せっかく借金を完済して、気前よく遊びに行こうって思ったのによぉ。アイツらがわざわざ釣り銭を用意してくれるとも思えねぇし、あたしらの取り分はゼロじゃねぇか」


「こればっかりは贅沢は言えねぇな。借金取りが来るってときに、金ヅルが自分から転がりこんできてくれたんだ。これ以上を望むのはバチが当たるってもんだろ」


 帽子をかぶったボーイッシュな黒髪のほうは、少しは理性的なようで、カウンターの奥で自分用のカクテルを作りながら、白髪をたしなめている。


「そりゃわかるけどよぉ……。姉貴だってまさかそこの兄ちゃんが一文無しだなんて思わなかっただろ? 女のアンドロイドに金を持たせて辺りをうろつくなんて、一体何考えてんだよ?」


「さぁな……? そんな見るからに引きこもりみてぇな根暗な顔した男の思考なんてわかりたくもねぇけど、おおかた女に惚れちまったんじゃねぇの。ほら、その手の男はキモイ抱き枕とかフィギアとか、そういうのにハマりがちだろ?」


 白髪の女は顔を赤くして千鳥足で近づいてくると、俺の頭に足を乗せ、ぐりぐりと踏みにじってきた。

 フリルのついたスカートからパンツが丸見えになっているが、痛みと興奮で感情が相殺される。


「けっ……バカな野郎だぜ。アンドロイドを賞金首に差し出せば、そこらへんの女をいくらでも抱きまくれるほどの金が手に入ったってのに」


「そこらへんの女のなかにはお前らも含まれてるのか? 俺にロリコンの趣味はないが、成りあがったらお前らを買って使用人としてコキ使ってやるから覚悟しとけよ」


 もはや身体を拘束されている俺にできることといえば、口を使ってこいつらに抵抗するくらいしかなかったのだが、その代償は高くついた。

 白髪の女は顔を真っ赤にして、持っていた酒瓶を俺の頭にふりおろした。

 パリーンと綺麗な音がして、酒瓶の底が砕け散り、俺の額からぽたぽたと赤黒い血が零れ落ちる。


「もうやめて! ワタシのことは好きにしていいから、この人だけはどうか……」


「アンドロイドと人間の道ならぬ恋ってか? 泣かせるねぇ……。こんな男のどこがいいんだか」


「お金のことしか頭にないアナタたちにはわからないでしょうけど、この人はワタシなんかより、よっぽど価値のある人なのよ!」


 イオンは声を絞りだすように言った。

 

「……ハァ? どこをどう見てもそんな風には見えねぇが」


 俺に価値があるという言葉に、黒髪の女も興味を引かれたようだった。


「セックスが上手いとか、そういう話だったらぶっ殺すぞ」


 黒髪のボーイッシュな少女はカクテル・グラスを置いてこちらを見ている。

 イオンは少しのあいだ沈黙したあと、意を決したように深く息を吸って言う。


「彼はこの世界の人間じゃないの。異世界から来た人間なのよ!」


 ゴーン、ゴーン。と鐘の音が鳴り響いた。

 壁の古時計は午後十一時半を示している。

 

「……くだらねぇ。あと三十分か、時間がないな」


「午前零時に何かあるのか?」


「借金の取り立て人が来るんだよ。そいつは死神みたいなもんだが、賄賂さえ払えば帰ってくれる。そこのアンドロイドの姉ちゃんのおかげで、オレらは命拾いできそうだ」


「ちょっと待って。ワタシの話を聞いてた? この人は転生者なのよ!」


「転生者だか宇宙人だか知らねぇが、そんなもん一銭にもならねぇよ。どうせなら、もう少しマシな嘘を吐けってんだ。もうオメーらと話すことはねぇ」


 黒髪はすっかり興味を失くしたようで、白けた顔でカクテルを飲んでいる。

 白髪の女は、やや同情的な表情をしてイオンの前に屈みこむ。


「その様子だと姉ちゃんは、本気でこのキモータが異世界から来たって信じこんでるみたいだな……。悪いことは言わねぇから、もうちょい人間ってやつを知ったほうがいいぜ? 人間っていう生きモンは、平気で嘘をつくもんなんだよ、アンドロイドと違ってな」


「この人に限ってそれはないわ! 本当なのよ、信じてちょうだい」


「ったく……。ダメな男にふりまわされる、典型的なタイプの女だな。見てられねぇぜ」


 白髪の女はため息をつくと、俺の額に刺さっていた瓶の破片を引っこ抜き、それを俺の耳の根元にザクザクと突き刺した。

 泣き叫びたいところだったが、これ以上イオンを不安な思いにさせてはいけないと思い、奥歯を噛みしめて声をあげないようにする。


「あたしが姉ちゃんにかわって、このアンドロイドたらしを成敗してやんよ。ほら、クズ男。ダマしてごめんなさいって言え」


「……ダマしてごめんなさい」


「おれは転生者なんかじゃありません。女をたぶらかして遊んでたクズ男です」


「俺は転生者なんかじゃ――」


 そこまで言いかけて、俺の脳内にある考えが頭をよぎった。

 ここまで来たらもう、どうにかしてこいつらに俺が転生者であることを信じさせるしかない。


「――いや、待て。俺のポケットを調べてくれ。ひょっとしたら、そこに価値のあるものが入っているかもしれない」


 二人の少女は怪訝な表情で顔を見合わせた。

 俺のポケットに入っているもの、それはスマートフォンだった。

 もとをたどれば、俺はスマホを歩き見していてマンホールに落下して、この世界にやって来たのだ。


(そうだ、異世界といえばスマホじゃないか……。いままで何人もの転移者がスマホを利用して窮地を脱してきたのを、俺はなろうを通じて見てきたハズじゃないのか)


 俺は起死回生の一手を見つけた気になって、思わず笑みを浮かべた。

 いままではご都合主義の俺ツエーものを忌避している部分もあったが、それがこと自分の身に起こるとなると、話はべつだ。


「いきなりニヤニヤしやがって、気色悪ィ」


「そんな口を利けるのもいまのうちだぞ? お前らは驚愕の事実を知って腰を抜かしなんやかんやで俺のハーレムの一員になるんだ。転生者と戦うってのはそういうことなんだよ」


「急に何言ってんだコイツ……? 気でも狂ったか?」


「その様子だと、隠していたものがあるみたいだな? もったいぶらずに早く出せ。借金取りが来るまであと少ししかねぇ」


「俺の右ポケットを見てみろ。ビックリして腰を抜かすなよ」


 白髪はスタンガンを取りだして警戒しながら、俺のポケットに手を突っこみスマホを取りだす。


「あァ? 何だ、コレ……?」


「あぁ。それはスマートフォンと言ってな。物を撮影したり、遠くにいる誰かに一瞬でメッセージを送ることができる優れ物だ」


「んなコト言われなくてもわかってんだよ、バカタレが。こんな骨董品のどこに価値があるんだって聞いてんだ」


「中にあるデータを調べてくれ」


 白髪はカウンターの奥にいる黒髪に向かって、スマホを投げた。

 黒髪はそれを受けとり、何度か画面をタップしたあと、何とも言えない顔でこちらを見る。


「中にあるデータもクソも……メッセンジャーにはお袋しか登録されてねぇし、写真も変な飯の画像が何枚か入ってるだけじゃねーか」


「待て、待て。よく見てくれ。見慣れない風景の写真とか一枚くらい入ってるだろ? それはただのスマホじゃない。異世界スマホなんだよ」 


「なにが異世界スマホだアホンダラ。テメーの壁紙のセンスが異世界だわ。キショイアニメキャラの壁紙なんか使いやがって……」


「チクショウ、もう少しマトモな写真を撮っておけばよかった。なにせ共有する相手がいないから……待て、それじゃあ俺の服を調べてくれ。しまむらというブランドで買ったものなんだが、俺の世界では有名な――」


「――くだらねぇ。時間稼ぎだな、聞いて損した。ロジィ、やっちまえ」


 どうやら白髪の名前はロジィというようだったが、もはやそれどころではない。

 なまじ希望が見えた分、地獄に突き落とされたような気分になっていた。


(おかしい。こんなはずじゃない。このままだと死んじまうけど、それでいいのか? 俺は異世界モノの主人公じゃなかったのか?)


 そこで走馬灯のように、劇場の女が言っていた台詞がフラッシュ・バックした。


『自惚れもほどほどにしてください。先程も言ったとおり、貴方は数あるピンボールのうちの一つにしかすぎません。運よく当たりの穴に入れば上々、ダメなら次の球を弾くまで』


 結局のところ、俺はコースを外れたボールでしかなかったのだ。

 そのとき初めて、俺は悔しさを覚えた。

 この異世界転移によって、いままでの悲惨な人生もこのためにあったのかと納得できたのに、生まれ変わっても行きつく先は同じだったとは。


「こんな仕打ちってあるのかよ……」


 強くてニューゲームどころか、同じ苦痛を二度も味あわされただけじゃないかと、天に唾を吐きかけたくなる。

 そんな俺の姿がお気に召したようで、白髪はさっきまで持っていたボトルを置いて愉悦に浸った表情を浮かべている。


「強がってた奴が泣き叫んでるところを見るほど胸がスカッとすることはねぇよな。さっきまでの威勢が嘘みてーじゃねぇか。えぇ?」


 白髪は俺の胸倉をつかんで煽ってきたが、もはやそれに対抗する気力は残されていなかった。

 後ろにいるイオンも泣きつかれてしまっているのか、言葉を発さなくなっている。

 もはや俺にできることは、死を受け入れることだけだった。

 

「ロジィ、そろそろ時間だ。そこの兄ちゃんにトドメを刺してやれ」


「わかったよ、姉貴。最期に何か言い残すことはあるか?」

 

 俺は座ったまま、全身の力を抜いていた。

 そこで緊張の糸が解けたためか、急にトイレに行きたくなってきた。

 思えば、俺はこの世界に来てから一度も用を足していないのだ。

 このままトドメを刺されると、諸々の汚物を垂れ流すことになってしまう。


「その、こんなときに言いにくいんだが、死ぬ前にトイレに行かせてくれないか?」


「……は?」


「時間稼ぎだと思われるかもしれないが、今回ばかりはマジなんだ。なぁ、このままだと大のほうを垂れ流しながら死んじまいそうなんだよ。最期くらい綺麗に逝かせてくれたっていいだろ?」


 俺が情けない声で頼むと、白髪は怪訝な顔をして動きを止めた。


「垂れ流しながらって……何を?」


「うんこだよ。それくらい言わなくてもわかるだろ?」

 

 白髪はまだわけがわからないという顔で、酒瓶を片手に突っ立っていた。

 察しが悪いなと思い、俺は助けを求めるように黒髪のほうに話しかける。


「なあ、頼むよ。マジにうんこが漏れそうなんだ」


「待て待て。何を言ってる?」


「はぁ? これ以上明確なことがあるか! うんこが漏れそうだからトイレに連れていってくれって頼んでるんだよ」


 俺は思わず逆ギレしたが、黒髪も白髪もキョトンとしているばかりだった。

 イオンの前でみっともない姿は晒したくなかったが、もう我慢の限界だったので、俺は声を張り上げて言う。


「俺はどうせ死ぬんだから後のことはどうでもいいけどな。困るのはお前らだぞ? なんならロジィ、お前の顔に小便をひっかけてやってもいいんだ」


 俺としても必死だったのが、白髪のロジィは数秒間黙ったあと、


「人間が小便なんてするわけねぇだろ!」


 と食ってかかるように怒鳴ってきた。

 俺はもう怒りと膀胱のボルテージが最大値に達していたので、


「なら、俺のパンツを下ろしてくれ」


 とヤケクソ気味に言った。

 カウンターの奥にいる黒髪はまだ冷静な様子で、


「ロジィ、くだらねえ挑発に乗らなくていいぞ。そろそろ借金取りが来る。コイツは時間稼ぎがしたいだけだ」


 と声をかけたが、さんざん罵った相手に煽られた屈辱が忘れられないのか、ロジィは上等だと言って、俺のズボンのチャックを引き下げた。


「できなかったら、テメェの首をウチの店の前に飾ってやるからな」


「安心しろよ、俺の膀胱はパンパンだ。その綺麗な顔を台無しにしてやる」


 奇妙なことに、なぜかロジィは俺が小便をできないと確信しているようだった。

 そこまで決めつける意味がわからなかったが、これから俺を殺すクソッタレに小便をひっかけられるチャンスがあるなら、やらない理由はない。


「俺にもタイミングがあるからな。三、二、一でやってくれ」


「それがテメェの最後の言葉になるだろうな。じゃあいくぞ? 三、二、一」


 ずるっと勢いよく、ロジィは俺のズボンとパンツを一緒に下ろした。

 当然目の前には男のブツが来るわけだが、ロジィは信じられないものを見るように俺のイチモツを凝視していた。


「あ……? なんで……?」


 ぴゅーと俺のブツから小さな噴水のように聖水が放たれ、ロジィの顔に直撃する。

 ロジィは数秒間真顔でそれを受け止めたあと、激しく咳きこみ、まるで酸か何かがかかったかのように叫びながら手で顔を覆った。


「アナタ、いまがチャンスよ!」

 

 それまで黙っていたイオンがいきなり立ちあがり、近くにあった酒瓶を掴みロジィの頭にふりおろした。

 ロジィはそのまま白目を剥いて床に倒れ、カウンターの奥にいる黒髪が慌てた様子でロッド状のスタンガンを取りだした。


「クソッ、どうなってやがる!」  


 俺はイチモツを出したまま呆然としていたが、どうやらイオンは知らないあいだに拘束を解いていたらしい。

 俺は手近にあった酒瓶をつかみ、カウンターの奥にいる黒髪へ投げつける。


「テメェら……仲良くあの世に送ってやる!」


 黒髪はカウンターを飛びこえてイオンと対峙した。

 イオンは酒瓶のボトルを、黒髪はスタン・ロッドを手に持ち互いにジリジリと距離をつめている。

 俺はパンツを腰まであげるのに必死だった。


「ごめんくださーい」


 そのとき、ドンドンと店の入り口をノックする音が聞こえて、俺たち三人はぴたりと動きを止めた。

 突然静まりかえったバーの店内には、ドンドン、ドンドンドンというノックの音が響いている。


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